盂蘭盆会
精霊と言うと、一般的には、自然界の水や木や土に宿る「気」のことを指しますが、仏教ではこれを「せいれい」ではなく「しょうろう」もしくは「しょうりょう」と呼び、亡くなった人の魂のことを指します。よく知られた例で、お盆に川に流す「精霊流し」や、お盆に亡くなった人の魂を乗せて帰って来る精霊蜻蛉、精霊飛蝗などが挙げられます。
実際にお盆の時期になると、生き物には死者の魂が宿るので殺生をしてはいけないと言われますが、これを身を持って体験した出来事を書いてみたいと思います。
盂蘭盆会
私は昔、ある離島の漁村に1年ほど住んでいました。その村の人々は皆大変に信心深かった。そんなある一軒の旧家のお話です。
都会で生まれ育った私は、昔ながらのお盆の風習をこの島で初めて目にしました。
その村の共同墓地は、海の見える低い山の中腹にありました。
8月13日の宵になると、手に手に提灯をぶら下げた村人たちの列が、墓地から漁村まで続きます。下から見るとその提灯の灯りが青い闇の中にちらちらまたたいてとても幻想的に見えました。
私がじっと見ていると、隣家の年輩の男性が「あれはお迎え火の行列じゃ」と教えてくれました。
先祖のお墓の前で、今の世を生きているその家の人が「おがら」と言う乾燥した麻の芯を燃やして、先祖の霊が迷わないようにお迎えするのだそうです。その火を提灯に移し、それを先祖の霊と共に、注意しながら絶やすことなく家まで持ち帰ります。
隣の家でも、年配の男性が、先祖の霊を迎え入れるための準備をしていました。私はしばらくその様子を見ていると、その隣家の男性が私にこんなことを言いました。
「もうすぐ帰って来るよ。見ててみ、面白いものが見られるよ」
「何んですか?」
「それは帰って来ての楽しみじゃ」
しばらくすると、手に提灯を提げたその家のおかみさんと高校生ぐらいの娘さんが戻って来ました。すると突然、ブーンと言う羽音が聞えたかと思うと、どこからか1匹の油蝉が飛んで来て、一直線に隣の家に飛び込んで行きました。
「蝉? ですか?」
「そうよ。毎年この時間になったら飛んで来るんよ」
蝉は、開け放った玄関から入り、一直線に仏間を目指し、仏壇の中に飛び込むのだそうです。
「蝉に乗って帰って来られるんかいのう。さあ、これでうちのお迎えは仕舞いじゃ」
「あの蝉はどうなるんですか?」
「消えよるよ」
「そんなバカな」
私が疑うと、なんとも不思議なお話を教えてくれました。
それは、ある年、飛んで来た蝉を、4才になる孫息子が虫取り網で捕まえて、籠に入れたのだそうです。
そして翌朝、籠を見ると、確かに籠の中に入れたはずの蝉が忽然と消えてしまったと言うことです。もちろん誰も籠をさわってはいません。
この話を人に話すと、普通はそんなことあり得ない、作り話だろう? と言うところですが、この島の人はみんな「なるほどの」とさも当たり前のように言います。
昔は日本中どこでも、誰もが、疑いもなく信じていた。
それは先祖や亡くなった方に対する感謝の念を忘れないと言う意味もあったのだろうと思います。とても良い風習だと思いました。
お盆に殺生をしてはいけないと言われる理由を身を持って知った出来事でした。
了