第7話 トイレと猫と引き戸の実家
24年1月16日より、Ver.1を削除してVer.2への更新を行っております。
2月9日に発売される書籍版第01巻の続きはVer.2準拠で更新していきます。
書籍には書き下ろしが沢山載っておりますので、どうかよろしくお願い致します。
迷歴二十二年の一月二日の昼、俺達はまたダンジョンにいた。
年明け早々の事だ、最悪誰もいないかと思っていたいつもの広間には、意外にもほどほどに人が集まっていた。
「明けましておめでとう……あっ! 灰皿が設置されてる!」
俺達が店を広げるなり手を振りながらやってきた体育会系イケメンの二本差し兄さんは、赤い灰皿を見て嬉しそうに笑った。
「おめでとうございます! 設備投資しました」
「おめでと~」
「あっちの段ボールも?」
「あっちはお食事スペースです。昼寝もできますよ」
「まぁ地べたよりはマシでしょ?」
マーズが言うと、二本差しは少し考え込んでから深く頷いた。
「まあたしかに、あると地味に嬉しいかも。地面は硬いし冷たいし……普通はあんなかさばるもん持ち込めないから、すげー貴重な段ボールになっちゃうけど」
「それとあっちの衝立は簡易トイレ! 緊急用です!」
「それが一番嬉しいかも!!」
やっぱりみんなトイレは我慢してたのか。
「せっかく買ってきたし、二本差しの兄さんも我慢出来ない時は使ってね」
「へ? 二本差し……?」
二本差しの兄さんはマーズの言葉にきょとんとした顔をして、次に自分の腰の刀を見て、得心のいった様子でその柄頭をポンと叩いた。
「刀の事か。俺は雁木ってんだ、よろしく」
「あ、僕は川島と申します」
「僕マーズぅ」
「おお、謎だらけの調達屋も名前は普通だったなぁ」
雁木さんは爽やかに笑って、懐から財布を取り出した。
「コーヒーとタバコくれる?」
「はいはい」
俺はカフェオレとタバコの代わりに四百円を受け取った。
「君らさぁ、明日も来たりする?」
「すいません、明日はお休みです」
「そうか、来るんなら飯の調達でも頼りにできたんだが……ま、そっちにも予定があるだろうししゃーないな」
そう言って、雁木さんはタバコを咥えながら灰皿へと向かっていった。
たしかに飯食う予定ある人は飯持ってくるし、それは食べちゃわないと荷物になるし無駄になるもんな。
これまで弁当があんまり出なかったのも納得だ。
「出店の予定表でも作った方がいいのかな?」
「あんま気にする事ないと思うけどね」
「そう?」
「来れなくて文句言われるのも面倒だし……命のかかってる鉄火場でさ、最初から補給を他人頼りにしてる人は長生きできないよ」
たしかにそうかもしれない。
あくまでうちの店は補給路ではなく、選択肢の一つとして存在した方がいいのかもな。
「あ、でもSNSとか使えばそうでもないのか」
「SNS?」
「インターネットでさ、今週は何曜日にダンジョンにいてますよっていうのをネットで告知するの」
「そんなん誰か見るかなぁ?」
「意外と見るんじゃない? ネットの力は凄いんだから、やるのはタダだしね」
ここのダンジョンもこの広間まではギリギリWi-Fiが来てるし、品揃えも書けば集客力が……いや、さすがにそこまですれば悪目立ちするか。
いくらバリアを張ってるとはいえ、金目当てで同じ冒険者に襲われたら嫌だしな。
最初はわかる人にだけわかる感じでやっていこうかな。
「ま、そっちはトンボのやりたいようにやってみなよ」
「やってみるやってみる。俺さ、意外とこういうの考えるの好きなんだよね。トイレとか休憩所とかもさ、自分で考えて環境整えて、人に喜んでもらえると嬉しいもんだね」
「本番より段取りが好きな奴っているよね~」
そこは用意周到とか、ホスピタリティに溢れてるとか言ってくれよな。
そんな事を考えながら、俺のスマホでマッチスリーパズルを遊ぶマーズのぴこぴこ動く耳を見つめていると、机の前に人がやってくるのを感じた。
顔を上げると、黒いダブルのライダースを着込んだ目の下に濃い隈のあるお姉さんが、ピンク色のクロスボウを背負って立っていた。
「なんかでっかいのできたね~」
お姉さんはトイレの衝立を指さしながらそう言った。
喫煙所の方から「阿武隈さん待望のトイレだよ」と二本差しの雁木さんの声がする。
このお姉さん、阿武隈さんって言うのか。
