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本気のナナちゃん――ナナちゃん奇譚⑤

 天真爛漫なナナちゃんのお話です。私も男なのでわからなくもないけれど、風俗や水商売などの女性に本気で入れあげる男のお話です。


  あたしのせい?

   

 ナナちゃん曰く。客としてやって来た人が、プライベートで恋愛関係に発展することってほぼない。そんなのはプロとは言わない。お店のお金や商品に従業員が手をつけるのと同じで、客と直接取引することは、着服、もしくは横領と同じだなのだそうだ。ナナちゃん、性格的にそんな筋の通らないことはしない。

 私は、彼女がまだ夜の仕事を始める以前から彼女をよく知っていた。今も彼女のうちに遊びに行くこともある。でも男女の関係はない。くだらない世間話や愚痴を言い合う、まあ腐れ縁なのかもしれない。だからプライベートでの一切飾らない彼女の素顔も性格も良く知っている。

 ナナちゃんにとっては大変貴重な異性の友人の一人であることは間違いないと自負している。まあしかし、別な見方では「あなたは鈍感」とも言われている。

 それはさて置き、そんなナナちゃんがまだ20代後半の頃のこと。

 ナナちゃん目当てに通い詰める、ある一人の男性客がいた。

 仮にYさんとしよう。Yさんは30代後半。ナナちゃんより10才ぐらい年上だった。

 そのYさん、別にお金持ちでもないどこにでもいる平凡なサラリーマンで、奥さんがいる。

 詳しくはわからないが、Yさんと奥さんの間には子供はいなかった。

 とはいえYさんは、風俗にガンガン通うぐらい精力絶倫なので、たぶん奥さんとの夜の生活で何らかの問題があったのかもしれない。


 そしてYさん、風俗や飲み屋に入れあげる男にはよくある話で、いつしか、「きっとナナちゃんも俺のことを愛してくれているに違いない」と思うようになった。

 ナナちゃんにとってはただのお客さんの一人なのに、本当に男は哀れな生き物だ。

 来るたびに何かしらみやげを持って来て、時間いっぱい服も脱がず、もちろん何のプレイもせずに、話をしたり、スウィーツを食べたりしたのだそうだ。

 ただ一つだけナナちゃんはプロらしからぬミスをしてしまった。Yさんの気さくさについうっかりメアドを教えてしまったのだ。

 

 そのうちにナナちゃんは、あまりに頻繁に通い詰めるYさんのことが色々な意味で少し不安になって来た。

 「Yさん、ちょっと通い過ぎちゃうの? 奥さん大丈夫なの?」

 ある日、ナナちゃんは帰りがけにYさんに尋ねてみた。こう言うことを聞く時点でプロじゃないわ。あたし隙が多いねん、とナナちゃんは反省していた。でも私は彼女のそう言う情の厚いところがナナちゃんらしくて大変好感が持てると思う。


 そしてまたある日、Yさんはナナちゃんに言った。

「俺、嫁と別れようと思ってる」

 真剣な眼差しのYさん。その真剣さが逆にナナちゃんは怖くて思わず聞き返した。


  ――それ、あたしが原因?


「いや、それは絶対違う。個人的な理由やから。別れても俺と付き合ってとか言わへん」

 一旦はホッとするが、やはりまだ不安は拭えない。

 そしてその日を最後にYさんの姿を見ることはなくなった。

 それからひと月ぐらい経ち、Yさんのことなど忘れかけていた頃、深夜に突然、メール着信があった。見れば、送信元は「Y」。

 タップすると信じられないことが書かれていた。


 ――別れた妻が自殺した。もしかしたら俺と君の関係を知ってる妻側の人間が君の所に何か言いに行くかもしれない。君は一切かかわりのないことで、俺のことなど知らないと言い通してほしい。迷惑かけて申し訳ない――


