崇高なる人 前編
崇高なる人 前編
もうあれから5年は経つだろうか。あの時の私には、行かなければいけないとずっと心に思っていた場所があった。しかしながら、毎日が怒涛のごとく過ぎ去る中にあってそれは、『やらなければならないリスト』のかなり下の方に列記されていた。ところがある日、半強制的にリストのてっぺんに持って来なければならない事態になった。
それはお見舞だった。その人は、私の母の代からのお付き合いのある寺の住職で、御年95才になられる。
私は早くに父を病気で亡くし、それ以来、住職は父の祥月命日に、晴れた日も雨の日も風の日も必ず朝一番にやって来てお経をあげ、それから母と私に有難いお話をしてくださった。
私は宗教にはまったく関心がなかったけれど、いつしか、毎月のお勤めはとても自然な慣わしとなっていた。
そして今から十年前に母も亡くなり、仏壇の位牌は二つになった。その頃には住職もすっかり年を取って足腰が弱くなり、歩くのもおぼつかない状態だった。それでもうちへの月参りは途切れることなく、電動車椅子に乗りながら継続された。
それからしばらくして、その住職が膀胱癌で入院された。それ以来、50年近く続いた月参りは、若院さんが住職の代わりに参られることとなった。
ところがつい最近、癌だけでなく、脳梗塞を起こしてとうとう起き上がることがままならなくなった。意識はいたってしっかりしておられるが、年が年なので、おそらくもうあまり長くはないのでは? と言うのが周りの大方の見立てであった。
それがわかっていながら、私はなかなか見舞いに行けないでいた。確かに私は毎日がとても多忙だ。けれども見舞いに顔を出すぐらいの時間は取れるはずだ。
じゃあ、なぜ行かない?
本当は、怖かったのだと思う。死を目前にした人に会って、いったい何を話せば良いのか、どのような慰めの言葉を掛けて良いのかさっぱりわからなかった。臆するとはこう言うことを言うのかもしれない。
ところが、ある7月の夜のこと。
私は寝苦しさで目を覚ました。いや、本当はまだ夢の中に居たのかもしれないが、ふと人の気配を感じ、うっすら目を開けて見ると、なんと、布団の横で亡くなった父と母が二人並んで正座して私をじっと見ているではないか。
いや、よく見ると父母だけではない。次々に人が増えて行く。小さな子供や、老人たちや、そのほか数人の知らない人が私をじっと見ている。
すぐわかった。祖父、祖母、母の兄弟たち、それとおそらく死産だった私の兄か……。ああうちの過去帳フルキャストメンバーで登場している!
怖いやら懐かしいやら、不思議な気持ちに浸っていると、その誰もが私を睨みつけている。怒っている? 間違いない。怒っている。参った。これはまるで喜劇ではないか。
すぐに理由はわかった。それはそうだろう。50年だぞ。50年も間、途切れることなく毎月うちに参りに来て下さったのだ。雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、年を取って歩くことが辛くなってからも。我が家にとっては大恩人ではないか。
それを忙しいだとか、何をどう話せば良いのかわからないなどと子供のような言い訳をしていたのだから。そりゃあオールキャストで叱りにも出て来ると言うものだ。
「わかったよ、わかった。行く、行きます。だからオールメンバーで出て来ないでください。私が悪かった! ごめんなさい」
すると母の表情が少しやさしくなった。
「お前の気持ちもわかる。けどな、杓子定規な労いなんかいらん。ただお前の気持ちを素直に伝えることや。わかるな?」
母の清い言葉が流れ込んで来た。私はただ頷く。
気付くともうそこには誰もおらず、いつもの寝室で、天井の小さな灯りがぼんやり滲んで見えた。寝苦しいのはエアコンが切れていたからだ。暑い。
続く