悲しきIさん――ナナちゃん奇譚⑬その6
悲しきIさん――ナナちゃん奇譚⑬その6
「これ、遺書やな」
「うん」
「と言うことは、Iさんは?」
「…………」
「そうか……」
「でもな、あたし、彼女は自殺やないって思ってる。絶望の上の死じゃなくて、あくまで、母親として愛する翔一君を守りたかった。翔一君をそんな体にしてしまった母親としての責務を全うしたかった。ほんでいつまでもいっしょにいたかったんやと思うわ」
「つまり死にたくて死んだわけじゃなくて、死は一つの手段と言うことか」
「それはあたし確信してるねん。知ってるんよ」
「なんでそう言えるの?」
ナナちゃんは、Iさんから届いた遺書を手掛かりに彼女の足取りを追った。
まず、Iさんの自宅に一番近い警察署へ車で向かい、この手紙を見せたらしい。
そしてその近くで何かしらの事件や若い女性の自殺の情報がないかを尋ねた。全国の身元不明死者の情報は、今は簡単にわかるのだそうだ。
しかしIさんらしき、自殺者や、あるいはIさんらしき事件性のある身元不明の遺体についての情報は、その所轄内では一切上がって来ていなかった。
そこでナナちゃんはIさんについてのこれまでの情報を相談窓口で話すと、先日起きた翔一君の死亡事故や、6年前のK谷の事件のことまですぐにわかった。
何とも不思議なことにK谷の事件を担当したその同じ刑事が、先日の翔一君の事故も担当していた。なるほど、だからこそ、あの手紙にあるような温情処理がなされたのだと私は腑に落ちた。
翔一君の遺体は、検死の後、事件性がないと言うことで、Iさんに戻されたが、Iさんは誰に知らせることもなく、遺体を火葬場で荼毘に付し、その遺骨を持ち帰ったらしい。しかしその後のIさんの行方がわからない。
すぐに警察は動いた。尋常ではない経緯と信憑性のある手紙が一刻の猶予もないことを物語っていた。
まず生活課の地域担当の署員が、Iさんの住んでいたマンションを訪ねてオーナーからIさんの賃貸契約書を入手し、そこからIさんの個人情報を得て、手掛かりになりそうなところを隈なく当たった。
Iさんの友人知人、職場関係は不明で、それこそ親しかったのはナナちゃん一人ぐらいで、国の母親には連絡が取れたが、高校を卒業後、家を出て行ったきり音信不通なので行方がわからないと言う。
しかしIさんは普通乗用車を所有していた。翔一君の送迎のためには必須だったのだろう。そこで登録されている車種とナンバーが判明。すぐにそのナンバーの車が捜索されることになった。車は白の日産マーチだった。
ここまでの情報を得るのに半日もかからなかった。後は手配された地域の情報を待つだけだ。
そして翌日の夕方、早くもナナちゃんの下にIさん発見の連絡が入った。
Iさんの家から20キロほど離れた大阪で唯一の村である、千早赤阪の府道わきの私有地に、捜索願の出されていた白の日産マーチを警邏中の警官が発見。
しかし運転手の姿はなく、警官がその周辺を捜索すると、そこから百メートルほど入った林の中で、Iさんを発見した。
残念ながらIさんは変わり果てた姿だった。死因は縊死。つまり首吊りによる自殺だった。Iさんは翔一君の遺骨以外は何も持っていなかった。もちろん遺書らしきものはなかったので、やはりナナちゃんが持っていた手紙が遺書であることが確定した。
唯一の所持品であった翔一君の遺骨を納めた小さな骨壺はIさんの胸にぶら下げられた形で発見された。それはまるでIさんが翔一君をしっかりとその胸に抱いたまま天国へと旅立ったように見えたと言う。
――母親として愛する翔一君を守りたかった。いつまでもいっしょにいたかったんや。
今、そう言ったナナちゃんの気持ちが痛いほどわかる。
「次に生まれ変わったら、きっとごく普通の親子になったらええな」
ナナちゃんは泣きながら言った。私も頷いた。そんなごく当たり前の親子になれることを、心から願った。Iさんの遺体は、すぐに荼毘に付され、翔一君の遺骨と共に、国から来られたお母さんが泣きながら連れて帰ったそうだ。あの義父ももういないのだと言う。
――だから安心して帰ってください。あなたの痛みは、私にも、ナナちゃんにもちゃんと伝わったよ。本当に辛かったね。どうぞ安心して。安らかに眠ってください。
ナナちゃん、もう泣かないで。
赤ん坊を抱いた女性は、こちらを見てにっこり微笑んでいます。
だからナナちゃん、もう泣かないで……。
了