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オレと友達にならないか?

  オレと友達にならないか?


 先の戦争で焼け残った大きな木造2階建ての洋館が私の生家だった。

 その当時、築50年ぐらいだろうか。大正時代末期の建造物で、ある意味文化財的価値のある大きな洋館だった。

 幼い頃、私はいつも一人で眠りに就いていた。父が会社を経営していて母はいつも父に同行していたので二人とも毎晩帰りが遅く、父母に代わって、お手伝いさんが私を寝かしつけていた。

 私は少し変わった子供だった。周りの大人たちに言わせると、プーさんのクリストファーロビンみたいな子供だったらしい。ぬいぐるみが大好きで、そしてロビンと同じくとても想像力豊かな子供だった。

 今となっては、それが夢を見ているのか現実なのかよくわからないけれど、一人で眠りに就いていると、いろいろな音があちこちから聞こえて来た。

 ぎーっぎーっと木がきしむような音、ひゅんひゅんと何かが空中を飛んでいるような音、ちゃぷちゃぷと水を打つような音、チョーン、チョーンと拍子木を打つような甲高い音などなど。それらを耳にする度に私は怖くてじっと目を閉じて我慢していた。

 ある夜、白い土壁に浮かんだ10センチほどの黒いシミが剥がれて畳の上にポトッと落ちた。え? と思ってじっとその落ちた黒いものを見ていると、やがてそれは動き出して、黒いミミズのような生き物になり、床の上を這いまわり、やがて部屋の隅で再び壁の中へ吸い込まれるように消えて行った。

 と、その時だった。

「よう!」

 私の背後で男の子の声が聞えた。私が振り向くと、私と同じぐらいか、少し上ぐらいの男の子が私の方を向いてにこにこ笑っていた。男の子は綿のかすりの着物姿で、その時は、変わった服を着た子供だと思ったが、不思議と怖くはなかった。


「君は誰?」

「さっき黒ミミズがいただろ? あいつよくこの部屋を這いまわっているんだ」

「そうなの? やっぱりいるんだね?」

「ああ、オレは豊太郎って言うんだ」

「どうやってここへ入って来たの?」

「来たんじゃなくて、僕はずっとここにいるんだ。君がここへ来る前からね。オレの家なんだから」

「え、違うよ。ここはボクの家だよ」

「今はね。でも以前はオレの家だったんだ。そしてこの部屋はオレの部屋だったのさ」

「そうなんだ。ごめんね」

「いいよ。君みたいな子なら嬉しい。君の前にはいやらしい大人が寝ていたけどね、君が住んでくれてよかった。君、いつもひとりぼっちで寝ていただろ?」

「ああ、うん」

「なあ、オレと友達にならないか?」

「いいの?」

「もちろん」

 そして私は「豊太郎」と友達になった。でも彼に会えるのは、この部屋で一人で眠る時だけだった。それ以来、いつも私がベッドに入って、眠りに落ちるまで、彼といっしょにいろいろな話をした。またある時は、二人を乗せたベッドが窓から外に飛び出して、夜の街の空を飛んだこともあった。滲んだ街の夜景がきれいだったことを覚えている。

 やがて私は、一人で眠ることに、怖さも淋しさも感じなくなっていた。どんなに変な音が鳴っても、壁のシミが這いまわっても、豊太郎といっしょにいれば怖くはなかった。彼はとてもいい奴だった。

 5才になった。

 来年はいよいよ小学校だ。でも未だに眠るときは豊太郎といっしょだった。

 ある夜のこと。改まったように豊太郎は僕に言った。

「今までお前といて楽しかったよ。でも、オレはもう行かなければならない。残念だけどそろそろお別れだ。君に会えて、良かった。君のことは決して忘れない。元気でな……」

 私はとても驚いて、そしてじっと豊太郎の方を向いて、大粒の涙をポロポロ流しながら言った。

「豊太郎、そんなこと言わないで。行かないで、ずっと僕の傍にいてよ」

 すると豊太郎は私の涙で濡れた瞳をじっと見ながらこう言った。

「違うよ。行くのはオレじゃなくて君の方だよ」

 やがて私は、豊太郎の言葉通りに、いつしかすっかり彼のことを忘れてごく普通の少年になった。


 ある時、父母に連れられて、とあるお墓へお参りした時のこと。

「これは誰のお墓?」

 私が母に尋ねると、母は答えた。

「これはね、お父さんが世話になっていた偉い人のお墓よ」

 それは当時の父の上得意先のお墓であるらしい。ずいぶんと古そうなお墓だった。墓石がすっかり苔で緑色に変わっている。墓石の側面には、幾人かの名前が刻まれていたが、その中にある文字を見つけた。

 

 ――昭和元年 八月十一日没 俗名 豊太郎 行年 七才 

 

 あれからもう40年以上経つが、お盆とお彼岸には今でも必ずお参りするようにしている。

 墓石の前に立つと、未だに「よう」と声が聞える気がする。

 

                               了  

 


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