この打ち方は
私は趣味で麻雀を打つ。亡くなった母も晩年、暇があればファミコンの麻雀ゲームにはまっていた。あまりにそればかりしているものだから、古いブラウン管の画面に牌の形が焼けて付くほどだった。
今から40年ほど昔にさかのぼる。某大学に入学した私は、体育会系のクラブに入った。クラブの先輩たちは皆、麻雀が大好きで、講義そっちのけでキャンパスの周りに点在する学生向けの雀荘で卓を囲んでいた。
酷い先輩になると、朝から晩まで雀荘に入り浸り、後輩に講義の代理受講まで言いつける。当然、私たち新入生も入部当日から雀荘に連れて行かれた。否応なしだ。
私は高校の頃から、麻雀好きな母から一応並べる程度は教わっていたので、牌に触った事すらない他の新入生よりは多少はマシだったが、それでも毎日阿呆のように朝から晩まで入り浸っている先輩諸氏に敵うわけもなく、稼いだ微々たるバイト代をそれこそ毟り取られるように持って行かれた。
さてその当時、同級生で、M氏と言う男子学生がいた。私とはクラブもそうだが、研究室も同じで、寮も同じだった。
M氏ももちろん麻雀を打った。彼の打ち方は独特で、あまり深く考えたり、計算したりしないタイプで、いわゆる天性で打つタイプだった。
始めた頃は、場を見て、色々試行錯誤を繰り返し、確率の計算をして、考えに考え抜いて打つ、じっくり思考タイプだったので、早打ちのメンバーが揃うとどうもいけない。手が遅いと文句を言われ、挙句、焦って打ち込んでしまう。
それである時、それまでにかなりの負けも込んでいるし、もういいやと、勘に任せて手成りで打って見たところ、これが大勝ちが止まらない。
最初はそんなものは「まぐれ」だと、本人も周りの人間も思ったらしいが、いつまでたっても「まぐれ」が止まらない。もちろん大負けの日もあったが、ひとたびツキ出すともう手が付けられない。 私が強烈に覚えているのは、わずか1年間に、上がれば奇跡と言われた幻の九蓮宝燈を2回上がったことだろう。これには雀荘の住人とまで言われた先輩諸氏も舌を巻く始末。「こいつ怖い、絶対何かついてる」と言われ、上りが続くと、「Mの馬鹿ツキ」と命名までされるようになった。
そんな彼とも大学を卒業して、お互いの道を歩み出すと、すっかり疎遠になってしまって、せいぜい年賀状ぐらいの付き合いとなってしまった。
あれから40年。学生時代に仕込まれた麻雀は社会人になってからも、複雑な物理の公式なんかよりもよほど役立った。大学で学ぶことは、決して学業だけではなかったのだと実感している。
最近は、オンラインの麻雀ゲームでよく時間潰しをするようになった。
さて先日のこと、夕食を終えて風呂に入って、それから寝るまでの空き時間にけっこうネットの雀荘を覗くことがある。もちろんどこの誰かなんてわからない。当然相手の腕前も知らない。そんな者同士、ディスプレイの中で卓を囲む。
その日、打ち始めてしばらくして、私の対面に座っていた人の打ち方が荒っぽいことに気付いた。「おいおい、それ、そこで捨てるの?」 と言うような打ち方をずっと続けている。
しかし不思議と当たらない。それどころかどんどん高得点な手で上がる。よくそんな牌ツモったなと感心する手でどんどん上がる。
――おや、この打ち方、誰かに似ている……。
ああそうだ、Mだ。Mに違いない。これはまさしく、「Mの馬鹿ツキ」じゃないか!
そう思った途端、とても懐かしくて、なんだか泣きそうになった。結果はそいつの一人勝ちで終わったが、まったく悔しくはなかった。それどころかとても良い時間を過ごさせてもらった。
まさかこの対面はMではないだろうが、それまでずっと忘れていた遠い学生時代がまざまざと蘇った。もうあの頃には、戻れないんだと思うと少し淋しかった。
翌日。昼休み。秋晴れの空の下で、ビルの谷間の公園のベンチで一人、昼食を食べていた時のこと。
と、その時、携帯が鳴った。見れば、同じ学生時代の同級生だったN村君だった。私はそっと耳にあてる……。懐かしい声が聞えた。
――今朝、Mが亡くなった。癌やった。今、奥さんから連絡があったよ……。
彼は震える声でそう告げた。電話口のN村の悲痛な表情が見えた気がした。
私は電話を握りしめて、どこまでも高い空を仰いだ。
了