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離岸流

  もうずっと昔、まだ私が大学生だった頃、毎年夏休みになると、和歌山と三重の県境にある海水浴場の海の家でアルバイトをしていた。これはそこで聞いた、その浜の安全を守るライフセイバーたちの間に伝わる奇妙なお話です。

 

   離岸流

 

 お盆に海に入ってはいけないとよく言われている。宗教的な理由、霊障の類、あるいは物理的、もしくは有害生物等に対する教訓など、諸説あるが、明確な理由はわかっていない。

 その中でも、ライフセイバーたちは特に潮流の変化に留意している。

 最近ニュースなどでちょくちょく耳にするようになった言葉で「離岸流」と言うものがある。

 8月も半ばを過ぎると、遠い海上で発生する台風などの影響により、潮の流れが急に変わる現象が起こる。特に怖いのが土用波に伴う離岸流の発生だ。これは読んで字のごとく、波が岸から沖へ向かって戻ろうとする時に起こる強い流れのことで、速いところでは、なんと毎秒2m~3mにも達するのだそうだ。 波打ち際で遊んでいてもあっという間に沖までさらわれて行く。どんなに泳ぎの達者な人でも離岸流を遡ることはできない。

 

 8月15日の夕方。お盆休みも終わりを迎え、海の家などのシーズンイベントも仕舞い始めた頃だった。遠方から遊びに来ていた数人の学生たちが血相を変えて管理事務所を訪れた。

 グループでいっしょに来ていたA君(19才男性)がこの時間になっても戻らないと言う。そのいなくなったA君は、高校時代、水泳部だったこともあり、他の連中が砂浜で海水浴を楽しんでいる間も、一人、午後からビーチの外れの岩場で得意の素潜りしていたらしい。

 帰りが遅いのは、まだどこかで、みやげの貝などを採集しているのだろうと、みんな大して心配はしていなかった。しかしあまりにも遅いので、不安に思った仲間たちが、岩場やビーチだけではなく、駐車場や宿屋街など、いろいろ手分けして探したが、どこにもその男性の姿はなく、いよいよ心配になり、最終的に管理事務所を訪れたと言うことだ。

 管理人は「なぜもっと早くに来ない!」と叱りたい気持ちも山々に至急、手の空いた人員を総動員して浜の探索に当たった。

 

 実はその日、午後からの海上コンディションについてライフセイバーたちの間で論議がなされていた。午後3時ぐらいまでは、少しクラゲは出ていたが、海上はベタ凪にも近い絶好の海水浴コンディションだった。

 しかし、午後4時を回ると、にわかに様子が変わり出した。それまで平穏だった沖合に、突如として白波が立ち始め、あっという間に大きな土用波が浜に押し寄せ出した。

 前日に遥か2千キロの南の海上に発生した台風が原因だったが、その浜は日ごろからけっこう波の高いことでも有名な場所だったため、遊泳禁止にするかどうか、ぎりぎりのラインだったらしい。

 いっしょに来ていた学生たちは、高波に対する注意の呼びかけアナウンスを何度も耳にしていたはずだ。それにも関わらず、大して気にしていなかった。

 

 ライフセイバーたちが一番懸念していたのは、土用波の引き波に伴う潮の流れ、いわゆる、離岸流だった。 

 それ故、離岸流に運ばれそうな少し沖合を重点的にローラー捜索は続けられた。そしていよいよ日没間際になった頃、沖の飛び込み台からまだ少し離れた沖合の水深約4mの砂地の海底でA君は発見された。

 しかし時すでに遅く、残念ながら変わり果てた姿であった。ここまでは、水難事故としては珍しくないらしいが、問題はここから。

 発見したライフセイバー曰く。

「いや、どう考えても不思議なんだよね。水深4mの砂地にね、首から上だけが突き刺さっていたんだわ。どうやったらあんな死に方するんかね?」

 そして引き上げられたA君の体のあちこちに引っ掻いたような傷跡や青痣が無数に付いていたらしい。

 そう言えば私は以前、聞いたことがある。

 あの世は海の向こうにあるから、お盆の水辺には向こうへ帰ろうとする霊たちに、いっしょに連れて行ってもらおうとして、不浄霊たちが、うようよと集まって来るのだそうだ。

                   

                                     了



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