最後に。
宗像久乃が離婚し子供と引き離された事は知っている。今は実母と実家で二人きりで暮らしているそうだ。二人の兄は都心で暮らしていて、妹の離婚話にも大して関心を持たなかったらしい。久乃が泣きついても何もしてくれなかったばかりか、裁判沙汰にでもなったらマズイと巻き添えを恐れて、距離をとっているくらいだ。どちらの兄も、元々我儘な妹を助けたいとは思ってくれず、むしろ離婚原因が不倫などというスキャンダラスなものだったので余計に煙たがっている。
優子は事の顛末を、元夫の同窓会友達を介して聞いていた。同窓会友達は地元から出たことがないまま世帯を持った人なので、高校時代の同窓生の動向に詳しい。いわゆるゴシップ好きなタイプだ。
彼女の父親が元代議士で、今は引退して施設にいることもその人から聞いていた。彼女と対峙する前に、出来る限りの情報を得たくて、その友人に頼んで教えてもらったのだ。
久乃に対して同情するつもりはない。むしろそんなもので済んで手ぬるいとさえ思う。優子が請求した慰謝料は、彼女の元夫である宗像浩未が全て支払ってくれた。まあ、肩代わりしてくれたお金を、ちゃんと返しているのかどうかは知らないが。
「オレンジフレーバーのアイスカフェオレで生クリーム増しのトッピングはチョコスプレーと・・・なんでしたっけ?」
オーダーを覚えきれなかったのか、宗像が優子に聞き返した。
「ココアパウダー」
「だそうです。俺はエスプレッソで。」
「かしこまりました。お支払いはカードで一回払ですね。只今お作りしますので、こちらでお待ちください。」
店員の若いお姉さんがマニュアル通りの応対をしてくれる。
カウンターから商品を手渡されると、二人は店を出た。
「お恥ずかしい話、久乃は働いたことがない。・・・多分、これからは家にある宝石とか着物とかを売って生計を立てていくしかないと思います。彼女の父親が施設にいるのは知ってますか?」
「はい。代議士でいらっしゃった・・・。」
「そっちはきっと、彼女のお兄さんたちが面倒みるだろうと思うので。まあ、いよいよ食べていけなくなったら、どうにか助けてやるんじゃないかな。さすがに生活保護もないでしょうし。」
つまり宗像は、別れた妻を援助するつもりがないという事だろう。
何不自由無く育ち、経済的にも困ったことがない彼女にとっては、きっとこの状況はとんでもなく辛く惨めなものに違いない。
頼みの綱の、子供ですら取り上げられてしまった。
「宗像さんは、奥様に未練がないのですか?」
口からこぼれるように出てきてしまった疑問に、焦った。
そんなことを聞いていい間柄ではないのだ。
「すみません、余計なことを。」
宗像の目線は、高速道路の方を向いていた。夜間走行する車のライトが川のように流れていく。
「そういう優子さんは、ご主人に未練はなかったんですか?」
同じ質問をされ、困ったように目線をコーヒーのカップへ落とした。
一口飲んで、喉を潤す。そして、目の前の男を見た。
「もう、ありません。」
きっぱりと言い切る。
そう言った優子の瞳に、高速道路の車のライトが映った。
同じ光を瞳に写しながら、ナイスミドルのイケメンは、少し笑う。カッコいい、と思ってしまった。
「俺も、です。」
手にしたエスプレッソを口にする。
やがて会社の駐車場にたどり着き、優子は軽く頭を下げた。
「コーヒーご馳走様でした。では。」
「はい。それでは。」
彼女の軽自動車が駐車場を出ていくのを、宗像はそこで見送った。
車のテールランプが見えなくなってから、彼はスマホを取り出す。
「こんばんは。はい、宗像です。例の慰謝料の件、進めてください。」
通話が終わると、再び彼も歩き出した。
fin