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このとくに素晴らしくもない狂った世界で

「皆さん、入園おめでとうございます」


 柔和な……如何にも優しいお婆ちゃんと言った風の園長先生が祝いの言葉を紡いでいる。

 この一文だけを切り取れば何てことはない保育園の入園式の一幕のように思えるだろう。

 だが、帯刀だ。優しそうなお婆ちゃんの腰には数え切れぬほどの血を吸った二刀が差さっている。


「ありがとーございまーす!!」

「あらあら、うふふ。元気があってよろしい」


 可愛らしい女の子が元気に園長の言葉に反応する。

 おしゃまさん、という形容が似合うちょっとおませな女の子。

 だが、帯刀だ。将来有望そうな女の子の腰にはまだ血を吸ったことのない小さな二刀が差さっている。


(……眩暈がする)


 園長先生と女の子だけが特別なわけではない。皆、そうなのだ。

 老いも若きも男も女も、皆が帯刀している。この会場で刀を差していないのは俺だけだ。

 “俺の常識”からすれば一番常識的な俺が、この場において一番奇異な存在である。


「……あの男の子、何を考えてるのかしら?」

「非常識にもほどがあるわね」

傾奇者(ヤンキー)かしら?」

「傾奇者でも二本差しぐらいはしてるわよ」


 咎めるような視線があちこちから向けられる。無視だ。

 今更の話だ。九年、三歳の頃に帯刀を強いられ六つで刀を差さなくなってから九年もそんな目を向けられて来たのだから。

 肩身が狭い? いやそんなことはない。侮蔑の視線ならまだマシ。


「……待って。あの子、“空眼”の小次郎じゃない?」

「! 空眼の小次郎って」


 毎度思うんだけどこういう情報ってどこから仕入れるわけ?

 地元なら分かるよ。もう悪名(俺からすれば)が浸透し切ってるからな。

 でも進学に伴って上京して一人暮らしをし始めてから間もないし近所付き合いもロクにしてねえんだぞ俺。

 ……まったくしてないってわけじゃないがね?

