第35話 地図と猫と映え効果
24年1月16日より、Ver.1を削除してVer.2への更新を行っております。
2月9日に発売される書籍版第01巻の続きはVer.2準拠で更新していきます。
書籍には書き下ろしが沢山載っておりますので、どうかよろしくお願い致します。
打ち水が一瞬で消えてなくなる灼熱のお盆明け、俺とマーズは防衛装備庁の佐原さんの呼び出しで、東京都ダンジョン管理組合本部へとやって来ていた。
太陽から親の仇のように照らされてヘトヘトになった体を、ガンガンにかかった応接室のクーラーで急速冷却し。
世間話をしながら大ぶりの氷が入ったアイスコーヒーを飲んで、ようやく一息ついた所で佐原さんがおもむろに話を切り出した。
「ところで、風の噂で聞いた話なのですが……何でも川島総合通商の方ではダンジョンの詳細な地図を入手なさったとか?」
「まぁね」
基本的に、この人と話す時はマーズが主体で俺は置物だ。
俺では知識も経験も足りず、率直に言って話にならないのだ。
相手もそれがわかっているから、いつも話は専務相手にしてくれていた。
「さすがの技術力ですね、あやかりたいですなぁ。ああそうそう、物は相談なのですが……そちらの地図、自衛隊でも参考にさせて頂くことなどできませんかな?」
「地図は高いよ~?」
「それは勿論、重々承知の上でのご相談なのですが……どうでしょう? 御社の技術を疑うわけではありませんが、地図の正確性を確認する必要もある事ですし、今回のところは善意でのご提供というわけには?」
マーズはそんな佐原さんの言葉に大げさに肩をすくめた。
ぶっちゃけあの地図、救援要請業務のために管理組合に提出してる時点でもう自衛隊にも提出してるようなもんなんだけど……
自衛隊としては大手を振って使えるように、ちゃんと仁義を切って許可を取りたいって話なのかな?
「どうもこの国の人って回りくどいよね。ここには三人しかいないんだからズバッと言ってよ」
「いや、こりゃあ失礼。私普段は国内企業担当なもので、外国の方と話す時はどうしても緊張してしまいまして」
「川島も国内企業だけど?」
「こりゃまた失礼。他意はありませんとも」
全く緊張してない様子の佐原さんはアイスコーヒーを一口飲んでにこりと笑った。
「いかがでしょう。御社のあのドローンの運用について、わが国はひとまず干渉しないという事ではどうですかな?」
「別にうちは遵法でやってるけど」
「法というものは時節に合わせて変わっていくものでありますからなぁ。ダンジョン内でのドローンへの制限緩和はAIを用いた大量運用に対応した物ではない、とだけ……」
「ふぅん、お墨付きをくれるってわけじゃないんだ?」
「いやはや、わが国の国民はそういう特定企業に対する特別扱いという物に大変に敏感でして……ご理解頂きたいところですなぁ」
まあ、それはわかる。
うちだけ特例貰って得してるなんて事がバレたら、ワイドショーで二ヶ月ぐらい叩かれると思うもん。
マーズはチラッと俺の顔を見て、訝しげに右の目尻を下げた。
「……ま、いいか。ひとまず地図のデータを回せば、当面ドローンの使用への掣肘はないって事ね。いいよ、OK」
「ご協力に心よりの感謝を。それと、あのドローンや他の製品についても、また時期を見て導入のご相談をさせて頂きたいのですが……」
「特殊な製品が多いから、軍隊で使うほど数が揃うかなぁ? ま、どちらにせよ強化外骨格の後でしょ?」
「ええ、そういう形になると思います」
佐原さんの腹の底の読めない笑顔をぼんやりと見つめながら、俺は汗をかいたグラスを持ち上げてコーヒーを吸い込んだ。
腹の探りあいみたいな会話をずっと聞いていて、一言も喋っていないのに喉がカラカラだ。
来る途中でかいた汗はすっかり引っ込んでいたはずだが、俺はなんとなくポロシャツの背中の裾を引っ張った。
暑さでかくのとは別の種類の汗で、ポロシャツの背中がじとっと濡れているような気がしたのだった。
図ったようなタイミングというのは、世の中に案外あるものだ。
夏休みが終わり高校生冒険者たちがいなくなって多少静かになった東四で、俺達に真面目な顔をした気無さんが持ってきた相談事は、まさにそういう物だった。
