霊 夢
霊夢というものは予知夢の一種で、夢の中に亡くなった身内や知り合いなどが現れて、これから自分の身に起こるであろう出来事を予言してくれる夢のことです。
それは良い暗示も悪い暗示もどちらもあります。いわゆる「夢枕に立つ」と言う現象です。
私は割とよく亡くなった母や知り合いが現れて好きなように言い放って行きます。どちらかと言えば、警告や注意喚起が多いです。母などは、現在の至らぬ点など小言を言うこともありますが、まあ従っておけば、まず間違いないことが多いです。ところがこの霊夢、身内の登場なら、ああそうだな、とすぐにわかるのですが、私のまったく知らない人が出て来て何か私に告げることもあります。
霊 夢
シャワーを浴びて頭を洗っていた時、すぐ後ろで女性の声がした。
「あの、すみません、ちょっといいですか?」
おかしい。私は一人家の浴室にいたはず。なぜ女性の声が?
ああ、なるほど。すぐにこれが夢であると気付いた。明晰夢と言うやつだ。明晰夢は、何かおかしいぞ、矛盾しているぞ、と感じるのでそうだとわかる。今回もそうだった。
「あの、ちょっとお話しいいですか?」
私はゆっくり振り返る。そこには全裸の女性が立っていた。私は慌てて顔に付いたシャンプーを擦り、もう一度振り返って彼女の方を見た。少し肉付きの良い女性だ。女性は少しぽっちゃりの方が断然良い。その大きなバストもアンダーの茂みすら惜しげもなく晒したままだ。
おいおい、これはそういう系の夢なの? と言うことは、これから……。素晴らしい!
「あの、忙しいとこ申し訳ないのですが」
女性はさらに私に近付き、背後から囁く。大きな胸のトップが私の背中にチロチロと触れる。
「何度もすみません。少しだけ私の話を聞いてください」
再び女性は囁いた。ゾクゾクする。でも一方で困ってしまう私もいた。
夢なのに。自分の世界なのに、困る私はどうかしている。堂々と接すればいいではないか? 彼女は私の創作品だぞ。年の頃なら40手前ぐらいか。そう若くはないけれど美人だ。とてもセクシーだ。いい!
「お兄さん、どちらから?」
「あ、大阪から」
「まあ遠いところから。ここは初めてですか?」
(ここってどこやねん)と思ったが、かなり昔、行ったことあるような、ないような。それ系お風呂なのか?
「あ、いいえ」
「そうですか。じゃあ……」
そう言いつつその女は私の耳元にそっと口を近づけてこう言った。
「保険に入ってくださぁい」
「え? 保険?」
「保険に入ってくださぁい」
なんともいやらしく猫が盛るようなしゃべり方だ。
「なんでこのシチュエーションで、保険なんすか? 違うでしょうよ」
「いいえ、あなたにはこの方がより効果的でしょう?」
「いや、僕はあなたに会うのは初めてですよ」
「うふふ、何もかもお見通しよ」
私は急に怖くなって立ち上がり、湯船に飛び込んだ。
湯船は、薬湯なのか、深緑色のぬるま湯で満たされている。しかも底がぬるぬるだった。とても気持ち悪いが、ここまではあの女も来ないだろう。
ところが……。
「保険に入ってくださぁい」
振り向くとすぐ目の前にいた。逃げようとするが、足首を何かに掴まれていて動けない。
「保険に入ってくださぁい」
女は何度も耳元で繰り返す。やばいやばい! そうだ目覚めよう。ここから逃げよう。
そして私は目覚めた。簡単なことだった。いつもの自分のベッドだ。
しかし、なぜか、こちらの現実世界とは異なる別の夢の世界が継続しているような気がした。パラレルワールドだ。あちらの夢世界の自分はきっとまだ緑の風呂であの女に追い掛け回されているに違いない。今頃どうなっているのだろうかと、心配をしている。妙な忘れ物感がある……。
しかしよくよく思い出すと、あの女性、どこかで見たことがある。どこだったか。
保険か……。思う所あって、次の日、出社して引き出しにしまい込んでいた生命保険のパンフレットを取り出して見る。
ああ、思い出した! あの女は、先日会社に営業にやって来た保険のおばちゃんだ。仕事中だったし、面倒だったので、私は碌に顔も見ず、話も適当に聞き流していたので、印象に残っていなかった。間違いない。あのセールスレディだ。
どうにも気になったので、さっそく名刺の電話番号に掛けてみると、彼女が言った。
――掛けて来ましたね。
有無を言わせない自信のある声。
「お入りになられた方がよろしいかと」
「いや、ちょっとそういうのは」
「私ではなく、お告げだと思って」
「え!」
私は結局保険に入らされてしまった。
その年の暮。私は買い物に行ったスーパーで滑って転んで、膝のお皿を割る大怪我をしてしまった。2回の手術も含め、リハビリもして入院通院合わせて、全治6か月の重傷だった。
けれど、「お告げ保険」のおかげで一銭も負担するどころか、逆にプラスになってしまった。
誰からのお告げだったのだろう。あれほど強烈な夢でもなければきっと電話をすることはなかっただろうと思う。私のこの性格を知り抜いている人、と言えば……。
「アホ」とどこかで声が聞えた気がした。
了