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大家さんシリーズ ④黒いムカデ

 長年大家さんをやらせていただいておりますが、事故物件、ギリギリセーフな一件について書かせていただきます。よろしくお願いします。

 

  黒いムカデ――大家さんシリーズ

 リーマンショック後、景気の低迷により、国民の収入は落ち込み、物は売れなくなって、当然ながら賃貸の家賃も下げざるを得なくなった。そうなると、今まで市営だとか公営の安い賃貸にしか住めなかった低所得者の方たちも、生活保護の家賃扶助で民間の賃貸マンションにも手が届くようになりだした。

 うちも例外ではなく、一人、また一人と職を失った独り者の中高年男性が福祉の助けを借りて入居するようになった。本音を言えば、きちんと職に就いている人以外は入ってほしくなかったが、背に腹は代えられない。

 それに国が家賃の保証をしてくれるのだから間違いないと思った。しかし甘い。家賃扶助は、大家が受け取るべきものであるが、一旦は扶助を受ける本人が懐に入れることができる。

 普通、良識ある人間ならば、それは使ってはいけないお金なので、きちんと家賃を払ってくれる。転用したことがわかればもちろん罰則もある。

 しかし、いろいろな人間がいる。故意ではなくとも、例えば、病気や怪我で働けなくなったり、様々な不測の事態により、お金がなくなった人、あるいは、パチンコ等ギャンブルに使い込んでしまった人など。そうなると月々の家賃扶助にも手を付けるようになってしまう。

 そうなると、来月の家賃よりも今日の食事が優先されるのは否めない。

「すみません、月末の家賃ちょっと待ってもらえませんか?」となってしまうわけだ。

 商売ではあったが、私も血の通った人間なので、ある程度は聞き入れる。

 しかしそれが2カ月3カ月に渡り出すとそうそう甘い顔もできなくなる。


 ある時、ワンルームにN山さんと言う65才無職の男性が入居して来た。生活保護を受けていた。

 私が渋い顔をすると、話を持って来た不動産屋は言った。

「オーナーさん、大丈夫です。現在無職で生活保護を受けておられますが、きちんと再就職される予定ですので心配はありません」

 まあ国が保証してくれるならと、私も受け入れることにした。背に腹は代えられない。

 

 ところが、入居して約1年が過ぎてもまったく働こうとはしない。

 私が「大丈夫ですか?」 と聞いたところ、実は軽度の脳梗塞があって働けないと言う。

 嫌な予感はしたが、家賃はその時点まできっちり頂いていたので、あまり心配することもなかった。

 そしてその年の11月の末に、例の「ちょっと待ってもらえませんか?」の申し出があった。

 携帯電話の番号を聞いていたので、私はマメに連絡をしてはいたが、年が明けて1月、とうとうN山さんは電話に出なくなってしまった。

 これはまずいと思い、部屋に行き、ピンポンを押すが反応はない。

 一瞬「事故物件」の言葉が頭をよぎる。慌てて合鍵を取りに行って恐る恐る開けてみると、実際に留守だった。一瞬はほっと胸を撫でおろすが、根本的解決にはなっていない。

 どうするかと思いあぐねていたその夜、亡くなった母が夢枕に現れた。今までも夢に母はよく現れる。生前とても霊感が強かったこともあるのだろう。

 母は寝ている私の傍で、何も言わずにいきなり部屋を掃除し出した。

 これは母、あの世からお怒りなのか。ちゃんと掃除ぐらいせよとの思し召しか、と思っていたら、仏壇と箪笥の3センチほどの狭い隙間を箒で履き出している。

 と、その時、大きな大きなムカデが、隙間から這い出して来た。

 黒々とした長い胴体に無数の黄色い足を畳に這わせている。気持の悪いことこの上ない。

 「ええっ!」と驚く私を尻目に、母は、なんとそれを掃除機でスポッと吸った。そして一度だけ私の方を向き、にっこり笑ってすっと消えた。

 

 翌日、N山さんから電話があった。生活保護の家賃扶助が下がり、うちの家賃を払えないので、役所の勧めで、安い市営住宅に引っ越すことにしたと言う。私は快諾した。

 がしかし、その時点で家賃3カ月の滞納がある。それを言うと、2月には必ず支払いますと言ったので、不動産屋立会いの下、念書を貰って、出てもらう運びになった。もちろん引っ越し先の市営住宅の住所も確認した。滞納金はあるものの、一旦は肩の荷が下りてほっとしていた。

 そして、2月。果たして期日になっても何の音沙汰もない。

 私は携帯に電話してみると「お客様のご都合によりお繋ぎできません」の冷たいコール。

 auに確認すると、電話代の未払いで止められているらしい。これはいよいよ逃げる気満々だ、ここで逃がしてなるものかと、念書の住所のところへ鼻息も荒く向かった。


 夜の7時ぐらいだったか。N山さんの住む、市営団地のその部屋の前に着いた。

 表札はN山。間違いない。ここだ。玄関扉の横の小窓は真っ暗だった。留守? そう思いながら呼び鈴を押すが、呼び鈴さえも鳴らない。これはいよいよまずい。

 ふと隣の部屋を見れば門灯は点いている。表札の上には班長のプレートが掛かっていた。中に人はいるようなので、ダメ元で訪ねてみることにした。呼び鈴を押す。

 「はい」

 すぐに男性の声で返事があった。

 「すみません。ちょっとお隣のN山さんのことでお聞きしたいことがあるのですが?」

 そう言うと、ガチャリと扉は開いて、70前後ぐらいの男性が顔を出した。

 「お宅、N山さんとどういう関係?」

  つっけんどんにその男性は言う。

 「はい、私、以前N山さんの住んでたマンションのオーナーなんですが……」

 「ああ、知りませんのか、お宅。家賃か金の取り立てだっか?」

 「何かあったんですか?」

 「ちょうど昨日の今頃や、レスキューが運び出して行ったわ」

 「え?」

 「死後1週間やったらしいで。警察の事情聴取やとか大変やったんやで」

 「それって、何か事件ですか?」

 「さあ、そこまでは聞いてないわ。自然死ちゃいますか。知らんけど。ここはけっこうようあるからね」

 その男性は本当に迷惑そうな顔だ。まあそりゃそうだろうな。それで電気も止められていたので呼び鈴も鳴らなかったのかと合点がいった。

 それにしてもこのような市営や公営ではそんなことがけっこうあると現場の声を聴いて他人事じゃないと思った。

 まあN山さんのことは大変気の毒ではあったが、今回のうちに限って言えば、ギリギリセーフ!  母に救われたか。3カ月滞納で済んで良かった。

 しかしハイリスク。今の社会構造自体がハイリスクなのかも知れない。

 事故物件なんかどこでもあるし、今後もいくらでも出て来る。これに懲りて、入居者の基準をもっと上げないとこちらの身を滅ぼすなと思った。

 それにしても生前から母の霊力はすごかったが、あの世に行っても尚、衰えることがないようだ。守られていることに感謝すると共に、家の中をいつもきれいにして、自分の身は自分で守ることも大事であると今更ながら思った。


                                  了


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