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生駒トンネル

母がまだ存命の頃に聞いた怪談話を一つ。


うちの父は昭和46年に亡くなり、母はお妾さんだったので本来はその時点で父との縁が途絶える筈だったのが、ある方の進言により、父の遺骨の一部を分骨していただけることになった。

 ところが母は元々地の人ではなかったのでこちらに墓所がない。ということで急遽、うちのお墓を購入する運びとなった。

 場所は霊山、生駒の中腹にある大きな霊園だった。なぜその場所にしたのかと言えば、生駒山は二人の初デートの地だったそうで、父と母が付き合い始めたころに、二人で生駒聖天さんに商売繁盛と将来の幸せを願ってお参りしたのだそうだ。

 そのお墓からは大阪平野が一望できる。たいへん見晴らしの良い場所だ。そのような二人だけの記念の地を父の墓に選んだ母はたいへんロマンティックな女性だったのだろう。

 

 ところが、母には気がかりなことがあった。

 そのお墓の真下を、近鉄が走っている。生駒トンネルだ。

 生駒トンネルと言えば、その建設から開業後も数々の事故により大阪で最も多くの犠牲者を出した場所だ。

 母はとても霊感が強い人だった。私や私の子供にもそれはある程度、遺伝しているのだろうが、母のそれは、これまでにも数々記事にして来た通り尋常ではなく強かった。

 

  生駒トンネル 


1964年、昭和39年。東京オリンピック開催の年。その年に旧生駒トンネルは廃止されて新生駒トンネルへと移行されたが、その廃止される少し前、母は奈良から大阪へと向かう最終列車に乗っていた。

 生駒駅を過ぎ、列車は長いトンネルへと差し掛かる。夜も遅かったので、車内は乗客もまばらで、よく効いた暖房のおかげで、母はついうとうとしてしまった。

 その当時の鉄道にはよくあることで、架線の切り替えの関係なのか、トンネル内で、車内の照明は、暗、明、暗、明、を繰り返した。

 パッと明るくなったその一瞬、向かい側の車窓に、何かが写った。黒っぽいものがちらりと見えた。

 え? 一瞬我が目を疑った。照明は、暗、明、暗、明、を繰り返す……。

 母はその時のことをこのように話してくれた。 


 ――電気がパッと点いた時な、窓にペタァッと男の顔が張り付いてたんや 


 目が合う。思わず、ヤバイ! と感じたそうだ。

 かつてその場所で酷い事故があったことは知っていた。そう言う目撃情報の噂のあることも知っていた。しかしまさか、自分がそれを目の当たりにするとは思いもしなかった。すっかり忘れていた。

 と、その時、魚の腐ったような酷い悪臭がつーんと母の鼻孔を刺激した。

 そして次に照明が戻った時、信じられないものを見てしまった。

 ついさっきまで車内はガラガラにすいていたはずなのに、気付けば車内は作業服を着た労務者で溢れかえっていた。

 しかも顔の潰れている者、腕や足の無い者、血まみれの者、腸のだらりと垂れ下がっている者、あきらかに事故の犠牲者らしき大勢の男たちでほぼ車内は地獄絵図と化していた。

 その死者たちが、座っている母を中心にして、まるで詰め寄せるように迫る。母は思わず目を閉じて手を合わせ、「南無大師遍照金剛」と心の中で唱えた。

 すると白い光が母を包み込み、その数えきれないほどいた不浄の者たちはパッと消え去り、元のすいた車内に戻ったのだそうだ。

「ああ、きっと大日如来さんが助けてくれはったんや」と母は言う。

 それ以来二度と大阪行き最終には乗らないようにしていたと言う。

 

 母は常々より、自分の守り本尊である大日如来を信仰していた。病気で動けなくなるまで、元旦には、大日如来様のお札をもらいに、清荒神清澄寺へ年老いた体に鞭打って山道をせっせと登っていた。社務所の人とは顔見知りになるほどだったのだろう。

 母が亡くなった後、私が元旦に母の代わりで行き、お札をもらおうとした時、社務所の年輩の方が「ああ、お母上は、如来様の下へと旅立たれましたか」と私のことは知らないはずなのにおっしゃられた。

 そんな母だから、きっとその列車にいた霊たちは皆いっしょに連れて行ってもらったのだろうと思っている。

 

  旧生駒トンネル 事故データ

  1913年 落盤事故 152名が生き埋めになり、死者20名

  1946年 列車どうしの衝突による火災 死者18名

  1947年 トンネル通過中、モーターからの火災により事故 負傷者40名

  1948年 トンネル内で発生したブレーキ故障による列車暴走

        負傷者282名 死者49名

 

 この後、母と同じで、すいている終電の車内で幽霊の目撃者が後を絶たないために、近鉄が動いた。最終電車の後に、回送電車を走らしたところ、最終電車の目撃例はなくなった。これで一件落着かと思われたが、今度はその回送列車の車内に多数の幽霊が目撃されるようになったため、近鉄は苦肉の策として、架空のダイヤを作り、「走らない最終電車」を公表した。それにより、実際に走らせた最終電車(ダイヤ上は最終一本前)から幽霊目撃事例がなくなったとのことだった。

 大手鉄道会社が、幽霊のために公に電車を走らせたと言う事実を、どう受け止めるべきか。それともう一つ。現在のけいはんな線は、新石切から生駒までトンネルを通るが、そのトンネルの一部が事故多発の旧生駒トンネルを使用している。


                                了  



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