秘密――ナナちゃん奇譚⑦
今日もナナちゃんのことを書きます。
「これ書いてもええの?」と尋ねれば、「別にええよ」と、承諾を得たので書きます。応援の意味も込めて。
人を愛するってどう言うことなんだろうと、ナナちゃんを見ていて今更ながらに思う。
愛することは罪なのかな?
秘 密
あれは確か、6月の終わりごろのことだった。
もう何日も雨が降っていた。随分と蒸し暑い夜のことだったと記憶している。
私はまたナナちゃんに呼び出されていつもの中崎町のバーに向かった。
また何かあったか……。
彼女が私を突然呼ぶ時はいつもそうだ。
きっと、泣きたい時に違いない。
「あはは、なんでバーでウーロン茶なん?」
「残念でした。今日はジンジャエールや。って、違うやろ、飲まれへんのにお前が呼びだしたんやないか」
「せやった。ごめん」
そう言いながらナナちゃんは冷えたビールをおいしそうに飲んでいる。
「ほんで、どないしたん?」
「え? どないって? 何も。ただアマさんと飲みたかっただけや。ヒマやったから」
「ウソつけ」
「…………」
ナナちゃん、それまでのあっけらかんとした顔つきが急に真顔になった。
「ごめん、ウソつきました。あたしな、大事なこと、もう一つ話してないことがあるんよ」
「話してないこと?」
「アマさんと知り合ってもうだいぶなるやろ。そろそろ話してもええかなって。ていうか、聞いてほしいねん。わたしの秘密」
そう言ってナナちゃんは話し始めた。
――思い出すねん。こんな梅雨の長雨の夜な、あれはあたしがまだ8才の時やった。
あの晩も今夜みたいにずっと雨が降ってた。寝苦しい夜やったわ。
夜中にオシッコに起きた時な、リビングからゴトッて大きな音がしてん。何かなと思ってそっとリビングのドアを開けた時な、いきなり真っ赤な床が目に飛び込んで来てん。
床一面が血の海で、その中でお母さんが首から血を流して倒れてた。包丁がな、血の海の中に落ちてたよ。
普通やったら、びっくりしてすぐお母さんのところへ行くやろ?
でもな、あたし、ただじっと見てた。不思議と怖くなかってん。何かこうなること知ってたって言うか、前に見たような気がしててん。
でもいざ動こうと思ってもそこから一歩も足が動かへんかった。ただじっと見てたんよ。
それからしばらくして、あたし何も見なかったようにリビングのドアを閉めて自分の部屋に戻ったんよ。あの時、急いで駆け寄ってたら、もしかしたらお母さん、助かったかもしれへんのに……。今思えば酷い子供やったわ。
あたしが生まれてちょっとしてお父さんは女と駆け落ちしたんよ。
あたしとお母さん置いてね。未だに行方不明や。生きてるのか死んでるのかもわからへんよ。どんな理由があったにせよ、それは許されることやない。もうあたしの前にはこの先も絶対に現れてほしくない。そう思うねん。
それからお母さんはたった一人で仕事しながらあたしを育ててくれた。大変な苦労やったと思うよ。あたし小さい頃、かなり変やった。今ならわかるけど、あたし、発達障害やったんよ。お母さん、ただでさえたった一人で働いて、私のことも家事もやってたのに、あたし、あんまりええ子やなかったから、お母さん育児ノイローゼになってしまったんや。
それでな、あたし、毎日、お母さんから暴力振るわれててん。
今なら児童虐待や。毎日体じゅうつねられて青痣が絶えへんかった。あたしがあんまり大きな声だしたりするもんやから、近所の人に通報されて、何回も児相の人がうちにやって来た。
そしたらまた虐待されて、いつまで続くんやろ、なんであたしばっかりこんな辛い思いするんやろ、もうこんなお母さんなんかいらん、消えてほしい、って心のどこかで思ってたんや。
せやから、お母さんが自殺した時も何とも思わへんかったんかもしれへん。今でもそのこと思い出すたびに、胸が傷む。
ほんまはものすごくお母さんも辛かったはずやのに、精神的に追い詰められてたのに。やさしい時もあったのに。
お母さんが死んだ時、遺書にな、「七菜もいっしょに連れて逝こうかと思ったけれど、あまりに忍びないので私一人で逝きます。勝手をお許しください」って書いてあった。
こんなこと思ったらあかんけど、あたし、その時な、心から「殺されずに済んだ」って思ったわ。
それからやねん、あたし、へんなもの見えるようになったの。へんなやついっぱい寄って来るようになったの。
でも不思議なことに、お母さんだけは出て来ないねん。出て来たら謝ろうって思ってるんやけど、出て来てくれへんわ。たぶん向こうもわたしに合わす顔ないと思ってるんかもしれへんけど。
あたしも結局、お母さんと同じで、旦那に逃げられて、子供二人抱えて、大きな借金も抱えてめっちゃ苦労したよ。今やったらお母さんの苦労、すごくわかる。きっと信頼してたお父さんに裏切られて心にぽっかり穴が開いたみたいで、虐待依存ってあるかどうか知らんけど何らかの依存症になってたんやと思う。
でもあたしは虐待はせえへんよ。この子らのためやったらあたしどんな苦労も何とも思わへん。
それだけ言うと、ナナちゃんはまたいつものやさしい顔に戻って、枝豆を口に放り込んだ。なんと強い子だ。ナナちゃん、今日は泣かない。逆に私が泣きそうになった。
母を反面教師にしているのか、それとも根っから明るい性格なのか。いずれにしても、ナナちゃんには本当に幸せになってほしいと思った。
そういえば、ナナちゃん、刃物沙汰の事件、今までもけっこう多いよな……。
了