第54話 本質と姫と将来設計
「どーしよっか、これ」
家のコタツの上、前みたいに振動で勝手に操られないよう、あられの入っていた缶に入れられたスマホを眺めながら、姫はそうこぼした。
どうしようかというのは、金頭龍商会からの電話にどう対応しようかという事である。
「多分魔鋼素材だよね? 俺がジャンクヤードに入れた途端にかかってきたから」
「状況的にもそうだよねぇ……」
やはり、相手は何らかの異能で俺のジャンクヤードを監視していると見て間違いないだろう。
きっとすぐにKEEPをかけていなかったら、しれっと何かと交換されていたはずだ。
「なーんか、金頭龍の掌の上って感じがするんだよなぁ。やっぱり異能に関しては敵わないね」
「ゴールデン……何?」
マーズのぼやきに対して、子供用の座椅子にちょこんと座ったシエラがそう尋ねる。
彼女には俺達の事情はふんわり話してあるが、金頭龍商会との因縁についてはまだ話していなかったか。
「俺の異能を監視してる奴らがいるんだよ。悪い商人だ」
「悪いやつ、倒す! 任せろ!」
シエラは小さい手をぶんぶん振りながら言うが、問題なのは相手がその手が決して届かない場所から仕掛けてくるという事だ。
「しかしこうなると……もしかしてあのゲーム機も金頭龍のものだったのかなぁ?」
「ああ! 言われてみればそうかもね。あれもトンボがダンジョンの素材をジャンクヤードに入れたタイミングだったもんね」
「え? 何? そのゲーム機って」
姫が訝しげにこちらを見ながら、コタツの中で俺の足をちょんちょんと蹴る。
あれ? そういえば姫には言ってなかったっけ?
「あれって姫に話してなかった?」
「……そういえば、そうかな?」
「姫がこっちに来る前の話って事?」
「そうなんだよね。なんか魔物の素材と宇宙のゲーム機が交換されてきてさ……」
俺は姫に宇宙の折りたたみゲーム機の事を説明した。
それは俺が持っていたゲーム機に酷似していた事、そしてピカッと光った後に眠くなった事。
そしてその時に夢で見た、今の自分とは似ても似つかない、強い自分の事。
俺のそんな話を、コタツに肘をつきながら黙って聞いていた姫は……
ガン! と拳をコタツの天板に叩きつけた。
「完っ全にトラップじゃん!」
「え? トラップ?」
「あ、やっぱそう?」
「ヒメ、叩くとよくない」
「ごめん」
姫はそう言って、自分が叩いた天板を肉球で擦るシエラの頭をひと撫でした。
ていうかトラップって何だよ。
あれがトラップだったとしたら、俺が見たあの夢はなんだったんだ?
失敗を恐れてばっかりだった俺に、やれるだけやってみようと思える勇気をくれた、デカい背中のあの俺は?
迷った時にいつも指針になってくれた、即断即決のあの俺は?
あれが全部、金頭龍に見せられた、都合の良い幻影だったっていうのか?
そんなショックで固まった俺の眼の前に、スッと姫が手を差し出した。
「トンボ、出して」
「え?」
「そのゲーム機、出して」
頭が混乱しっぱなしの中、言われるがままにその手の上にゲーム機を置くと……
彼女はそれを持って、自分の部屋に引っ込んでいった。
「……言うの忘れてたね」
こちらに顔を近づけ、髭をぴこぴこさせるマーズにそう言われるが、俺は「うん」と空返事を返す事しかできない。
なんだか、自分の浅さというか、簡単さにショックな気分だ。
あれが嘘だったとしたら……
俺は誰かに作られた自分を勝手に信じて、勝手に魅入って、勝手に目標にしてたって事だもんな。
なんか俺って、呆れるぐらいに簡単な人間なんだな……
「つい姫って何でも知ってると思っちゃうんだよなぁ」
「そうだね……」
顔を近づけてそんな事を話す俺達に、なぜかシエラもふんふんと頷きながら、真っ白な毛並みの顔を寄せてくる。
俺はその鼻先をちょっと撫でて、姿勢を正した。
頭はショックでふわふわしているが、そうしてばかりもいられない。
たとえ今の自分がどうだろうと、やるべき事はやらなければいけない。
それは俺が短い社長経験から得た、嘘偽りのない教訓だった。
たとえこれまで嘘を信じてきたのだとしても、それだけは誰にも奪えないはずだ。
「マーズ……」
「何?」
「いや、なんでもない……」
優しいマーズは弱音を吐き出しかけた俺に、それ以上何かを聞いたりはしない。
彼はただ無言で、俺にお茶を入れてくれた。
ほどなくして、そんななんとも言えない空気のリビングへ戻ってきた姫は「んっ」と俺にゲーム機を突き返した。
そして、まるで何でもない事のようにこう言った。
「中身確認したけど、そのトンボの映像はフェイクじゃない」
「えっ?」
どういう事!?
