第49話 チョーカーと犬と錬金術師
前話をちょい改稿しました。
「これ、毛生え薬」
ジャンクヤードの中からやってきた、シエラというおそらくコボルト族である白犬。
姫謹製の同時翻訳チョーカーを身に着け、こたつの上にちょんと腰掛けた彼女はそう言いながら、毛むくじゃらの手で持った赤い薬瓶を左右に揺らした。
……そう、彼女。
シエラは女性だったのだ。
「とりあえずうちで面倒見るしかないんじゃね?」
そんな姫の言葉通り、俺のスキルから出てきた人間をどこかへ放り出すというわけにもいかず、とりあえずシエラはこの1LDKで一緒に暮らすという事になった。
そのために彼女の帰化申請のために役所に行き、その書類を揃えていく過程でようやく性別がわかったわけだ。
しかしこれは、一目でわかれという方が無理だ。
コボルトやワーウルフはデリケートゾーンもしっかり毛が生えているため、見た目ではぶっちゃけわからないからな。
そんな彼女は今、こないだからジャンクヤードに増え続けているリーヤー作の混合薬に書かれた文字を翻訳してくれていた。
「毛生え薬、と。それってどういうもの?」
「しらない」
細い目を更に細めて笑いながら、シエラはあっけらかんとそう言った。
一体どういう技術なのか、同時翻訳チョーカーは彼女の周りの音場を自動で調整してくれているようで……
シエラの英語での発話は、口元に耳を当てるぐらい近づけないと聞き取る事ができない。
そのおかげで、役所での手続きの間も特に怪しまれるという事もなかったのだった。
「うーん、知らないかぁ」
「ラベルに説明書とかもついてないっぽいしねぇ」
マーズはそう言いながら、目を細めてシエラの手にある瓶のラベルを眺める。
「まぁでも文字の読みがわかるだけでも大きいっしょ。多分もっと文字と読みのサンプルが増えたら解読ソフトも作れるよ」
たしかに姫の言う通り、薬に書いてある文字を読めるってだけでも恩の字ではある。
「シエラは英語と異世界語が両方わかるんだね」
「異世界語?」
「瓶に書いてある言葉」
「これ、ウールジラ文字」
まぁそうか、異世界語なんて言葉はないよな。
「トンボ、教える?」
「え?」
「ウールジラ文字」
シエラは瓶の文字を爪で差しながらそう言った。
「いや、さすがに異世界語はいいかなぁ……」
「そうそう、トンボは英語の方を教えてもらいな」
たしかに、正直言って試験前には教わりたい。
「あ、そうだ……英語って言えば、シエラはなんで英語が話せるの?」
「錬金術師が刷り込んだから?」
シエラはそう言いながら机にごろりと瓶を放り出し、菓子かごにあった袋から剥き甘栗を何個か取り出して口へと放り込む。
「錬金術師が英語話者だったって事?」
「錬金術師、ウールジラに連れてこられた。言葉忘れないように、シエラ達に仕込んだ」
「連れてこられた!? その錬金術師ってどういう人だったの?」
「喋ったことないけど、刷り込みある」
彼女はモフモフの指先の爪でちょいちょいと額をつつくと、ピンと背筋を伸ばしてまっすぐ前を向き、朗々とした声で淀みなく言葉を紡ぎ始めた。
「……私はイーサン・ムーア、アメリカ人だ。1923年6月9日イリノイ州シカゴのワイトウッド生まれ、ホークスのファン。妻の名はドロシー、娘の名はスーザン。今はなぜか見知らぬ子どもと入れ替わってウールジラという土地にいる。あなたが親切なアメリカ人ならば、いつか帰ると故郷の妻に伝えてほしい」
そう言い切った彼女はまた背中をふにゃりと曲げて、それ以上は何も語らずに机の上の甘栗をむぐむぐと頬張った。
そんなシエラを見ていた姫は、机についた肘の先の拳を自分の側頭部にコンコンと当て、何かを考えているようだ。
「……23年ワイトウッド生まれのイーサン・ムーアは事故で死んでる。それも58年の交通事故で家族全員ね」
どこかのデータベースを閲覧したのだろうか、姫はそう言いながら舌でちろっと上唇を湿らせた。
「この銀河には記憶を残したまま次の人生に行くシステムがあるって事? でも地球のデータにはそういう実例はないんだよなぁ」
姫はぶつぶつと独り言を続けているが、たしかにそういうのは創作の中でしか聞いた事がないなぁ。
「ていうかそっちの銀河では、次の人生に記憶とか持っていけたりしないの?」
「記憶を保ったまま次に行くってのは、おとぎ話ぐらいでしか聞いた事ないなぁ。そもそも記憶ってのは肉体である脳に宿ってるものだからね」
髭をしごきながらマーズはそう言うが、正直それぐらいSFの力でどうにかならないのかと思ってしまう。
まぁ、ほんとに何でもできるなら、ワープか何かであっちの銀河からここまで迎えの船が来れているんだろうけど……
「うーん……地球にウールジラなんて地名はないから、転生先は異世界だと思うんだけどなぁ」
「シエラ、そのウールジラってどこ?」
「国! アールマイの末裔らが立てた都市国家郡!」
「都市国家ねぇ……そりゃますます異世界だわ」
「そういえばリーヤーってのはどうなんだろ? リーヤーもイーサンと同じような立場だったりしないのかな?」
そうだ、毛生え薬をりんごと交換しまくってきているリーヤー氏の事を聞くのを忘れていた。
「シエラシエラ、多分シエラを交換してきた相手だと思うんだけど、リーヤーって知ってる?」
俺がそう尋ねると、シエラは口に頬張っていた甘栗をむぐむぐと飲み込んでから答えた。
「リーヤー、錬金術師の弟子! シエラの製造に一部関わってる!」
「なるほど弟子かぁ……会った事はある?」
「ない!」
力強い返答は気持ちがいいが、謎は深まるばかりだ。
とはいえ、今現実的に存在する問題は、リーヤー氏の送ってくる薬瓶が溜まっていく事ぐらいだ。
ジャンクヤードの容量の底はまだまだ見えない。
結局、使えないなら使えない、わからないならわからないで、一旦置いておけばいいのだ。
と、いうよりかは……
異世界の謎にばかりかまけてもいられない状況が、俺のすぐ目の前に迫っていたのだ。