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温かい手

 昭和47年5月13日。死者118人負傷者81人にのぼる日本のビル火災史上最大の惨事が発生しました。有名な千日デパート火災です。あまりに有名な惨事のためにたくさんの方がネットにアップされておられます。詳細はそちらをご覧ください。このお話しは私と息子が直接体験したお話です。長くなりますがお時間がございましたらどうぞお読みください。

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 温かい手

 以前、「梅干しおにぎり」のところでも書きましたが、うちの息子には発達障害があり、そのおかげなのか、今はどうかわかりませんが、幼い頃は、その純粋な心で接するものを浄化する能力を持っていたようです。今回も彼によってその魂を救われた女性のお話です。

 息子がかなり大きくなった時のこと。と言っても今から20年以上も昔のお話です。

 どこの子供でもそうであるように、息子もテレビゲームが大好きで、友達たちと盛んに遊んでおりました。ちょうどプレステ2が発売されて少し経った頃です。

 息子はゲームが好きですが、その障害のおかげで、格闘系ゲームはあまり得意ではありません。友達たちが一生懸命にキャラクターを操って戦っている様子を後ろでただじっと見ていた時のこと。

 ゲーム画面の中でキックで敵を倒す青いチャイナドレスを着た女性を見てこう言いました。

 「とうさん、この人みたいな人、僕、見たよ」

 「へえ、チュンリーやな。どこで見たの?」

 「昔な、行ったデパートで……」

 「デパート?」

 母と二人で行ったところで何か、中国のイベントでもやっていたのかと思いましたが、どうも違うようです。

 その時私はあることを思い出しました。彼がまだ3つか4つぐらいの時、難波プランタン(現ビッグカメラ)へ買い物に行ったことがありました。

 あそこはその昔、大きな火災で大勢の犠牲者を出した場所です。できるなら行きたくはありませんが、嫁にどうしても買いたいものがあると頼まれて、息子も連れて3人で行った時のことです。

 嫌な予感的中で、建物が近付くにつれ、胃がむかむかして来ました。

 そして入り口をくぐった途端に首と肩が、普段の肩こりとはあきらかに違う重だるい感じがします。「やばいな、嫌やな、嫌やな」と思っていましたが、ずんずん進む嫁の後を仕方なく付いて行きました。

 そして上りエレベーターに乗った途端でした。

 それこそバットで殴られたのかと思うほど、左肩にズキンと激痛が走りました。

「あんた、顔色悪いで」

 嫁が私を見て言います。確かに真っ青な顔いろだったのでしょう。私は何も答えず、ただ目を閉じ、エレベーターが目的の階に着くことをじっと耐えていました。嫌な汗を背中に感じていました。

 あれは確か7階だったと覚えています。嫁の買い物も何とか終わり、フロアのはずれにあるトイレで私は息子とふたり、用足しに行った嫁さんを待っていました。女性のトイレは長いです。

 と、その時、トイレへと続く薄暗い通路で、息子が急に私の手を振りほどき、タタタっと走って奥の壁まで行きました。

 「こら、どこ行くの? そっちは何もないよ、行ったらあかん。ママもう帰って来る」

 そう言いながら私も慌てて息子の後を追いかけました。

 すると息子は、壁際でその小さい右手を小刻みに動かし出しました。

 もう嫌な予感しかしません。私の肩の痛みはズキズキとすでに吐き気がするほどになっていました。

「何してるの?」

 私が聞くと、私の方を振り返り、こう言いました。

 

 ――青い服のおねえちゃんがな、すごく咳してんねん 

 でも私には見えません。確かに、息子は壁際で誰かの背中をさすっているように見える。たぶん私に見えなかったのは、見えなかったのではなく、かなり危険な霊であったため、防衛本能で見ないようにしていたのでしょう。

 かつてこの場所で、むごい死に方をされてからずいぶんと時が経ち、相当に強い霊障となってしまわれたのではないかと思います。

 これはとにかく早く逃げた方がいい。でも息子は、逃げるどころか、それに近付き、さらに接触まで試みている。相当にヤバい事態になっているはずです。やはり来るべきではなかった。入り口で、首に痛みを感じた時点で、あれは警告だった。入るべきではなかった。

 でももう遅い。私たちは来てしまった。

 けれど息子は、なぜあんなににっこり笑っているのだろう。恐怖や不安、痛みはないのだろうか。

「その青い服の人、何か言うてはるか?」

 左肩をぎゅっと右手で押さえつつ私は尋ねました。

「うん。お姉ちゃんはな、お外に出たいねん。おうちにな、ぼくみたいな子供がいてるから、早く帰りたいって」

 そう言いながらも、息子はしきりに小さな手を動かしている。さする手を止めることはない。

 すぐに息子を引っ張ってそこから離れたかった。しかし嫁がまだ戻らない。

 おそらく1分以上はそうしていたでしょうか、急に手を動かすことを止めた息子が言った。

「とうさん、ぼくの手な、温いねんて、やっとおうちに帰れるって、子供とおかあさんのとこへ帰れるって。ありがとうって泣いてはる」

「お姉さん、どうなった?」

「もうおらへん。けど、ここにおったらあかんから早く出なさいって」

 その途端、私の左肩の激痛が軽くなったことに気付きました。

 ようやくトイレからのんびり出て来た嫁に事情も話す余裕もなく、逃げるように3人でエレベーターに乗り込み、閉じるを何度も押しました。

 と、すぐにエレベーターが5階で止まりました。エレベーター内は私たちのほかに人はいませんので中から操作したわけではありません。ゆっくりと扉が開く、しかしそこには誰もいません。がらんとしたフロアを見て戦慄を覚えました。

 やばいやばいやばい! 

 すぐに閉まるボタンを連打です。

 何とか1Fにたどり着いた時には、転げ出すように外に出たことを覚えています。

 私は後から調べてみました。確か7階のその場所は、あの火災の中でも一番多くの犠牲者を出したチャイナサロンがあった場所だったことがわかりました。青いチャイナドレスの女性は、煙にまかれて、そこで亡くなった従業員だったようです。

 おそらく、何十年もずっとあそこで苦しんでいたのでしょう。

 彼女は息子の無垢な心に触れてやっと家に帰ることができたのかもしれませんね。

 あれからあそこではそう言った噂が絶えず、今はビッグカメラとなっておりますが、未だに何かしらあると知り合いの従業員の方がおっしゃっていました。

 私は、それ以来、あそこへは怖くて行っていません。

              了

 長々とお読みくださいまして感謝いたします。現在ビッグカメラの横の入り口にひっそり慰霊のための祠が祀られております。もし行かれるようなことがありましたら手を合わせてあげてほしいと思います。  

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