15 三軍の長との面会前どさくさに紛れ愛を語る
あれから五日、フィーラさんがかなりよそよそしい。
お陰で俺のフィーラさん成分が不足。
気合が抜けそうだけど、でも、明日にはガルが設定したリッザ・アルピナ・フェーダとの会見がある。
いつもの解析を行う。
〈解析結果〉―情報公開を継続
測定における身体値は相対評価であり、解析による身体値は絶対評価となる。絶対評価は解析者以外には非公開。また解析を能動的に行わない場合に解析は阻害される。
相対評価は知性体の能力について正規分布に従うことを前提としており、その埒外にいるものについて相対評価システムに組み込むことは評価の正当性に疑問符をつけることとなり本意ではない。
また身体能力に対する相対評価を行わない特異値が一つでもある知性体は身体能力が全て相対評価の対象とされず非公開情報となり物理体力性能と潜在魔力性能についても非公開情報となる。これは特異な身体値を外部に公開することに対する危険性について配慮した結果の措置である。
相対評価は以下の数式によって求められる。
相対評価においてのnは知性体のうち相対評価対象全数を意味する。
相対評価システムを壊さないための配慮の結果、俺は殺されかけたんですがね。もう少し配慮の方向を考えてもらいたいものだ神々よ。
だがこれで少しわかってきた。俺の身体値はぶっ飛んでいる値がある、と。そのために非公開と。
そして相対評価の式が公開された。あんまり数学は得意じゃないんだが、それでも見覚えがある式が並ぶ。まず、これ。
この式、n個の数値の総和をnで割る。平均。
各値から平均を引いたものを二乗したあとの平均の平方根、標準偏差だ。
平均値を50、標準偏差を10なるように規格化、偏差値、だな。
ルヴァートが言っていたな。70で優秀、30でかなり足りない。そりゃそうだ。70以上/30以下は2.2%。50人に一人。
数学は世界を記述する言語だが、実際数学で記述される人間ってのはどうなんだ?
朝からあまり気分の良くない事実を突きつけられたが、食べないわけにもいかないので食堂へ向かう。
よそよそしいフィーラさんを見るのが辛くて、昨日から城詰め兵士の食堂を使うようにしている。
下の階へ降りるための階段を塞ぐようにフィーラさんが立っていた。
「おはよう、フィーラさん」
「あ……おはよう、ございます、ケイタさ……ケイタヴァーデングァース」
心が一瞬冷える。私はなんのためにここにいて、なんのために戦っているのか。違う。決めたことだ。私は、ケイタヴァーデングァース。そのとおりだ。そして、フィーラさんは、フィーラさん、だろう。たとえ今はフィーラルテリアヴァーデンになろうとしていても。
「フィーラルテリアヴァーデン、どいてもらえないだろうか」
「あの……どうして食堂に来ないのですか?」
「いいや、今食堂に向かっているところだ、フィーラルテリアヴァーデン。食べなければ、私は死んでしまう」
俯いて動かない。
「どいてもらえないか、フィーラルテリアヴァーデン。そこにいては私は通れない」
「いやです」
震える、声。
「私が、怒る前にどいていただきたい、フィーラルテリアヴァーデン」
「ただひたすらに力を求めグァースとなる生き方は間違っていると思いませんか?」
「さて……私はケイタヴァーデングァース。ヴァーデンの守護者。我が身を持って平和を勝ち取れるならば安いもの、だ」
覚悟を決めていたはずなのに、揺らぐ心。声が震える。
たとえ彼女の心が離れていたとしても、私は私であることとして選んだ選択を貫く。彼女の幸せのためならば。
「いや、主語が大きい話は胡散臭い、な……ただ一人の女性の笑顔のために、グァースとなることを選んだ。そういうバカがいてもいいだろう」
俯き、震えている、私が護ると心に決めた女性。
「どうして、あなたはいつも、そうなのよ」
掠れた小さな声。
「私はフィーラルテリアヴァーデンを護るためにここにいる」
胸に飛び込まれる。私の、宝物。
「あんなことを続けていたら、ケイタさんが死んじゃう! 私に嫌われたと思ってもらえれば、グァースを辞めると思った。なのになんで! なんで!」
フィーラさんはやっぱりフィーラさんだった。胸の中で号泣するフィーラさんの両肩をそっと抱き、顔を見る。
「俺はあなたの前では異界の人クリハラケイタに戻れます。そして、それだけあれば守護者として生きていけます」
「でも! でも!」
「ほら、美人が台無しですよ」
「ケイタさん死んじゃう!」
「死にませんよ。俺はとっても強いんです」
「違う! そんなことしてたら、心が、死んじゃう!」
「死にませんよ、あなたがいれば」
「どうして、どうしてそこまで!」
「人を好きになる理由なんてありますか? ただ……いや、違うな。それを言い訳にしては駄目ですね」
涙いっぱいの目で見つめられる。
「俺は人を愛する資格があるのか? と自問していました。そう、それを言い訳にして逃げていました。フィーラさんを苦しめるつもりはなかったのですが、結果的に苦しめてしまいました。まだまだ、です。修行が足りません」
胸の中でしゃくり上げる愛しい人。
