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美鈴さん姐さん③――声

 美鈴さん姐さん③――声


 それ以後、出産まで何度も繰り返される本妻さん側からの嫌がらせにもめげず、医者が止めるのも聞かず、はたして、出産は3日3晩苦しみ、最後は大量出血で、子宮も卵巣も全摘して膀胱まで傷つけて、それでも母は私を産んだ。

 また、私も仮死状態でかなりの時間生死の境を彷徨っていたようだが、なんとか蘇生された。その後、母は何週間も生死の境を彷徨い、もう、いよいよだと、父たちは葬式の段取りまでしていた。でも母は死の淵から蘇った。その手に私を抱くために。そして父と3人で喜び合うために。

 それほどまでして母は、自分と父の子供が欲しいと願った。いったいどれほど強い念だったことだろう。その念が天に通じて奇跡を起こした。だから私のこの体の中には母の強い強い念が今でも渦巻いているのだろう。


 私が生まれて以来、父と母にはさらに多忙な日々が待ち受けていた。

 父が家に帰って来るのはいつも夜中だったので、私が父の顔を見ることは週に何日もなかった。父は大変ワンマンで厳しい人で通っていた。私の記憶にも父の笑顔はない。でもたまに私と会った時は、いつも私の体調を気遣い、「妾」と言う立場にある母と、私の「親子」としての関係を気遣い、そして何かしらプレゼントを持って来てくれた。


 母はすべてを手に入れたかに見えたが、世の中そんなにうまく事は運ばない。この後、私たち親子3人にまたしても悲劇が襲い掛かった。

 昭和45年春。私は小学校2年生の時のことだった。

 父の体に異変が起こった。

 父は元々あまり丈夫ではなかった。特に胃腸が弱く、いつもたくさんの薬を持ち歩いていた。しかし仕事を最優先にしていたために自分の体はいつも後回しにしていた。

 ある日、あまりの腹痛のため、とうとう父は病院を訪ねた。その結果、出された病名は胆管癌であった。それももうかなり進行していて、肝臓に転移していたために手の施しようがなかった。余命1年だったそうだ。

 

 そんなある日、母と私は父の部下と名乗る人の黒塗りの大きな車に乗せられて、どこかへ連れていかれた。着いた所は、近くに大きな運河のある、立派な門構えの家だった。私は広い玄関で靴を脱ぎ、きちんと逆向きに靴を揃えさせられて上がった。

 広い座敷に通されると、雑談している男女数人の知らない大人たちが、私たちの到着を待っているように見えた。母と私が入ると、皆は雑談を止め、珍しいものでも見るように、一斉に私の方を見た。

 その中の一人、中央に中年の女性が煙草を吸いながら座っていた。紫煙を吐き出しながらその女性は私をじっと見る。

 その部屋に入った時、この女性に黒いモヤモヤしたものが纏わりついているのがわかった。理由もなく私はこの女性はきっと悪い人だと瞬間的に感じていた。怖かった。きっと私はこの人に怒られる、と、本能的に思った。女性は吸っていた煙草を灰皿にぎゅっと押し付け、こちらを見ると、

「美鈴はん、ようお越し」と冷たく言い放った。

 そして次の瞬間、私は今まで見たことのない母の姿を見た。

 母は畳に両手をついて、深々と頭を下げた。

「おかみさん、今までのご無礼、許されるものではないことは重々承知しております。その上で最後のお願いに参りました」

 その女性の目つきが変わった。

「ほぉ、泥棒猫がまだ言うんか?」

 私は今も覚えている、その女性は、身の毛もよだつ声ではっきりそう言った。

 私は驚いて母を見た。その時、母の声が聞こえたような気がした。


  ――坊、わたしを守って……。


 そして母は言った。額を畳にこすりつけたままで。

「おかみさん、どうか、どうか、最期まで、旦さんの傍で看病させてください。もしお許しいただけるのなら、その後は、私ら親子はもう何もいりません。この家のもの、旦さんの物はすべてお返しします。そやから、どうぞ、一生のお願いです。最期まで傍におらしてください」


 後から父の本家だと知った。母は、本妻さんに嘆願に来たのだ。私を連れて。おそらくその時の私は、母に取って一番の勇気の源であり、また武器だったはずだ。

 この時点で、父の余命幾ばくもないことは、皆周知の事実だった。

 しかしこの母の気迫にはその場の皆が呑み込まれてしまった。私も本当に驚いた。いつもあんなにやさしかった母が、涙ながらに頭を下げて言ったのだから。母の強さを垣間見た気がした。