「なあアマさん、ホンマ、どない思う? あたし何にもしてないで。自殺? はぁ? 知らんがな。あたしYの彼女でもなんでもないわ。本名も知らんただの風俗嬢やん。逆にあんまり来るから心配してたぐらいやのに、なあ、あたしのせいか?」

 いつものように、冷えたビールジョッキをを片手にしながら、珍しくナナちゃんは怒っていた。うんうんと私は頷きながら無言で応える。彼女から強い怒りの感情がひしひしと伝わって来る。

 下手に何か言おうものなら逆に怒りを買いそうで怖かった。でもナナちゃんの怒りはごもっともだろう。それはプロである風俗嬢にとって、とばっちり以外の何物でもない。

 少し落ち着いたので、落としどころを探しつつ、私は言う。

「エライ目に合うたんやな。けど、ナナちゃん、そんな話多いな。やっぱり引き寄せてるんちゃう?

「ちょっとアマさん、アホなこと言わんとってよ」

「ごめんごめん」

 するとナナちゃん、にやりと笑って私を見る。何か企んでいるような、意地悪い顔だ。

「でな、話はこっからが本番やねん……」

 

 ナナちゃんの話はさらに続いた。

 しばらく経ったある夜中にメール着信音が鳴った。誰かと思い、見るが画面は真っ黒なままだった。受信BOXを見るが、何も残っていない。おかしい。確かにメール着信があったはずなのに。

 寝ぼけていたのか、そう思って気にしないようにしていたら、また着信音が鳴った。今度は寝ぼけていない。確かに鳴った。でもやはり着信BOXには何も残っていない。

 おかしいとは思いつつ、まだ夜中の2時だったこともあって、再びベッドに横になろうとしたその次の瞬間だった。

「あ、あかん! 来たっ」

 ナナちゃん思わず声に出してしまった。いつも何か障りのあった時には、ナナちゃん、必ず、左の後頭部から首筋に掛けて、髪の毛がザワザワザワっと逆立つらしいが、この時のは強烈だった。

 慌てて魔除けのクリスタルを枕元に置いた。そして携帯の電源を切り、ベッドに横になった途端、それはやって来た。

 突然胸の上から誰かに押さえつけられたような感覚に襲われる。

 

 ヤバいヤバいヤバいヤバい……


 枕元に置いた水晶に手を伸ばそうとしたが、今度は両手も押さえつけられて動かせない。

 明らかに誰か、何者かが自分の上に馬乗りになっている。息もできない。 

 耳元で女のすすり泣きが聞こえる。やがてそれは言葉に変わって行った。


 ――この、売女! お前のせいや、Yを返せ! 


 何度も何度も何度も。それは繰り返される。


 ――バイタぁ、お前のせいやぁ……


 そのうちにだんだん腹が立って来てとうとうナナちゃんブチ切れた。


 ――そんなんあたしのせいちゃう! 逆恨みすんなや、このクソ女! どっか行けやぁ!


 次の瞬間、ふっと体が軽くなった。もう知らんわ。そう思ってナナちゃんはそのまま寝たらしい。

 翌朝、再び携帯の電源を入れた途端にまた着信音が鳴った。 

「携帯の画面真っ暗やのに、着信音がな、鳴り止めへんねん。何回も何回も鳴るねん。そんなことってある思う?」 

 ナナちゃん、怖くなって携帯を買い替えて、番号もアドレスも新しくしたのだそうだ。

 その後、Yさん本人も、もちろん奥さんも、奥さんの関係者もナナちゃんの前には現れなかった。

 ナナちゃん、やさしくて、その癒しの力もすごいけれど、実はすごいパワーの持ち主だと思った。


「また一つ武勇伝が増えたな、ナナちゃん」

「よう言うわ。あの時どんだけアマさんに電話しよかと思たか」

「でも、ほんまにとんだ災難やったなあ。けど、クソ女はあかんやろ」

「あはは」


                             了

 


 


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