知らせ――音について
知らせ――音について
先週から、ここ1週間ぐらい、テレビの音やその他音楽など、音源は前にあるのに、右耳のすぐ後ろから聞こえるようになりました。
それもテレビ音源の音声とは何やら少し違います。人がボソボソと囁くような、あるいは何かを等間隔で叩く電子音のような音が聞こえます。
最初は、気のせいかと思っていました。
ところがそのうち音源のない、洗面所や風呂場、さらにはリビングに居る時にまで聞こえるようになりました。
気にしなければ何ともないですが、ふとした拍子に 「あ、また鳴っている」と気付くのです。
今までこんな経験はありません。 自分の精神がおかしくなったのか、あるいは何か悪い病気なのかと心配になり、連れ合いに「音、聞えへん?」と聞きましたが、彼女は冷静に「いいや何も」と答えます。
これはいよいよおかしい。病院へ行った方がいいのでは? と思っていましたら、その晩のこと、40年来の付き合いのある大学の同級生から久しぶりに電話がありました。
そいつとは年始に新年会で会い、その後、世間がコロナ禍に見舞われて、6月に、昔の仲間で「オンライン飲み会」をやろうとメッセージがありましたが、面倒なのと、忙しいのとで、申し訳ないですが、少しうやむやになっていたところでした。
きっとそのことかと思っていましたら……。 開口一番。
「あのな、〇〇、あかんかったらしい」
○○とは、同じく大学の同じ研究室にいた古くからの仲間でした。そして一昨年、体調を崩したと聞き、それ以来連絡がありません。
私は新年会の幹事でしたので、昨年の11月に一度彼の自宅に電話しました。その時、電話口の彼の奥様が、「申し訳ないけれど、主人は新年会には出れません」とおっしゃいました。
その理由については、どうも言葉を濁します。噂で彼が入院していたことは知っていましたが、まさかそんなに重篤だったとは思いもしませんでした。ちなみに、彼と私は同じ50代です。まだ還暦にもなっていません。
明日の夜がお通夜だと言うことで、顔を出すつもりではおりますが、おそらく「きっと、若すぎる」と皆が口をそろえて言うのでしょう。
確かに若い。けれども、人の死とはそういうものであること。
その突然の訃報を受けて私は、ずっと忘れていた大事なこと――死は、私たちと常に共にあることを思い出しました。 与えられた命を、私たちは大事に生きないといけない。
そしてその電話を境に、例の音はぱったりと聞えなくなりました。
何か私に言いたかったのか。別れを告げたかったのか。そう言えば、昔から、ボソボソとしゃべる奴だったことを思い出しました。
ちょっとお調子者で、ひょうきんで、いつもにこにこしていた元気なあいつの姿がずっと脳裏から離れません。
※ ※
さて、夕べ、その亡くなった同級生の通夜に行って参りました。
そこには気丈に振る舞う奥様の姿がありました。通夜式が終わり、私も感極まることをぐっと抑えてなるべく明るく見送ってあげようと、棺に納められた彼のご尊顔を見た時のこと。
まだ若い奥様が、「こんなご時世だから、面会もできなくて、最期も会うことができなかった」と悲しみを堪えて私に言いました。
その深い悲しみに包まれた奥様の顔を見た時、なぜか私は自分の意思とは関係なく、先週から彼が亡くなる日まで聞こえていた音のことを口にしていました。
なぜ、亡くなった彼を目の前にして、悲しみに暮れる奥様にそんなことを口走ってしまったのか、自分でもわかりませんでした。
「あの、先週の水曜からね、耳元で何か声のような雑音のような音が聞こえるんですよ」
「え? 水曜から?」
その瞬間、奥様の表情が豹変しました。
これは悪いことを言ってしまったか、と大変心の中で悔いておりましたところ、奥様がスマホを取り出して、私にすっと差し出しました。
「これは?」
「リモート面会です。先週の水曜の。今はこうやってリモートでしか顔をみることができなくて。見てあげてください」
そこには病床でこちらをうつろな目で見る故人の姿がありました。
と、その時、音声が聞えました。
コン、コン、ガサッガサッ、コン、コン……き こえて る、コンガサガサガサ、こえ、んだ……プチプチプチ……
「ああ、きっと、主人は、そっちに行ったんですね。またみんなでいっしょに遊びたかったんやと思います……」
その頬を涙が一滴伝い、そして奥様はにっこり笑ってそのように言われました。
私は、ぐっと堪えてただ頷きました。
――彼は、俺のことを忘れるな、とでも言いたかったのか、あるいは、残された家族のことを心配していたのか、今となってはわかりませんが、何かを伝えたかったことは確かです。
私は奥様を励まして、そしてその場を後にしました。友の冥福を祈りつつ。
了