道を渡る
突然ですが、あなたは霊と接触したこと、ありますか?
これは私の今までの数度に渡る手痛い経験から、もしくは人づてに聞いた話から、ある知見に至った事象です。しかしこれはあくまでも私個人の考え方なので、必ずしも確証があるわけではありません。また、私と同じような経験をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひお話しをお聞きしたいと思います。
道を渡る
私は高校生から現在に至るまで趣味でオートバイに乗っています。これは今から20年ほど前の出来事です。
ある良く晴れた秋の休日。その日、私は職場のバイク仲間のT氏と二人、私のホームグラウンドとも言うべき峠道へツーリングに出かけておりました。
暑くもなく寒くもなく、ツーリングには絶好の日和でした。大変に急カーブの多い峠道ではありましたが、私とT氏は、大阪人のお笑いの例えで言うなら、「ドブ板の数まで知っている」レベルの道でしたから、調子に乗ってかなりアグレッシブにカーブを攻めておりました。今思えば若気の至り以外の何物でもありません。
そして次々に迫るカーブに臆することなく私はピタリとラインに乗ってコーナーに沈んで行ったその次の瞬間、まるでテレビの電源がプツリと切れたように私の記憶がそこで無くなりました。
「おーい、そこにおったら危ない! 車が来る!」
どこかでT氏の声が聞こえました。
気付けば、私は右手にスパナを持ち、道の真ん中でじっとしゃがんでいました。
――え? 俺、ここで何してんの?
ここでようやく我に返りました。T氏の話によれば、前を走っていた私は、今居るカーブの直前に、突然、勢い良くバイクごと空中高くに吹っ飛ばされたらしいです。
「2m、いや3mは飛んだかな。俺、あんなにきれいに空中で真っ逆さまになったバイク、初めて見たわ」
T氏が感心した様子で言います。乗っていたバイクを見ると、ハンドルからタンクにかけて、そのトップ面だけがきれいにこすれていました。これは空中で逆立ちしてそのまま地面に落下したためについた傷でしょう。
おそらく論理的に考えられるのは、カーブで路面のグリップを失い、ドリフトを始めたタイヤが、突然グリップを取り戻した時に反対側に吹っ飛ばされる、いわゆる「ハイサイド」と言う現象。
通常はサーキットぐらいでしかあまりお目にかからない派手な転倒ですが、今はそれしか考えられない。しかし、一般道で、いくら飛ばし気味に走っていたからと言ってそうそう起こるものでしょうか。
そしてT氏によれば、私は、転倒したバイクをすぐに自分で起こして路肩に寄せていたらしいですが、まったく覚えがありません。気を失いながら体だけ動いていたのか、あるいは今の自分が眠っている時に別の自分が覚醒して体を動かしていたのか。考えれば考えるほど不思議です。
そして一番の謎は、これだけの派手な転倒にもかかわらず、私自身の体は、記憶が飛んだ以外はまったくの無傷で、バイクもトップに擦った傷とミラーが折れたぐらいであとは大した損傷はない。不幸中の幸いと喜んで良いのかどうかと悩むほどでした。
「ちょっと休んだ方がいい」
すぐに動き出そうとした私に対してT氏は、そう声を掛けました。私は頷き、そしてバイクを安全なところに寄せて止め、T氏の言う通り、休憩することにしました。ジャケットを脱いで、ウエストバッグからお茶を取り出して一口飲む。ようやく気持ちが落ち着いて来ました。
けれど、おおよそ転倒してから約30分、その間の記憶は一向に戻りそうもない。
何かもやもやしたものが私の脳裏を過ぎります。何か変です。そこで私は、記憶のなくなる直前のことを思い出そうとしました――最後に何かを見たはずだ、あれは何だったのか……。
私は正面の青い空を茫然と見上げました。それから視線を下げれば緑の山が目に入り、さらに下げた時のこと。目の前の道路を挟んで、向かい側の杉林の中に何か見えます。私はおもむろに立ち上がり「おい、どこ行くんや?」と言うT氏の声に耳も貸さず、道を渡り、林の中へと足を踏み入れました。
人一人歩けるぐらいの小径が杉木立の中を奥へと続いていました。
私はまるでその奥から何かに呼ばれるようにふらふらと入って行きました。その後をT氏も慌てて追って来ます。
おそらく50mも進まないうちに、小径は行き止まりになりました。
「なんや、行き止まりやで。戻ろ戻ろ」
T氏がさもつまらなさそうに言います。あたりには湿り気を帯びた土と木の香りが漂っていました。道はそこで終わっていましたが、周りを見ると、木々の間に何か見えます。
よく見ると、人間の膝ぐらいの大きさの四角い石らしきものが十数基ほど立っていました。
「これ、お墓ちゃうか、ちょっと気持ち悪いわ。はよ戻ろて」
私はT氏が言うのも無視して木々の間に並ぶ石に近付きます。
ずいぶんと古そうな墓石です。緑色に苔むしていて字ははっきりと読めませんが、戦前か、もっと昔からありそうなお墓でした。おそらく、この地域の里のものでしょう。
と、その時、思い出したのです。
私は確かカーブに入る寸前に、見たのです。
手ぬぐいを古風な姉さん被りにした割烹着姿の女性と着物姿の小さな女の子が二人仲良く手を繋いで歩いて道路を渡っていたことを。
――これだったか……。
私は静かに手を合わせました。隣でよくわかっていないT氏も同じように手を合わせていました。
「霊道」だったに違いありません。あっ、と思った次の瞬間に私は右手にスパナを持ち、道路にしゃがんでいた。
後でT氏に聞けば、「何をアホなこと。そんなもんおるかいな! おまえ調子に乗り過ぎや」と言います。いや、確かにいた。
この辺りはお茶の名産地なので茶畑で作業をする人かとも思いましたが、どうも違う。着ている服があまりにも古風でした。
やはり……。霊との接触。ということは、霊体と言うものはすさまじいエネルギーを持っているのかもしれません。
了