「え~! トイレ~!? 使っていいの?」
「生理現象なのにお金取って申し訳ないですが、緊急用の凝固剤使って固めるトイレなので五百円頂きます……」
生理現象なのだ、本当はサービスでタダにしたいが……こういうのはタダはタダで問題が出る。
マーズなんか「千円ぐらい貰っといたら」と言っていたぐらいだ。
これまでも普通に物陰でしてたのだ、金がもったいなければそうすればいい。
ダンジョンは普通に風が吹いてるから、匂いもそんなに残らんしな。
「払う払う、ありがたいね~トイレ。でも一個じゃ足りないかも」
「え? 一回五百円ですよ? さすがにそうそう使う人は……」
「女の子って個室が必要な場面が色々あるから、安全地帯にある個室なんてみんな使いたがると思うよ」
「そういうもんですか?」
「そういうもんなのだ~」
何か言いたげな顔でマーズがこちらを見上げているが、俺は気づかないふりをした。
いくら需要があるからって、やっぱりトイレで千円は取りすぎだと思うんだよな。
阿武隈さんはしばらく嬉しそうな顔でトイレを見つめていたが、思い出したかのように真顔になってこちらを見た。
「忘れてた、何か甘いものください」
「甘いものですね、何系がいいですか?」
「今日はクリーム系で」
クリーム系ね。
「じゃあダブルシュークリームで」
「おいくらまんえん?」
「三百万円です」
「ぼったくりだぁ」
そんな事を言いながら、阿武隈さんはシュークリームと三百円を交換して去っていった。
貴重な現場の意見が聞けて良かったよ。
彼女が離れるとすぐに、ポリカーボネートの盾を持ってごっついヘルメットを装備した、警察の特殊部隊員のような服装の男性が走ってきた。
「あのっ! トイレ使えるって!?」
「五百円です」
「はいこれ!」
彼は用意していたんだろう五百円を置き、衝立の前に盾を置いて転がり込むように中に入っていった。
扉が閉まるとすぐに、ああぁ……というため息のような声と、あまり聞きたくない音が聞こえてきた。
うん、次来る時までに、トイレの中で音楽を流せるようにしておこう……
抱っこ紐の中に潜り込むように首を引っ込めたマーズを見つめながら、俺は心にそう誓ったのだった。
その翌日、三が日最後の一月三日。
俺達は千葉にある俺の実家へと帰省するため、東京を離れていた。
うちの親が、近いんだから盆暮れ正月は帰ってこいとうるさいのだ。
いつでも帰れる距離なんだからいつでもいいじゃんとは思うものの……
盆暮れ正月と心に決めておかないとずっと帰らないんだろうなという確信もあった。
「ここ俺んち」
「一軒家なんだ」
「中古だけどね」
バス停からちょっと離れた場所にある瓦屋根の実家の引き戸の玄関を開けると、二十年間全く変わらない光景が目に飛び込んできた。
電話台の上の黄ばんだプッシュホン。
壁に貼ってある俺と妹の『日々是好日』の書道。
ボロボロの帽子かけには、母と妹の物と思しきカバンやらストールやらネックレスやらが雑然とかけられている。
俺が出ていく前から変わった物といえば、玄関のスリッパ置きに来客用らしいゼブラ柄のスリッパがかけられている事ぐらいだ。
「ただいま~」
俺がそう言うと、奥の台所からうちの母の声が返ってきた。
「あれ? トンボぉ? あんた帰ってくるの今日だっけ?」
水音がしているから、洗い物をしながら喋っているのだろう。
出迎えに出てくるつもりはなさそうだ。
俺は靴を脱いで上がり、マーズにスリッパを勧めようか一瞬迷ったが、やめた。
猫の足には大きすぎる。
「三日に帰るって言ったじゃん」
「そうだっけ? 友達連れてくるって言ってたから部屋に布団用意しといたけど、あんたの部屋で良かった?」
「いい、いい」
「あ、お邪魔してま~す」
「あらやだ、そうそうお友達も来てるのよね。お母さんすっぴんだわ。ごめんなさいね」
ガラッと引き戸を開けて廊下に出てきた母は、二、三歩こちらに歩いてからマーズに顔を向け、ゆっくり近づきながらしげしげと眺め、ビクッと体を震わせてから、一拍置いて絶叫した。
「うわーっ!!!!」
「うるさっ!」
「うわっ! うわっ! うわっ! まぁちゃん帰ってきた!! おっ! お父さーん!!!! お父さーん!! 千恵理ーっ! まぁちゃん生きてたよーっ!!」
母はどたどたとリビングの方へ駆けていった。
「どゆこと?」
