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別れたあと

 新居に引越したのは春の連休前だった。

 4月も10日を過ぎると、引越し業者も不動産屋も繁忙期を過ぎて来るのでどうにか引っ越すことが出来た。

 引越し当日は、最後まで泣き落としにかかってきた元夫がうっとおしく邪魔だった。だが、移動してからは何もかもスムーズに行ったし、連休中だったので片付けも進んだ。

 これでようやく新生活だ。

 すでに高専へ通い始めている春人は、優子の実家からこのマンションに荷物を運んできた。夏樹も優子と共に必要な私物と共に引越し、連休が明けたらここから高校と職場へ通うのだ。

 身の回りのものや家電も新しくなり、心機一転だ。

 やっと、ここまで来た。

 先の見通せない、長く暗いトンネルを歩いてきたのだ。結婚よりも離婚のほうがはるかに大変だと言うが、その通りだと思った。

 そして優子は会社にも、開発部の技術者として登用してもらうことが決まった。エンジニアとして雇われれば、基本給も上がるし責任も重くなる。今までのようなアシスタントとは違うのだ。

 エンジニアになれることは嬉しかった。また自分でアプリを作る立場になれるのだ。すぐには無理でも、ゆくゆくはそうなれるように頑張ろう。

 

 連休明けの最初の出勤日は、目を開けているのが辛いほどにハードだった。会社の駐車場に駐めてある自家用車に乗り込んだが、しばし目を閉じて視神経を休めたかった。ドアをしめてシートを倒し横になる。辺りはすっかり暗くなっていた。

 その運転席の窓ガラスを、ノックする音が聞こえて、飛び起きる。

 座席を戻して窓の外を見ると、スーツ姿の中年男性が立っていた。

 軽く目元を擦ってからもう一度見上げると、見覚えの有る影だと気がつく。

 周囲に人がいない事を確認してから、優子は軽く会釈してから、車のドアを開けた。少しばかり疲れた様子なのは、きっとお互い様だ。

「お久しぶりです。宗像さん。」

「こんばんは。・・・えっと、優子さん。しばらくですね。」

 姓をどう呼ぶか迷ったのだろう。だからと行ってファーストネームを呼ぶとは思わなかったので驚いた。

 ナイスミドルのイケメン社長は、少し話しませんか、と言った。

「よろしいのですか?お忙しいのでは?」

 優子は促されて、仕方なく車を降りる。

「何、大した時間はとらせません。・・・そうだな、コーヒー、お嫌いじゃないですか?インターの向こうにコーヒーショップあるの知ってるでしょう?」

 また日を改めるのも面倒だった。社長の申し出に頷く。

 優子の会社はインターチェンジからほど近いため、車の便が非常にいい。そのおかげもあって、近在にドライブスルーの出来るファーストフードやコーヒーショップなどが次々と出来たのだ。駐車場から5分も歩けば着く。

「暖かくなりましたね。・・・そろそろ初夏ですねぇ。」

 日が落ちた後に外を歩いていても、それほど寒さを感じない。

「ええ。それでそろそろ良いかと思って優子さんをお訪ねしたんですよ。」

「・・・?あ、ああ、慰謝料ですね。」

「はい。春を過ぎたので慰謝料請求を元ご主人にしようかと思いまして。」


 そうだった。思い出した。

 不貞の証拠が見たいと仕事中の優子に電話してきて、会った日の別れ際。

 証拠を見てすっかり意気消沈していた彼に、

「あなたも、うちの夫に慰謝料を請求していいんですよ。もっとも社長さんにとっては端金かもしれませんが、責任を追求したいのなら、請求なさればいいかと。」

 そう勧めたのだ。するとイケメン社長さんは、

「そんなことをして、その、ご家族が困るんじゃ・・・」

 と、申し訳なさそうに言うではないか。妻を寝取った間男の家族を心配してくれるなんて。

 ずいぶんと優しい男なのだな、と思ったことを覚えている。

「あー・・・ご心配ありがとうございます。じゃあ、春が過ぎたら、請求する手続きを取って下さい。春は何かと忙しいし、その頃にはもう、別居して・・・離婚出来ていればいいなぁと思っているので。」

「春が過ぎたら?」

「ええ。春は何かといろいろあるじゃないですか。まして学生の子供がいれば。」

「そう・・・そうでしたねぇ・・・。」

 悲しげにそう呟いた宗像浩未は、なんとも疲れた表情だった。



 社長は、あの時の事をわざわざ許可を取るためにきてくれたのか。

「どうぞご遠慮無く。・・・お子様は大丈夫ですか?」

 そう聞いたのは、鈴子にも微かに残る罪悪感から。

「娘の方は、まだちょっと・・・。せっかく入学した高校も休みがちで。息子はもう気にしていないように見えますけどね。」

「お子さんはご主人さんが引き取られたそうですね。」

「別れた妻にはとても任せられませんから。今は家政婦も来てくれるので家事の方もどうにかなっています。俺も出来るだけ家にいるように気をつけてます。」

「そうですか。・・・大切にしてあげてください。」

 コーヒーショップは混雑している。

 優子と宗像は列に並び、順番が来るのを待った。


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