赤いランドセル――ナナちゃん奇譚⑮
赤いランドセル――ナナちゃん奇譚⑮
ナナちゃんの昼の仕事仲間でH本さんと言う女性がいた。年齢はナナちゃんより少し上の35才。ある時、ナナちゃんはH本さんからある相談を受けた。ナナちゃんの霊感の強さを理解しての相談事だった。
その相談の前に、少しH本さんのことを書いておきたい。
H本さんは現在35才。再婚。旦那の連れ子が一人いる。前夫はH本さんが25才の時に不慮の事故に遭い亡くなってしまった。
その時H本さんは妊娠6ヶ月だった。夫は生まれて来る子供の顔も見ずにこの世を去ったわけだ。そして夫が亡くなって4ヶ月後にハナちゃんと言う女の子が生まれた。ところが不幸は続くもので、ハナちゃんは、わずか5才で病気により亡くなってしまった。それが今から3年ほど前のことになる。
わずか5才で病死したハナちゃん。普通、5才と言えば、幼稚園なら年長さんで、年が明けて4月になれば、小学生の仲間入りをするはずだが、ハナちゃんには生まれつき心臓に重篤な障害があった。
そのため、乳幼児の頃から、数度の手術を受けていたが、完治は難しく、治すには心臓移植しかないと言われていた。つまりドナー待ちの状態だったのだ。医者からは、このまま何もしなければ、就学は厳しいかもしれないと言われていたそうだ。
とは言え、たとえ心臓に障害があろうとも、余命宣告を受けていようとも、愛する娘にはできるだけのことをしてやりたいと思うのが母親としての当然の気持ちである。
ハナちゃんは、自宅に居るより病院に居た期間の方が長いぐらいで、ずっと入退院を繰り返してはいたが、それでも4月が来れば一年生になる。なるはずだ。
H本さんにはそんな願いもきっとあったに違いない。他の子供同様に、入学説明会にも出て、3月中には小学校の制服、ランドセル、お道具箱、靴、その他諸々、入学準備はすでに整え終わっていたそうだ。
ところが、大変残念なことに、入学式目前にしてハナちゃんの容態が急変してしまった。結局ドナーは間に合わなかった。懸命の措置も虚しく、ハナちゃんは天に召されて行った。たった5年と半年しか生きることはできなかったのだ。
その後、H本さんはしばらくの間、愛する人を二人も失った悲しみにすっかり心を病んでしまい、引き籠りがちになってしまった。ただ一つ救いは、H本さんの実家がかなりの資産家だったこと。
住んでいる家はH本さんが結婚した時に、実家の父が購入した持ち家だったので家賃の心配はなく、またH本さんを心配した父親が当面の生活費を援助してくれていたので、病んだ心を抱えて無理に外で働く必要はなかった。つまり少しの間、休むように、そう父親からは言われていた。
そしてハナちゃんが亡くなって3年の月日が流れた。
実家や周りからの励ましもあり、H本さんは過去の不幸から徐々に立ち直りつつあった。そんな矢先、H本さんは、勤め出した化粧品会社(ナナちゃんもパート勤務中)に派遣で来ていたIさんと言う35才の男性と出会った。
実はIさんも過去に奥さんと死別しており、これまたH本さんと同じく、5才になるユウコちゃんと言う娘さんと二人暮らしをしていた。そんな偶然の重なり合いからH本さんとIさんの仲は急速に接近して、めでたく再婚の運びとなった。
住居に関して、H本さんは持ち家を出てIさんとIさんの娘さんの3人で心機一転、新居を構えることも考えたが、あまりにも不経済なのでそれはやめた。
確かに経済的な理由も、もちろんあったが、その実、やはり亡くなった娘さんのことが心にひっかかっていた。思い出までは捨てきれない。結局、IさんたちがH本さんの家に転がり込む形でいっしょに住むことになった。
H本さんは、ユウコちゃんのことを亡くなったハナちゃんの生まれ変わりと信じ、ユウコちゃんの方も、亡き母に似たH本さんを本当のお母さんのように慕っていたらしい。
そして翌年、ユウコちゃんが小学1年生になった。
押し入れにはまったく使わずに、H本さんが処分できなかった赤いランドセルが仕舞いこまれていた。ハナちゃんの赤いランドセルだ。実家の父が可愛い孫のために購入した高級ランドセルだった。
H本さんは考えた。ユウコちゃんがこれを使ってくれるなら、きっと亡きハナちゃんも喜ぶに違いない。そう思って、ユウコちゃんにプレゼントしたらしい。ユウコちゃんもそれにはたいそう喜んだのだそうだ。父の稼ぎではそんなに良いものは買えそうもなかった。
そして――ある朝、ユウコちゃんがH本さんに言った。
「ねえおばさん、ハナちゃんて知ってる?」
「え?」
瞬時にH本さんの顔色が変わった。
ユウコちゃんには亡くなった娘のことなど一言も話したことはなかった。自分が、心からユウコちゃんの本当の母親になろうと思ったので、ハナの物はランドセルだけを残し、服も靴もそのほとんど、それとわかるものは処分したつもりだった。なのに、なぜユウコちゃんの口からハナの名前が出るのだろうか……。
――ねえねえおばさん、ハナちゃんって知ってる?