「前に言ったじゃん、マーズってうちの死んだ猫に激似なんだって」
「写真見てもそんな似てるとは思わなかったけど……」
「あの反応見たろ、完全に化けて帰ってきたと思われてるよ」
マーズとそんな話をしていると、父母妹が腰の引けた感じで廊下をゆっくりと歩いてきた。
「マーズや! ほんまや!」
「兄ちゃん、まぁちゃんって死んだんじゃなかったの!?」
「みんなが集まる正月だから帰ってきてくれたんだねぇ、ほんとにいい子だねぇ……」
母は泣きながらマーズに向かって手を合わせはじめた。
「とにかく、中に入ろう。説明するから」
俺はマーズに寄ろうとする三人をグイグイ押してリビングへと追い立てる。
この調子で抱きしめて頰ずりなんかされると完全に事案だ。
その後ろからは、ちょっとビビった感じのマーズが俺に隠れるようにして付いてきていた。
「家族一同取り乱しまして、ほんまにすんませんでした」
「いえいえ、気にしていませんから」
あれからしばらくが経ち、お茶を一杯飲んで落ち着いたうちの親父がマーズに非礼を侘びていた。
「でもねぇ、まぁちゃんだと思うよねぇ?」
「さすがにここまで一緒だと、猫又になって帰ってきたって言われたほうが信じられるかな」
一応事前にマーズによく似たケット・シーを連れて帰るとは言っていたのだが、さすがにここまで似ているとは思わなかったのだろう。
「あの、僕はほんとに猫のマーズ君じゃありませんので」
「でも名前はマーズなのよね?」
「物凄い偶然だよね、もう運命じゃない?」
それは俺がマーズと名付けたからなのだが……
流石に宇宙人がどうこうという話まですれば、今でさえギリギリの家族の理解力のキャパも溢れてしまうだろう。
それに加えて俺が今冒険者をやっている事や、宇宙の向こうの犯罪組織と物々交換の取引をしているなんて事を話せば無用の心配だって生んでしまう。
とりあえず、今日のところは偶然で押し通す事に、俺とマーズは決めていたのだった。
「とにかく、猫のマーズに似てるっちゅうのは置いといても、せっかくのご縁なわけですから。是非! ここをマーズさんの地球の実家やと思って、ゆっくりしていったってください」
もっともらしい事を言っているが、親父は完全にマーズにデレデレだ。
そもそも猫のマーズを拾ってきたのは親父、名前をつけたのも親父、育てたのも親父、いなくなってから一番落ち込んでいたのも親父なのだ。
今は「ええですか? ええですか?」なんて言いながらスマホで写真を撮りまくっている。
「まぁちゃん……あ、ごめんなさいマーズさん、晩ごはんですけど食べられない物とかは……?」
「別に呼びやすい形で呼んでもらって結構ですよ。あと食べ物はトンボが食べれる物なら何でも食べれますので」
「日本は初めてだって事だし、晩はどうしようかしら……」
「母さん、寿司、寿司。やっぱお魚がええんちゃうか」
「クーポンあるからピザにしようよ」
そわそわしているうちの家族とは裏腹に落ち着いた様子のマーズは、コタツの上座に置かれた子供椅子にちょこんと座っていた。
「あ、ミカン頂いてもいいですか?」
マーズがそう言いながらコタツの上の籠に盛られたミカンを指差すので、一つ取って「ん」と渡してやる。
マーズは東京の俺の家でも毎日デザート代わりに食べてるからな。
「マーズさん、ミカンお好きなの?」
「うちの国にはこんなに甘い果実ってないので」
「たしかに冬ミカンって甘いものねぇ」
「ねえねえ、マーズさんってどこの国から来たの?」
妹がそう聞くが、さすがに星の彼方と言う訳にもいかず……
マーズは気まずそうに目を泳がせた。
「あー、一応ポピニャニアってとこから……」
「何そこ! めちゃくちゃ行ってみたい! ケット・シーの国なの?」
正直俺もいつか行ってみたい。
「同族ばっかり住んでるよ、ちょっと遠いけど」
結局この日は夕飯に普段は取らない寿司を取ったり、マーズがいける口だと知った親父が秘蔵の大吟醸を開けたりの大騒ぎで過ごし。
翌日はマーズが美味しいと言ってしまった親父の地元の名物、イカナゴのくぎ煮とミカンを大量に持たされて昼過ぎに家を出た。
家族に大混乱をもたらし、こっちはなんとも対応に苦慮する帰省となったが……
マーズは帰りの電車の中で「どんな形でも、歓迎されてるならまぁいいかな」とまんざらでもなさそうに笑っていたのだった。