激情に身を委ねる寸前、立ち止まる。
額にそっと口づけ。
「でも、ごめんなさい。今は、まだこれで」
「ケイタさん……」
「あなたのことを想っているこの心に偽りはありません。あなたがいるから、どんな苦難も耐えられます」
体を入れ替え、階段側へ。それから体をそっと離す。
「そして色気のない話でごめんなさい。お腹空いて倒れそうなんです。昨日、下の食堂のおばちゃんに『明日も行くからね~』と言ってしまったので、すみません。今朝は下の食堂でご飯食べます」
「ケイタさん、いつもそうやって、私を笑わせようとする」
フィーラさんの、泣き笑い。
「ごめんなさいね、フィーラさん。また、あとで」
階段を降りていく。
俺は何度最愛の人を泣かせるのだろう。
降りながら顔を何度か叩いた。
兵士食堂へ。ここの食事はガッツリ系で、実は結構好き。ジャンク寄りなのよね。
今朝はパン、塊肉をじっくり焼いてスライスしたものにグレイビーソースがかかったもの、根菜類のスープ、野菜ジュース。朝からコレだもの。たまらない。
「お、来たねケイタヴァーデングァース。あんたなんでこっちの食堂に来るのかわかんないんだよねえ。英雄なんだろ? なんで王族食堂使わないの?」
肝っ玉かーさん料理長が登場。
「もともと平民の出ですからね。たまにはこういうのを食べないと疲れちゃうんですよ……ただ怒られてしまったので明日からはまた上ですね」
「ははは! なるほど。かーちゃんの味ってやつか。ま、一人分くらいどうにでもできるから、また来なよ」
「ありがとうございます」
トレイに受け取り、長机へ。
「よう、色男」
「朝から元気だな、色男」
「美人を泣かせるたあ、やるねえ、色男」
出会う兵出会う兵、色男と言われる。
肝っ玉かーさんは調理場から出てないから聞こえてないんだろうけど、階段で痴話喧嘩してりゃあ、そりゃあ、ねえ……。
城詰めの兵士たちは当初伝説のグァースってことでガッチガチの会話ばかりだった。暇を見てバカ話をして、いま、こうなった。
ちょっと、嬉しい。ここはレギュラーな居場所ではないけれども、でも少しの間なら避難できる場所。そういう場所はいくつかないと、心が持たない。
ちらっとフィーラさんのことを考える。彼女は、そういう場所がないのかもしれない。
「ところで、色男」
「……その呼び方、今日一日、それなのかな?」
「しゃあねえだろう色男」
城詰めはイベントが少ない。面白いことがあったら、そりゃ全員飛びつくというもの。甘んじて受ける、が、ちょっとなんか腹が立つ。
「リッザ・アルピナ・フェーダの三国の代表が来るってんで今日の昼から警備が増強されるんだが、なんか聞いてるか?」
「あー、うん。それ俺の案件です。明日、夕食会します」
「やっぱりあんた偉い人なんだなあ。ただの面白にーちゃん、ってわけじゃないんだ」
「面白にーちゃん……いやまあそうなるように話してたけども、けども!」
「俺の中じゃ、面白い色男ってことだから安心しろ。まあ、アレだ、頑張れ」
背中をバンバン叩かれる。
「それ、安心していいの……?」
グレイビーソースの肉、すげえおいしかったんだけど、ちょっと複雑な気分。いや、でもまた来よう。俺の心が、乾かないように。
慌てて兵士食堂から王族食堂へ。フィーラさん、まだいた。よかった。
ちょっとグシグシしているのはまださっきの影響かな。ダメだな俺。
「フィーラさん成分がたりないので二度目の朝ごはんを食べに来ました」
「私成分⁉」
「はい、五日ほど摂取しておりませんので足りません。フィーラさんはどうですか? 俺成分足りてますか?」
「……足りて、ません」
「奇遇ですね! じゃあ二人で並んで朝ごはん食べましょう。あ、でもさっき下で頂いたのでお茶と何か手を拭くものだけで大丈夫です! すみませんルテリアさん、お気を使わせてしまって」
一気にしゃべる。呆然としている間にフィーラさんの隣にピッタリくっついて座る。
苦笑交じりにルテリアさんがお茶と絞ったタオルを持ってきてくれる。テーブルの上には、カットした果物や野菜の載った皿がある。カトラリーは小さなフォークだけ。
絞ったタオルで手を拭く。まだ呆然としているフィーラさんが回復する前に、カトラリーげっと。
りんごにフォークを刺す。そしてフィーラさんに差し出す。
「え、あ、え?」
「はい、あーん」
「え?」
「あーん」
フィーラさんは恥ずかしげに口を開ける。
りんごを口にそっと入れる。閉じられた唇の柔らかさを、小さなフォークを通して感じる。
しゃく、しゃく、と小さな咀嚼音。こくん、という小さな嚥下音。
次の獲物は、これは、プチトマトかしら?
差し出すと、小さく口を開けて待っている。そっと差し出す。
ぷちゅ、くちゅ、と控えめな咀嚼音。んくっという嚥下音。
ドキドキする。ただ、食べているだけ、なのに。
次はちょっと大きいレタスの葉。これはダメですね。手でちぎってつまんで差し出すと、ちょっと困惑したあと、口を開ける。
そっと差し入れる。唇に軽く触れる指。
「あー、仲直りしたのは喜ばしいことなのだがね、そういったプレイはできれば親の目の届かないところでお願いしたい」
……ガルに怒られました。