金縛りくん
金縛り君。あなたとはもう50年以上の付き合いですね。初めの頃はまだまだ私も慣れなくて、随分と怖い思いをしましたが、段々と慣れてくると、君がいつやって来るのか、どんな風にやって来るのか、どんな姿でやって来るのか、やって来たらどうすればいいのか、そんなことすべて、もうとっくに学習済み。だからもう特別なことじゃなくて、頭痛とか生理痛とかと同じ。あなたのことはもう全部お見通し。でも、最近はあまり来てくれませんね。少しつまらないです。ねえ、金縛り君。聞いていますか? 今夜あたり、こっそりやって来ませんか? 玄関の鍵を開けておきますから。
金縛り君
これは、私が物心付くか付かない頃、はじめてあなたと出会った時のお話しです。
当時、私の両親は多忙で、いつも私の世話はお手伝いさんがしてくれておりました。
でもそのお手伝いさんも夜9時を回ればいなくなります。大体それぐらいに母が戻ることが多かったのですが、時々、父といっしょに夜遅くまで帰らないこともありました。
だから私はいつもたった一人で眠りに就いておりました。たぶん淋しかったのだと思います。でも幼過ぎて、「淋しい」とはどんなことなのかも理解していませんでした。
それはたぶん、お手伝いさんが帰った後、深夜12時ぐらいだったと思います。
――ガラガラガラガラっ……。
私は2階の寝室で寝ていると、玄関の引き戸が開いた音が聞こえました。それと同時に部屋全体の空気が急に濃くなった感じがします。
初めは父母が帰って来たのかと思いました。それほど人の気配をはっきりと感じました。
今なら知っています。 金縛りくんたちもちゃんと玄関から入ってくるのだと。
それがわかった時、なんて礼儀正しいのだろうと、変に感心したことを覚えています。
そして父母ならきっと何かしゃべる声が聞こえるはずですが、ただ、カサっ、ゴトッと物音のみで声は聞こえません。
幼いながらも、どうもこれは親たちではないと感じました。
――とんとんとんとん
足音です。私の寝ている部屋に続く木の階段を上がる足音がはっきり聞こえます。その時初めて、これは人ではない何かわけのわからない物であると悟りました。その気配は、ますますこちらに向かって近づいて来ます。ああ、やっぱりここへ来るんだ……。それがわかった時、そのころの私はまだ幼かったものですから、本当に怖かった。
――ガチャリ
ノブを回す音です。すぅーっと何かが部屋に侵入する気配。
私はただ怖くて目を硬く瞑ったまま。絶対に目を開けてはいけないと思いました。
その次の瞬間です。つま先から、頭までバンっ! と、すさまじい衝撃が走ると共に、体は石のように硬直しました。
まったく動けない。その何かがのしかかるあまりの重さに、きっと死んでしまうに違いないと思いました。
数秒か、数分かわかりませんが、その動けない状態が続きましたが、しばらくして、ほんの少しですが口だけは動かせることに気付きました。それもものすごく力が必要でした。誰かに口を手で塞がれているみたいです。こんなに自分の口を開くことが重いなんて初めての経験でしたが、それでも何とか無理やり口を開け、
――あああああああああああああああああっ!
ただ大きく唸り声を出しました。
どれぐらいその状態が続いていたのか覚えていません。
ふと気付くと、誰かが私の体をゆすっていました。さっきまで目も開けられなかったのに、ゆっくりと目が開きました。夢だったのでしょうか。
「ヒデ、えらい大きな声出してたから、あんたのほかに誰かいてるんかと思ったわ」
目の前には、とても心配そうに私を見つめる母の顔がありました。どうやら母が帰って来たようです。
これが私の金縛りくんとの初めての出会いでした。それ以後、彼は頻繁にやって来るようになりましたが、こちらも徐々にそれに慣れて来ました。やがて逆に楽しむようにまでなりました。初めは怖くて目を開けることができませんでしたが、やがて少しは目を開けられるようになりました。
そしてそのうち、金縛り君は一人ではないと言うことにも気付きました。
性別も年齢も様々な人たち。時にはきれいな女性、時にはおじさん、時には老人、そしてまたある時は、小さな子供もいました。
最初は、もしかしたら夢を見ているのかもしれないと思いましたが、夢にしては、あまりにも現実的な夢です。
自分が寝ている部屋の事細かな状況、つまり照明器具の位置だとか、家具の位置、壁のシミに至るまでそのすべてを起きている時と同じように明瞭に夢の中で再現できるでしょうか。論理的に考えて、明らかに、覚醒しているように思います。
しかし、現在、母が亡くなってから、あまり金縛りくんはやって来てくれません。
母を恐れているのか、もしくはどこか違う人のところへ行ってしまったのか。
了