大家さんシリーズ ③蠅になった男
大家さんシリーズ③
これはいつも世話になっている不動産仲介業のSホームさんから聞いたお話です。
「Sホームさん、最近巷ではやってる事故物件ね、あれ影響とかありますか?」
「ありますよ。今まで、事故物件言うたら、なるべく目立たんようにやってたんが、今は逆に堂々と謳えるようになりましてね」
「なるほど、逆に売りになったと?」
「家賃も安いし、入ってくれはったら大家さんも助かるし、まあリフォーム代とかの損は仕方ないけど、逆に、事故物件探してる人もいてはるぐらいでね」
「ほー、物好きもいてますねえ」
「いやいや、オーナーさん、物好きちゃいまっせ。もし、その部屋でね、まあないとは思いますけど、何かあったらですよ、それネットとかにアップしてけっこういい金になるらしいですわ」
「ええ、それって」
「そうそう、商売ですわ。聞きまっしゃろ? 事故物件住んでみた、とかね」
「なるほどね、今はそんなことでも金になるんですねえ」
「そうですわ。せやけど、まあ私も仕事なんでそんな動画も見ますけど、ほとんどやらせですわ」
「そうですよね。人は別に賃貸物件だけで死んでるわけないじゃないですよねえ」
「おっしゃる通り。どこでも死にますからね」
そこでSホームさん、急に真顔になった。
「でもね、100パーないってこともないらしいですよ」
「え、あるんですか」
「オーナーさん、これは僕の知り合いのそのまた知り合いの同業者の間で、まことしやかに伝えられているオカルト話なんですが……」
「オカルトって。久々に聞いた言葉ですわ。しかもどんだけ遠い噂なんですか。胡散臭さ満載ですやん」
「まあ、ネタや思って聞き流してください」
そう言ってSホームさんは、まじめな顔で話し始めた。
蠅になった男
その事故は、とある古い木造2階建てのアパートで起きた。元々その部屋の住人はかなり変わり者の、若い、と言っても30代ぐらいの男だったらしいが、どうも怪しげな宗教の信者だったようで、部屋で儀式めいたことをやっていると言う噂があった。
時折、何か薬草を燃やすような異臭を出しては、周りからよく苦情が出ていたのだそうだ。
ある時、髪もヒゲもぼうぼうに伸ばした、まるで浮浪者のようなその男が、熱帯魚を飼うときに使う四角い網を手に、何か虫を捕まえている姿が、住人に寄って度々目撃されていた。
皆、気持ち悪がって近付くことも、ましてや話し掛けることもなかった。
男は黙々と虫を捕まえては虫かごに入れていた。
またある時、道で車に轢かれて死んでいた野良猫を大事そうに袋に入れている男の姿も目撃された。
その気味の悪い姿を最後に、誰も男を見ることはなかった。
そして約一ケ月余りが経った頃、男の部屋から酷い腐敗臭がしていると住人から申し出があった。
慌てて管理人が男の部屋を合鍵で開けた。
その瞬間、真っ黒く大きな塊が、開いたドアの中からぶわっと外にあふれ出した。
黒い塊は、無数の蠅だった。あまりのその蠅の数に、管理人は一瞬たじろいだ。
その蠅たちがすべて飛び去った後、その後の部屋は鼻がもげそうなぐらい異臭が漂っていた。
そしてそこには想像を絶する光景が広がっていた。
薄暗い部屋の奥には、首を吊ってぶら下がる男の遺体が見えた。しかも全裸だった。
すでにかなり白骨化が進んでいる。長い髪の毛が黒々と男のしゃれこうべにへばりついていた。たった一ヶ月でここまで白骨化が進むとは考えられない。
床には黒いサナギが無数に落ちており、蛆が辺り一面で蠢いていた。その一匹が管理人の足元まで這って来ていた。管理人は思わず飛んで避けた。鼻を押さえて、注意深く部屋に入ると、何かの儀式の祭壇のようなものが目に入った。それには、よくタロットカードなどで見かけるような悪魔の絵が描かれている。部屋の中央に、白骨化した猫の死体も見つかった。管理人は耐えきれずにその場で嘔吐してしまった。
後日、検死の結果が出た。
たった一ヶ月で白骨化が進んだ理由が判明した。男の体はほとんどが蛆に喰われていたのだ。
遺体からは、たくさんの羽化したサナギの殻が出て来た。
どうやら男は、自分の体に鋭利な刃物で傷を付け、そこに自ら無数のサナギを埋め込み、そして首を吊った。自らが蛆の餌となるために。
死ぬ前に目撃された男は、四角いネットで肉蠅をたくさん集めていた。それを拾った猫の死体にたからせて卵を産ませ、やがて無数の蛆を湧かせ、それがサナギになった頃を見計らって自分の体に埋め込んだのだ。
なぜこのように手の込んだ自殺をしたのか。
実は、男は遺書とも言える手記を残していた。
それによれば、男は、蠅の王――バァル、ベルゼバブに心酔していたらしい。
蛆にその身を喰らわせることにより、自分は蠅として生まれ変わることができると信じていたのだそうだ。
ドアを開けた瞬間に、部屋から外に飛び出して行った、あの真っ黒い塊が男だったのかもしれない。
了