 今日だって子連れ女狼(シンママ)で俺に良くしてくれてるお隣さんの代わりに娘さんの入園式に出てるわけだし。

 でも彼女とは一度も斬り結んだことはないし、他人の噂をべらべら吹聴するような人でもない。


「六つで父母を斬り己が士道を貫いたという」

「小学校の修学旅行で大百足を斬り捨てたという」

「何故刀を抜かぬと言われ安い首を斬る刀は持ち合わせていないと言い切ったという」

≪あの相馬小次郎!!≫


 ……。


「……だとすれば納得だわ」

「得物は影にでも潜ませているのかしら」

「有象無象には鞘の上からでさえ刀を見せたくないってわけね」

「うん? なら私たち有象無象ってこと?」


 保護者席に居る七割ほどが殺気立った。

 俺は無言で立ち上がり、彼らを一瞥し告げる。


「今日の主役は子供たちだ」


 着いて来い。

 言外にそう告げ俺は体育館を出てグラウンドに出た。


「私から行くわ」


 一人の主婦がずいっと前に出ると他から盛大に舌打ちが巻き起こった。

 こういうのは早いもの勝ちだから出し抜かれたと思ったのだろう。


「名乗りの礼を……」

「要らん。記憶する価値があるとは思えぬでな」

「ほざいたわね! 最早、どちらかが死ぬことでしか決着はつかないわよ!?」


 軽いんだよ、命が。


「キィェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!」


 雄たけびと共に振り下ろされた神速の一撃。


「ピタっ、て」


 焦らず騒がず二指で挟み込み、


「ポキン、て」


 圧し折る。

 そのまま驚愕する主婦の腹に一撃。

 血反吐をまき散らし、崩れ落ちる。殺してはいない。殺してたまるか。


「面倒だ。まとめて来い」


 くいくい、と残る保護者を挑発。

 誰も彼もプライドは高いが……いやそれゆえにか。

 その目で見た相手の強さを認められぬ狭量さはない。

 一騎打ちは誉れではあるが至上というわけではない。

 舐められたら殺す、の信念を貫き通せぬ方が恥なのだ。彼らは即座に集団戦法にスイッチを切り替え刀を抜き放った。


≪+∂-■◇↓◇∇◯&∃@@!!!!!!!!!≫


 各々好き勝手に雄たけび上げるもんだからもう滅茶苦茶だ。何言ってるか聞き取れねー。

 別に聞きたいわけではないけどさ。

 小さく溜息を吐き、淡々と保護者たちを沈めていく。五分ほどで全員をキャン言わせてやった。


「こ、これが……空眼……」


 ……ちなみに空眼ってのは空の境地に達した目をしているからってことでつけられた二つ名だ。

 でも違う。そういうよう分からん観念的な境地には達してないと思う。

 単に俺の目からハイライトが消えてるからそう見えるだけだろ。


「……あなたに殺されるなら後悔はないわ」

「さあ、この首を持って行きなさい!!」


 首なんざ要るか! バーカバーカ!! そう言えたらどれだけ良いか……。


「励め」

≪え≫

「その首に俺が心底から欲するほどの価値が宿るまで」


 背を向け歩き出す。


「何て……伊達男……ッ!」

「濡れる……股座が……!!」

「い、いきり立つ……ッッ」


 あんなこと言えば色めき立つのは分かっている。

 でも、やらざるを得ないんだよ。相手を立たせるような断り方じゃないとダメなんだ。


(恥を掻いたと思わせたら即、腹を切ろうとするんだもん……)


 体育館に戻ると残っていた保護者たちが尊敬の眼差しを向けて来た。

 それを無視し、子供らに視線をやる。


「武士道とは死ぬことと見つけたり」

≪ぶしどーとは! しぬこととみつけたりー!!≫


 葉隠の斉唱だ。

 つっても俺の知る葉隠ではない。この世界の葉隠の斉唱で意味合いも前世の葉隠とは違う。

 武士道とは死ぬことと見つけたり。葉隠を知らなくてもこの一文ぐらいは知っている人も多いだろう。

 武士たる者は主君のためには死ぬことも覚悟しなければならないという滅私、献身の精神を説く言葉だ。

 しかしこの世界においては、


「武士道とは我を通すことと見つけたり」

≪ぶしどーとはわれをとおすこととみつけたりー!!≫


 ようは美学、美意識みたいなものだ。

 武士道とは均一のものではなく千差万別、裡に描くそれこそが己にとっては唯一無二の正答。

 例え天に背こうとも己を貫くことを何よりも尊んでいるのだ。

 とは言え何でもかんでも力で押し通すことは美徳とはされていない。


 まず普遍的な武士道が根底にある。

 困っている人が居たら手を差し伸べようとか差別はいけないよとかそういう道徳的なアレね。

 そこに自分なりの譲れないものをトッピングしてその人だけの武士道が完成する。

 だから完全な無法ってわけではないのだ。

 刀を抜くのは舐められたり自分だけの譲れないものを否定された時とかだけ。それでも俺からすりゃ無法だがな。

 だからまあ、俺の在り方もまた……心底イヤだが武士道ってことになるんだろうな。

 ゆえに力を示し、己を通すことで一目置かれてしまう。


(……眩暈がするぜ)


 心を無にして入園式を乗り切り、その後の説明会へ参加。

 武士道というイカレタ価値観とそれに付随するもの以外は普通なのでこっちは楽だった。


「おにーちゃん!!」

「御待たせ、葉月ちゃん」


 諸々やるべきことを済ませ教室に迎えに行くと面倒を見ている子供が笑顔で駆け寄って来た。

 がっしゃんがっしゃん刀が鳴ってなきゃ心底可愛いのになぁ。


「じゃ、帰ろうか」

「うん!」


 手を繋ぎ園を後にする。


「その、お母さんちょっと遅くなりそうだってさっき連絡があって……」

「だいじょーぶ! はーちゃん、わかってるもん!」

「葉月ちゃん……」

「ママはけーさつかんで、わるいひとをバッサバッサぶったぎらなきゃだもん! だからがまんする!!」


 母を想う子の健気さ。悪人をぶった斬るという物騒さ。


(情緒滅茶苦茶だよ俺……)


 黒船が来てイカレタ価値観全部ぶっ壊してくんねーかなぁ。

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