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あなたは だれですか 後編

  あなたは だれですか 後編


 ちょうどその当時、男子の間では、1972年のミュンヘンオリンピックのおかげで鉄棒がとても流行っていた。日本の男子体操が金メダルを獲った、いわゆる塚原選手が鉄棒でムーンサルトを繰り出したあのオリンピックだ。そのため鉄棒で無茶なことをやって男子児童の間で怪我人続出、学校では鉄棒禁止とまで言われるようになっていた。

 

 こっくりさん事件の翌日。 昨日の大雨とは打って変わって、夏を思わせる青空が広がっていた。

 その日の体育の授業は鉄棒で、内容は鉄棒の基本的なカリキュラム「逆上がり」だった。しかし、テレビで連日のように流されていたムーンサルトを見た男子たちがそれに満足するわけもなく、授業が終わってからも、先生から「おまえら、はよ着替えんかい」と怒鳴られるまで、ずっと鉄棒に張り付いていた。

 皆、見よう見まねで動物園の猿みたいに鉄棒にぶら下がっていた。

 中にはできるだけ派手な技に挑戦する者はいた。実は私もその一人だった。ほかの男子児童に比べ、体が小さくて身軽だった私は、鉄棒や体操は大変得意だった。きちんと指導を受けたわけではないが、簡単なバク転ぐらいならば自然にできたし、逆上がりも足掛け回りも、くるくる回るぐらい容易なことだった。そうなると大技に挑戦したくなる。

 私が鉄棒にぶら下がると、皆が口々に「大車輪」と言う。いかに流行っていたかがわかる。そう言われてすぐに調子に乗ってしまう私も私だ。人のことは言えない、けっこうおバカな男子だったと反省している。

 大車輪とは言うものの、そんなものできる筈もなく、実際には鉄棒で腕を伸ばして伸身のまま後方一回転できるか否か、だったが、私はそれに近いところにいたことは事実だった。こっくりさんでは「こんじょなし」と揶揄されたが、鉄棒ではけっこう期待されていた。


 その日はなんだか行けそうな予感がしていた。高学年用の高い鉄棒にぶら下がり、勢いよく前後に体を振り出した。だんだんと足が高く上がる。少しずつ青く高い空が見え始める。いよいよだ。

 と、その時、なぜか鉄棒を握っていた手のひらの力が抜けた。次の瞬間、私の足は斜め45度上に向けて、まるでロケットみたいに射出され、頭が重いので当然ながら後頭部から地面に叩きつけられてしまった。あっという間の出来事だった。

 後頭部を激打した直後、私はむっくり起き上がり、三歩歩いてパタリと倒れた。

 わぁっと一斉に皆が駆け寄る。

 遠くに全速力でこちらに走って来る担任の姿を見た。若い女性の先生だった。

 

 いや、おかしい。走って来る先生も、周りに集まる男子たちも、はっきりと見えている。何が一番おかしいかと言えば、私を中心に集まる男子たちをかき分けて、横たわる私の傍に駆け寄る先生の顔がまるで泣きそうだったこと、ではなく、――その横たわる私の姿が、上からはっきり見えていたこと。つまりその状況を俯瞰で見ていたことだ。 

 その時、昨日の「し」がふっと思い出された。私は死ぬのか、死んだのか。

 


 目の前に赤い鳥居があった。ふと隣を見ると、昨年亡くなったはずの父がいた。

 父は怖い顔で私を睨んだ。

「父さん……」

「お前はまったく、無茶なことばかりして、母さんがどれだけ心配していることか」

「ごめんなさい。僕、死んだの?」

「いいや、けど危なかった」

「ここはどこ?」

「だまってついて来い」

 父はかなり怒っていた。私が父について行くと、目の前に数匹の狐が現れた。父がその狐に向かって何か話している。するとその中の一匹が私の傍へやって来てじっと顔を見たかと思ったら、すぐに奥の方へと走って行った。

「行くぞ」

 その後を追うように父が私の手を引いて進む。


 ――お前か。アマノシュウサクと言う無礼者は。


 突然目の前に、真っ白で人の背丈もある大狐が現れた。

「申し訳ない。私が早くに現世を去ったばかりにこんな世間知らずな子供に育ってしまいまして、何とか命ばかりは……ほらお前も謝れ」

 父は私の頭を押さえつける。

「ご、ごめんなさい」


 ――わかった。しかしな、その子も……。なるほど、面を上げよ。

 ――しゅうさくと申したか、お前が降ろしたのは魑魅魍魎ちみもうりょうの類ではないぞ。我が使いなるぞ。これに懲りて二度と調子に乗るな。下賤な降霊術を見ても近付くこともならん。

「わかりました」

 ――お前はまだ若すぎる。われもかつてお前のような子供を捨てねばならんことがあった故、その命を取るには忍びない。今回だけは大目に見てやるが、ただ、呼び出された使いの者の気が済まぬらしい。

「どうすればよいのですか」

 ――以後、そのお前の生まれ持つ癒しの心で、多くの人を救ってやること。それが父母や先祖への供養にもなる。そして遠い将来、きっとお前の下へ再び使いの者が行くだろう。もしその時、今のこの約束が果たせずに、世に背を向けて生きていたならば、その時はお前の命をもらい受けるぞ。良いな」

「わかりました」


 ――その時が来れば、再びこの信太の森を訪ねよ。



 次の瞬間、私は目覚めた。そこには私を心配そうに見つめる母の顔があった。

「気がついた!」

「ここは?」

「病院やで。あんた、丸一日意識なかったんや」

 そう言いながら母は泣いていた。私はどうやら助かったみたいだ。


 今年、58才になるが、未だにお稲荷様が怖くて仕方がない。お許しを頂くにはもう少しかかりそうだ。

 そう言えば、少し前に知り合った連れ合いの女性は、現職の占い師で、彼女の使うカードは、「ダーキニー」なのだそうだ。今まで何度か危ない目にはあったが、今は彼女といっしょに暮している。


                               了

 



 

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