あるダイバーの死
刻々と迫りくる死の恐怖とはどのようなものなのだろう。
これは知り合いのプロダイバーが亡くなった時の記録です。確実な死がやって来るその瞬間まで人間の意識はどのように変化して行くのかを記録したものです。
あるダイバーの記録から――死について
K氏が亡くなってからもう40年になる。
彼は当時、業界では知らない人はいないほど有名な水中カメラマンだった。潜水歴は30年以上。彼は自分でももちろん毎日のように潜っていたが、それとは別にダイビングショップを営んでいた。私も海の仕事に従事していたので、彼には大変お世話になっていた。
ある日、その彼が事故で亡くなったと言う知らせが届いた。青天の霹靂とはこのことだった。つい昨日も会って話をしていたのに。潜水歴30年の彼が、あっさり命を落とすなんて信じられなかった。そして事故の状況を聞いた時、私はさらに信じられなくなった。
その日彼は、いつも潜るY岬沖で、海綿やウミウシなどの軟体動物の写真を撮るために単独で潜っていた。
しかし、日が暮れても戻らない彼の安否を心配して、奥さんが捜索願を出した。Y漁港から陸沿いに約2キロほど行った海上で彼の船は発見された。誰も乗っていない船外機ボート、すぐそばの海面には潜水フラッグが浮かんでいた。フラッグから陸まではわずか50mほどだったと言う。
そのあたりの海を捜索した結果、水深10mもない浅瀬で彼の遺体は発見された。死因は溺死だった。エビ網と呼ばれる刺網に引っかかってがんじがらめになっていたそうだ。
私も仕事で潜っていたので、水中では赤いナイロン網はとても見にくくなることは知っていた。
注意が必要だ。けれど、素人ならまだしも、あの潜水歴30年のベテランダイバーの彼が、小さな刺網に囚われて水死するなんて到底信じられなかった。
足の脛に巻いたナイフホルダーにナイフはなかった。彼を発見したダイバーの懐中電灯に照らされて、約2mほど下の海底でキラりと光っていたらしい。一番大切な場面で、彼は命のナイフを落としてしまった。その上、タンク、BCジャケットその他の装備も外していない。カメラも首にぶらさげたまま。外れていたのはレギュレターのマウスピースと水中マスクだった。最後にもがいてはずしたのだろう。冷静に考えたなら、装備をうまく脱げば脱出できたかもしれない。なぜだ? 起きるはずはない事故だ。私は首を傾げた。
当時世話になっていた漁協の長は言う。
「よう聞けよ。お前はまだ若いからわからんじゃろうけども、“そんなこと、起きる筈がない、起こる筈もない、想定すらしていない” そこに事故は起きる、それが事故と言うものじゃよ」
ずっしりと重みのある言葉だと思った。
遺品の中に、彼が最後の最後まで手放さなかった、カメラと、水中ノートがあった。カメラにはもちろんフィルムが入っていた。現像すると、色鮮やかな熱帯魚や海綿などの海の生き物の写真と、フィルムの最後のあたりには水面から入って来る白い光を移した写真が数枚あった。光が、放射線状に海面から届いている。手を伸ばせばすぐそこにそれはあったのだろう。そしてそれらの写真と共に鉛筆でなぐり書きされた水中ノートがあった。
「ないふおとした どうしてもぬけられない さっきからかなりがんばった うごかない くうきもうあまりない。たぶんだめだ 光がこんなにみえているのに、りくはすぐなのに、もうとどかない けいこごめんみせをたのむ」
どれほどの恐怖と戦ったのだろう。溺死は死因の中でももっとも苦しそうな死に方に違いない。
レギュレターのマウスピースが噛み千切れていたらしい。どれだけ吸おうとしても一息も吸えない。もしかしたら最後は自分から水を吸い込んだのだろうか。
きっと水深わずか10mの海底で、死ぬほど咳き込んだのだろう。どんなに咳をしても入って来るのは水ばかりだ。
すぐに楽になったのだろうか。すぐに苦しくなくなっただろうか。もうどうあっても助からないなら、そうであることを祈った。当たり前だが、人間は、海の中では生きられない。
あれから私は潜ることが怖くなった。
海底で残り少なくなったエアゲージを確認するたびに、彼の声が聞こえる。
――くうきもうあまりない
了