あれは嘘の映像で、トラップなんじゃなかったの!?
「嘘じゃなかったわけ?」
「多分だけど、トンボが見た夢は本物。ただし……こっちの銀河の未来のタイムスタンプの夢だけど」
「えっ!? えっ!? えっ!? ……どゆこと?」
「わからない。姫もこういうのは聞いた事ない」
「という事は、トンボが言ってた凄いトンボってのは、本当に未来の姿って事?」
マーズの問いに、姫は肩を回しながら口の端を曲げた。
「全く改ざんや創作の痕跡がなかったし、そうだとは思うんだけどなぁ。なにぶんこっちの銀河の事だから……」
「え? じゃあ俺、どうしたら……?」
俺は混乱のあまり、そんな答えようのない事を彼女に尋ねてしまった。
「……ぶっちゃけ、トンボがあの男に憧れていたいんなら好きにすればいい。と、言いたいところなんだけど」
姫は背筋を伸ばして、まっすぐに俺の顔を見た。
俺もなんとなく背筋を伸ばして、彼女の方を見つめ返す。
「これは姫のワガママなんだけど、いい?」
「……もちろん」
俺が答えるやいなや、突然彼女は俺の胸ぐらを掴んで、グイっと自分の方に引き寄せた。
「あんな男に憧れてんじゃないよ、トンボ」
「えっ?」
「姫はああいう人間、何人も見てきた」
そう言いながら、姫は俺の顔の左右に両手を回して、更に引き寄せた。
彼女の金色の瞳の表面がキラキラと煌めいて、俺の間抜け面を映し出す。
そのままの状態で、姫はこう続けた。
「豪快で、剛腕で、色んな人間の生活を一人で面倒見てるような顔して、誰からも好かれて、自然と尊敬される。トンボがなりたいのは、そういう人間でしょ?」
「…………」
思っていた事をズバリと言い当てられた俺は、どうにも気まずかったが……
まっすぐに俺の事を見つめるその瞳から、どうしても目を逸らせなかった。
「そういう人間はね……みーんないなくなったよ。つまんない事で。妬まれて、恨まれて、頭おかしい奴に狙われて……信じてた人間に裏切られて」
「…………」
「トンボからしたら、眩しいかもしれない、羨ましいかもしれない。でもね、凄いって事は……輝くっていう事は……色んな人の目に留まるって事なの。そして好意だけじゃなく、悪意にも晒されるって事なの」
彼女は本当に苦しそうにそう言い、それから口の端を曲げて笑顔を作り、俺に問いかけた。
「トンボだって、頑張ったらいつかはああなれるのかもしれない。夜空に輝く、でっかい星になれるかも。でもねトンボ……その時、トンボは自分の事を……周りの事を守っていける? 一度や二度じゃないよ、生きてる限り、ずーっと」
そう言われると、なるほど絶対に無理だ。
「あたしはね、駄目だった。裏切られて、攫われて、バラバラにされて捨てられて、それでトンボに助けられた。トンボはどう? そういう幸運に賭けてみる?」
「いや……」
これもまた、流されているだけなのかもしれないが……
たしかに言われてみれば、姫の言う通りにも思える。
マーズが家にやって来てからの一年間で、俺も自分の事をちょっとだけ知った。
俺は一人ではほとんど何もできない愚か者で……
それでもほんのちょっとだけできる事があって、仲間にだけは恵まれて……
それにすがって生きている、小さい小さい人間だ。
「…………」
今も黙って見守ってくれているマーズがいなければ、きっと未だに「何かしなければ」と思いながら、何も出来ずに燻って暮らしていただろう。
きっとこの先どう頑張ったって、俺という人間のそういう本質は変わらないと思う。
たしかに俺が目指すべきは、あの夢で見たようなワンマン超人ではないのかもしれない。
