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大家さんシリーズ⑦――蜘 蛛


 うそのような本当の話です。家の中には様々な虫が入って来ます。その中で一番嫌な奴はやはりアレですよね。黒光りして人を見掛けると羽を広げて突進して来るやつ。最悪です。腰かけてシャワーを浴びている時にどうも背後に視線を感じる。霊か? などと思ってさっと振り向くと、窓のところにあいつがヒゲを揺らしながらじっとこちらを見ていたというのはよくある話。あんなに小さい虫のクセにその視線は大物級。

 でも安心してください。あいつには天敵がいます。その名もアシダカグモ。

 最近では親しみを込めて「アシダカ軍曹」と呼ばれています。アシダカ軍曹は、ほぼヤツだけをターゲットにしている必殺必中の熟練スナイパーです。

 見た目は、手のひらほどもありそうな大きな蜘蛛ですから、さすがに気持ち悪いです。しかし慣れてしまえばこんなに心強いやつはいません。何せ、我々人間には、見た目の悪さ以外に、一切害がなく、その上、すごいのは、獲物となるGがすべて家からいなくなった時点で、「俺の仕事はもう終わったよ。じゃあ、達者でな」と、勝手に出て行ってくれるのです。

 軍曹はけっこう長生きで3年ぐらいは生きるそうですが、人に慣れるとも言われていて、飼っている人もいるとか。オークションサイトやペットショップで売っていたりします。

 軍曹にも天敵はいろいろいます。鳥だとか、猫だとか。でも一番の天敵は人間の女性でしょう。

軍曹の有用性を理解していない女性たちは、その見た目だけで目の敵にします。気の毒な軍曹です。人間も虫も見た目で判断してはいけないと思いますよ。


  大家さんシリーズ⑦――蜘 蛛


 さて、先日、うちのマンションの住人でシングルマザーのT橋さん(35才美人)と言う方からある夜、私に電話をして来られました。こんな夜に何だろうと出てみると……。

「大家さん、すみません、助けてください! 部屋に巨大な毒グモがいるんです!」


 巨大な毒グモって、そう思って部屋に入ると、案の定、軍曹でした。パトロールの途中で急に電気を付けられて驚いたのか、洗面所の壁でじっとしたままで動きません。

「ああ、こいつは大丈夫ですよ」

 などと言っても、パニックになっているT橋さんには通じません。

 とにかく殺してください! と言います。私はちょっと考えましたが、結局、そっと捕まえて、外へ逃がしてやりました。

 T橋さんは「信じられない!」と言う顔をしていましたが、「たぶんこの部屋にあなたのもっと嫌いなあいつがいますよ。コ〇バットでもホイホイでも置いた方がいいですよ」と忠告して出て来ました。 

 翌日の夜、部屋に戻ると、息子(ちょっと発達障害あり)が、私に「とーさん、部屋にタランチュラがおるで」と言います。

 おいおい、今度はタランチュラかい! と苦笑いしながら、よく見ると、昨日逃がした軍曹です。間違いありません。

「アシダカ軍曹や。あれは大丈夫。味方やで」そう言うと「ふーん」とわかったようなわからないような……。

 私は軍曹に「お前、戻って来てくれたんか」と親しみを込めて言うと、「まあ、あんたには借りがあるからな」とでも言うように、ささっと冷蔵庫の裏に消えました。

 そしてその日から、うちの部屋でGを見掛けることはなくなりました。

 虫だって生きています。小説、蜘蛛の糸ではありませんが、情けは人のためならず。きっと返って来ます。 


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