小さなメッセンジャー
小さなメッセンジャー
これは私の記憶でも最も古い部類に入るに違いない。たしか4才ぐらいではなかったか。
通っていた幼稚園の同じクラスにK西君と言う男の子がいた。K西君は目がかなり悪いらしく、小さな顔に似合わない黒縁の大きな眼鏡をかけていた。
家が近所だったこともあり、K西君とはいっしょによく遊んだ。
ところがK西君はある時、急に幼稚園に来なくなった。
K西君が幼稚園からいなくなってしばらく経った頃、ある晩、夢にK西君が出て来た。
彼は、今から手術のために入院しなければならないので、もう私とは会えなくなると言う。
今思えばそれは仲の良かった私のところへ最後の旅立ちの前に挨拶に来てくれたのだと思う。
その夢には続きがあった。
私がバイバイを言おうとした時、K西君は急に眼鏡をはずし、泣きながら私に向かってこう言った。
――あんな、僕な、病院、怖いねん。 せやからいっしょに病院へ行ってくれへん?
「うん、わかった」
そう言って、私は怖がるK西君を励ましつつ、いっしょに病院へ向かった。病院へはなぜか、赤い近鉄電車に乗って向かった。私たちのほかに誰も乗っていなかった。
どこかで見たことのあるような景色がしばらく続き、やがて電車は止まった。私はK西君と手を繋いで電車を降り、しばらく線路沿いを歩いた。向こうに入り口の閉ざされた古いトンネルが見えていた。
「着いた。ここや」
「え? ここが病院?」
思わず私は口に出してしまった。
到着して見た病院は、ぐるぐるとバネみたいに巻いた太い電線と白い碍子だらけの建物で、その病院の正体が、大きな変電所だと後に知った。
その真ん中に窓のない白い四角い建物とその周りをむき出しの鉄骨が取り囲んでいる。
二人が白い建物の前に着くと、真ん中に一つだけある扉が音もなく開き、中から白衣を着た二人の男たちがストレッチャーを押して出て来た。どうやらK西君を出迎えに来たらしい。
そしてその白衣の男たちは、K西君だけをストレッチャーに載せると、再び中へと入ろうとした。
私は、K西君の横をいっしょについて行こうとしたが、男の一人が僕を見て、首を横に振る。
「お前は来るな」 まるでそう言っているように思えて、私はそれ以上K西君についていくことができなかった。 その時の私には、その鉄骨と電線のむき出しの建物で、何か、K西君の体で人体実験を行っているように思えてとても怖かった。
最後にK西君は僕の方を向き、じっと僕の目を見ながらこう言った。
「ヒデ君、いっしょに来てくれてありがとう。でももう大丈夫や。それともう一つだけ頼みがあるねん」
「うん、何?」
「ママに、ううん、お母さんにね、いつか伝えてほしいねん」
白衣の男たちが立ち止まった。私はストレッチャーに駆け寄る。
K西君は、ゆっくりと体を起こし、私に、ある伝言を託した。
私はうんうんと強くうなずく。
K西君のその顔にはもう、恐怖の色はなく、小さな子供なのにとても自信に満ち溢れた表情をしていた。
そして入り口で立ち尽くす私を尻目に、白衣の男たちは再びK西君を載せたストレッチャーを押し始めた。やがてK西君と白衣の男は建物の中に消え、ゆっくりと扉は閉ざされた。
そこで私は目が覚めた。泣いていたことに気付く。
――もう、K西君とはもう会えない……。 4才の私は、漠然と感じていた。
ここからは後の話になるが、大人たちの言うには、K西君は、小児腎腫瘍と言う悪性の腎臓がんだったそうだ。
K西君が亡くなり、一年が過ぎた頃、K西君のお母さんが、K西君が亡くなった時のことで私の母に相談に来ていた。 私の母は昔から大変霊感が強く、様々な相談事を持ち込まれることが多かった。
「すみません、奥さん、どうしても聞いてもらいたくて……」
久しぶりに見るK西君のお母さんは、とてもやつれていた。 小さい私から見ても、何か酷く心を病んでいるように見えた。
小学1年になったばかりの私は、これは子供の私が聞く話ではないと本能的に感じて、隣の部屋へ行こうとした。と、その時、母が、「ヒデ、あんたもここにおり」 と言う。
ああ、思い出した! その時、私は夢でK西君から伝言を預かったことをようやく思い出していた。でも母にはそのことを言った覚えはないはずなのに。私は不思議に思ったが、おそらく母にはすべてわかっていたのではないか。
K西君のお母さんは、悲痛な面持ちで語り出した。
「あの子が、今でもずっと私に訴えかけるんです――痛いぃ、痛いぃ、ママぁ、痛いよ、痛いよ、ママぁママぁ、助けてぇママぁ……泣いて苦しんで私を一生懸命呼ぶんです。でも、私は何もしてあげられなかった。今でもあの時のことが頭から離れません。ずっと、すまない思いでいっぱいなんです」
「奥さん、大丈夫ですよ。さあヒデ、お話ししてあげて」
やはり母はわかっていたのだ。
「おばちゃん、大丈夫やで。 僕、おばちゃん伝えたいことがあるねん」
私は、K西君のお母さんに、あの朝見た夢のお話をした。そしてK西君から、お母さんへのことづけもようやく伝えることができた。
――お母さん、苦しめてごめんなさい。でも、ぼく、もう大丈夫やから安心して。
――ぼく、お母さんに会えて嬉しかった。 ぼくを産んでくれてありがとう。
――ぼく、また次もお母さんの子供になりたいな……。
K西君のお母さんは、その時、わぁっと大声で泣いた。
きっともうこの人は、大丈夫。 幼い私は思った。
了