 それから約10か月、母は父の病院に詰めることになった。

 母は父の会社の仕事も引き継いでいたので、その身は多忙を極め、昼間は仕事、夜は病院で寝泊まりする生活が続いた。

 父は一度だけ手術を受けたが、結局、何もできずにそのままお腹を閉じたと言う。もう手の施しようがなかった。そして翌年2月。私が学校から帰り、ミルクを飲んでいる時、家政婦さんの一人が私の傍に座り、そして静かに言った。

 

 ――お父さん、亡くなったよ。 

 

 実は朝方、私は父の声を聞いた。父はベッドに眠る私の傍に立ち、一言「母ちゃんを頼む」とだけ言った。夢だったのかもしれない。でも間違いなく父の声だった。

 2月7日。深夜。寒い夜だった。

「さあ起きて」 

 声が聞えた。私が目を開けると、母が私をじっと見ている。

「さあ、お父ちゃんとこへ行くよ。起きて、着替えて」

 私は眠い目をこすりながら、白いシャツに袖を通し、着たこともない黒い服を着せられて、表に出ると、前に乗ったことのある黒い大きな車が家の前に停まっていた。運転をしているのも前と同じ男の人だった。

 私と母は乗り込み、車は発進した。

「あれ? 病院じゃないの?」

「うん。もう、病院へは行かへんよ」

 母は淋しそうにぽつりと言った。

 着いたところは、あの運河の傍にある大きな門構えの家だった。

 座敷に通される。線香の匂いがした。座敷の中央に金の布団を敷き、白い着物を着た人が横たわっていた。 顔を布で覆ってあって誰だかわからなかった。

 ただ茶碗に山盛りのご飯にお箸が立てられていてとても不思議に思えた。私がその茶碗を指差すと、母が頷き「さあ、顔を見てあげて」と言った。知らない女の人がそっと顔の布を取る。


 ――ヒデ……。


 一瞬、父の私を呼ぶ声が聞えた気がした。

 痩せて鼻に血の滲んだ詰め物をした父だった。とても不思議な感じがしていた。

 私は父の死を受け入れられないでいる。

「さあ、よく見て。お父ちゃんやで」

 きょとんとしている私に母が泣きながら言った。

 そうか、父はもう死んだのか……何となくそう思った。

 と、その時、「ヒデ、母ちゃんを頼む」 また父の声が聞えた。今度ははっきりと聞こえた。

 私は横たわる父の口元をじっと見るが、唇は少し開いたままで動かない。

 

 時間にしてたぶんその家には10分も居なかっただろう。私と母はまるで追い出されるように本家を出た。東の空が白み始めている。息が真っ白に輝いていた。とても寒い朝だった。

 

 次の日は父の告別式だった。父の寄付で建てられたと言う町民ホールで、壮大に式は挙げられた。会社関係、役人、議員、様々な来賓が弔問に訪れていた。でも私と母は、一番後ろの席に座った。

 あの車を運転していた父の部下が隣で怒っていた。

「奥さん、私は悔しい。坊ちゃんがもう少し大きかったら。実の父親やのに、こんな末席に座らされて!」

 そう涙ながらに言っていた。

 後から聞いた話では、この人はずっと若い頃から父の運転手だったらしい。結局、その後、会社を辞めることになった。いつの世も、主人が負けると、その部下も飛ばされるのだと思った。

 最後の最後、私たち親子に、棺に花を添える機会が与えられた。

「さあ、もう最期やから、よう見ておきや」

 母が私の顔をじっと見ながら言った。私は白い花をそっと父の胸元に添える。


 ――ヒデ。母ちゃん、頼んだぞ……。

 

 父の声がまた聞こえた。

 同時に、どこかで甲高い鳥の鳴き声が聞こえた。――あの鳥はなんだろう。

 と、その時、私は、すーっと、父が死んだことを理解した。幼い私の頬を涙が一滴伝い落ちた。

 

 告別式は終わった。 結局私たち親子は、焼き場にも行くことも許されなかった。その後、父の会社は、本妻さんの懇意にしていた父の若い部下を、養子に迎え入れることで存続された。

 あの日の母の約束通り、私たちはもう全くの他人になってしまった。

 

 今ははっきりわかる。母さんが、本妻さんに直談判をしに行ったあの日、どれほどの強い気持ちだったことだろう。母は、最後の1年、父さんのそばに居られてよかったと思う。

 父さんは、病気で寝たきりだったけれど、母さんにとって、この1年はきっと一生分の幸せだったに違いない。文句なしに母さんの勝ちだったのだと思う。

 そして父はやはり私の父だ。いつまでも、この先も、変わることはない。こんなにもすごい二人の血が私の中に流れている。

 心から誇りに思う。産んでくれて本当にありがとうと思える。

 さて、私は、父との約束を守ることができただろうか。母を支えることができただろうか。すでにその母も亡くなり、きっと今は向こうで幸せに暮らしているのだろう。


                                 了



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