「ね、トンボはどういう人になりたいの? 言ってみて。たとえそれがどんな道でも、姫ができる限りで手伝ったげる」
「……俺は、俺の大事なものを守りたい。家族、友達、知り合い……できれば千葉、他のところはできる限りで……」
なんて口では大きい事を言いながらも、俺は正直言って「家族以上の事は責任持てんぞ」という気にもなっていた。
「じゃあ千葉以外の場所に、この間みたいなおっきい蛇が出てきたらどうする?」
「まぁ今なら海賊船があるから……ステルスでこっそり倒しにいくかな」
でっかい銃もついてたし、きっとそれぐらいならできるだろう。
「じゃあ、地球に隕石が落ちてきたら?」
「海賊船でなんとかできるなら、なんとかする。」
サイズにもよるだろうが、あの船なら隕石ぐらいなら砕けそうな気もする。
「宇宙海賊が地球に攻めてきたら?」
「勝てないやつ?」
「サイコドラゴンが十隻ぐらい」
そりゃあ勝てない。
「勝ち目がないなら、家族や友達を拾って異世界か宇宙に逃げるかな」
蛇のお化けとは「いけるかも」と思えたから戦えたのだ。
いくら地球の危機だと言われても、勝ち目のない戦いはできそうになかった。
「いいよ。その線引き、忘れないでね」
俺の言葉を聞いた姫はそう言って、顔を掴んでいた手を離した。
おそらく彼女が言いたかったのは、できる事をちゃんと把握して、分相応に生きろという事なのだろう。
ごもっともな話だ。
だいたいよく考えれば、夢の中の俺は自分の背中にまるで宇宙でも背負っているかのような、そういう気迫があった。
物語の主人公ならそれでいいが、俺が生きているのは現実だ。
たしかにあんな風に生きていては命がいくらあっても足りないし……
きっと死ななくたって、あれじゃあ仕事の後にゲームをするような心の余裕もないだろう。
別に俺の目的はああいう風に偉くなる事でも、凄くなる事でもないのだ。
家族や地元が平穏無事なら、他の事はどうだっていい。
俺個人はマーズを地元に送り届けて、あわよくばポピニャニアに行って、水が合ったらあっちの銀河でマーズと一緒に運送業やったりして……
とにかくほどほどに働いて、後はゲームをやったりして楽しく過ごしたいだけなのだ。
「そんでお二人さん、結局これからどうするわけ?」
なんだか生暖かい目でこちらを見ているマーズの問いに、姫は簡潔に答えた。
「金頭龍、完全に切っちゃお。これ以上あっちの思惑に乗る必要ないよ、ジャンクヤードに送られてくる怪しいゲーム機とか手紙とかも、もう取り出さないように」
「へ?」
「トンボのスマホ、宇宙から勝手にアクセスできないようにセキュリティ上げて……ついでにトンボの近くの機器にもアクセスできないよう、ジャミングも張れるようにしとく」
「それぐらいで大丈夫かなぁ?」
「駄目なら駄目でまた考える! とにかく今後我が家では、金頭龍との取り引き交渉はしません! それでいい? トンボ」
「もちろん、俺はその方がいい。あの会社、めちゃくちゃ怖いし……」
「まぁ、たしかに怖い会社だよ」
「じゃ、そうしとくね」
そう言って、姫はあられの缶に入ったスマホを持って部屋に戻っていった。
そんな姫の後ろ姿を見送ってから、マーズが俺の手をちょいちょいと突いた。
「トンボさぁ、さっき言ってたけど……隕石落ちてきたらほんとに止めるの? 映画みたいに?」
「いや、あんまりデカかったら諦めるかも……」
「そうした方がいいよ、荷電粒子砲じゃ多分隕石は砕けないし……」
「え!? そうなの?」
俺と猫のマーズがそんな締まらない話をしている中……
犬のシエラはコタツに潜り込むようにして、大口を開けて眠っていたのだった。