再びユウコちゃんは尋ねる。
「え? ハ、ナ、ちゃん?」
狼狽を隠せない。
「あの私がもらった赤いランドセルって、あれってハナちゃんのよね?」
「ど、どうしてそれを? お父さんから何か聞いた?」
「ううん、最近ね、私、よくハナちゃんとお話しするの」
「え? どういうこと?」
「あのね、よくお部屋に遊びに来るの」
別段怖がる様子もなく、笑顔さえ浮かべながらユウコちゃんは話す。H本さんは驚愕のあまり言葉を失ってしまった。
しかし夫のIさんにはそのことを話せないでいた。話すことが怖かった。信じてもらえるかどうかもわからないし、まだ自分が亡くなったハナちゃんにいつまでも固執していると思われるのはもっと嫌だった。
ハナはもうこの世にはいない。はっきりそう心に区切りを付けていた。なのに、なぜ、今頃、ユウコちゃんはそんなことを言い出したのか。もしかしたら、本当はハナのことを誰か、たぶんIさん? から吹き込まれて、自分を貶めようとしているのではないのか? ユウコちゃんは、本当は亡き母親への思慕のために、その母から父を奪った自分を恨んでいるのではないのか?
その間もユウコちゃんはハナちゃんの話をまるで、部屋に親しい友達が遊びに来ていたかのように話す。H本さんは心中穏やかではない。おかしくなりそうだ。
そんな煩悶の日々が続いていた中、時間だけが過ぎ、やがて新学期が始まった。
4月のある朝、ユウコちゃんが目覚めると、ベッド脇の床の上に、寝る前に準備しておいたランドセルの中身がすべて放り出されていた。教科書もノートも筆箱も、お絵かきセットも、コップも、それらすべてが床の上に散らばっている。ユウコちゃんは慌ててH本さんのところへ報告に行った。
「おばさん、ランドセルが……」
ユウコちゃんは半泣きだった。H本さんは急いで部屋に行くと、ユウコちゃんの言葉通り、夕べいっしょに中身を確認したはずなのに、それらすべてが床にぶち撒けられている。いけないとは思ったが、ユウコちゃんの「狂言」を疑ってしまう。朝早くに家を出たIさんにはそのことは怖くて言えなかった。そして慌てて片付けようとして、あることに気付いた。
――ランドセルが、ない
家じゅう隈なく探した。そして見つけた。
ランドセルは、元あった場所――押し入れ、の奥に仕舞われていた。
なぜ、ここに? 外来者がやったとは思えない。元の場所を知っているのは家の人間だけだ。考えたくはないが、それはユウコちゃんでなければ、Iさんか、もっと考えたくはないが――ハナ。
そうだ、やはりユウコちゃんは本当にハナに会ったに違いない。と、言うことは、ハナは怒っている。本当は、ランドセルをユウコちゃんにあげることが嫌なのだ。そう考えることが一番自然なこと。でも本当にそんなことがあるのだろうか。H本さんはますますおかしくなりそうだった。
そして翌朝。また同じことが起こった。
そして次の日もその次の日も。何度きちんと用意して置いても同じことが起こった。さすがにH本さんは怖くなり、ナナちゃんにそのことを打ち明けて救いを求めたのだ。
ナナちゃんはそう言うことはきっとあるとは思っていたが、自分がH本さんの家に行かなければ、H本さんの話す状況だけでは判断ができない。と言うことで、まず娘さんの部屋にカメラを設置して夜中の様子を録画することを勧めた。
「ちょっとこれ見てほしいねん」
ナナちゃんは私にスマホの動画を見せる。
「これは?」
「私だけでは何て言ったらいいかわかれへんから、もっとよくわかる知り合いに見てもらうってコピーさせてもらってん」
「もっとよくわかってるって、僕のこと?」
「うん」
そこには驚くべきものが映っていた。
深夜。ベッドでよく眠るユウコちゃんと思しき女の子、その横の机の上に置かれた赤いランドセルが映っていた。少しして、ガチャっというドアノブの音が聞こえた。
映っていたのは2人の人間だった。入り口から入って来た人はちらりと寝ているユウコちゃんの方を見て、そのまま机に近付き、おもむろにランドセルを持ち上げて逆さにした。そしてもう一人の人間が背後からその人の腰を掴み、その行為を阻止しようとしている。
「これって」
「うん。ランドセルをひっくり返してるのは、H本さん本人や。それを後ろからハナちゃんが一生懸命止めようとしてる。まるでな、お母さんやめてって言ってるみたいや」
聞けばH本さんは、まったく覚えのないことだと言う。
「責められへんやろ、H本さんのこと。どれほどハナちゃんのこと愛していたのか、考えたらな、あたし泣けてくるわ」
了