「パッケージの投下を頼めねぇか?」
「え? 何ですかそれ?」
「物資運搬だよ。奥までついて来いなんて言わねぇ。お前んとこのドローンあるだろ? あれでなんとかなんねぇか?」
俺とマーズは、思わず上と下から目を合わせあった。
盆明けにちょうどダンジョンでのドローン使用の話を政府側としたばかりで、正直言ってちょっとタイムリー過ぎる頼み事だったからだ。
「それって何キロぐらいのもの?」
「逆に何キロぐらい運べるのかで物が決まってくる。しばらく東一で籠もる事になりそうでな」
バラクラバを半分めくった気無さんは、煙草の煙を吐き出しながらそう答える。
「東一で? なんかあったんですか?」
「いや、学者先生からの定点観測の依頼でよ。かなり険しいとこに入るから最低限の荷物しか持っていけなくてなぁ」
なるほど、学者さんからの依頼ね……
なんとなく姫も聞いてるかなと思ってスマホを取り出してみると、案の定聞いていたようで、勝手にメッセージアプリが立ち上がって姫とのトーク画面が開いた。
『ダンジョン内だからあんまりデカいの飛ばせないし、今使ってるのよりちょっと大きいので一台につき三キロぐらいかな』
今調査用に使っているドローンは二百グラムの物だからな、運送用に使うならやっぱりサイズアップは必要か。
「あー……運送用のドローンを飛ばせば一度に三キロぐらいは運べると思いますけど……」
「そんぐらいあればいいなぁ」
気無さんは襟にクリップした個人用エアコンの風向きを調整しながら、ウンウンと頷いた。
「そんじゃあ詳しい話はメールで送って頂いて……」
「おお、送る送る。……あ、そうそう、お前ら知ってる? 草加のダンジョンの奥の方で死人が出たって」
「え? そうなんですか? 草加って言ったら埼玉の四番目でしたっけ」
「そうそう玉四だよ玉四、なんでも真夏なのに凍死してたってよ」
「え!? 凍死!?」
「あそこはスライム系が多いから、もしかしたらアイススライムにやられたのかもな」
スライム系の魔物は金にならないのに倒すのが大変で、しかも毒を使ってくるようなものもいて冒険者からはかなり嫌われていた。
地球では見られない生態のため熱心に研究する人が多数いたり、どうにかして飼育しようとしているチャレンジャーもいたが、研究も飼育も未だ上手くいっていない。
煮ても焼いても食えない魔物、それがスライムだった。
「お前らも玉四行くときはよ、用心してカイロぐらい持ってった方がいいぜ」
「いや~、僕ら東京専門なんで」
ニタニタと笑う気無さんにそうは言いつつも、俺達はその晩すぐに玉四へと調査ドローンを送る事を決めた。
不審な死体があるという事は、ダンジョン内に異変があるのかもしれない。
そして異変がある所には、ヤバい魔物がいるかもしれないのだ。
宇宙船と交換するためにヤバい魔物を探している俺達に、それをスルーするという選択肢はなかったのだった。
そんな自衛隊関係もダンジョン関係も色々と動きがあった迷暦二十二年の夏、もちろん川島総合通商の方にも動きがあった。
ただそれは動きというか何というか……
とにかく、俺が全く予想していなかった方向からの一撃なのだった。
「ねえ社長、副社長ってどういう人?」
街中に陽炎が立ち上る、ひときわ暑い日の事だ。
ロボットの組み立てのため、川島総合通商の荷物発送場でもある元工場にやって来た俺に、阿武隈部長がそう尋ねた。
「え、何でですか?」
「なんか最近さぁ、イソスタで見たんですけどって人から化粧品についての問い合わせがいっぱい来てて……これってほんとにうちの副社長でいーの?」
彼女がそう言いながら見せてくれたスマホの画面には『姫』という名前のアカウントが表示されていた。
イソスタというのは写真を主体としたSNSで、キラキラした男女がキラキラ写真を投稿するものだだ。
そういや姫、うちの妹から薦められたとか言って始めて色々写真に撮ってたな。
「プロフィールに川島総合通商副社長って書いてあるし、めちゃくちゃ商品の宣伝してくれてるから本当にそうなのかなーって」
「ほ、本人です……」
阿武隈さんが何件か投稿を見せてくれたが、なるほど姫は会社の宣伝としてイソスタを使ってくれていて、うちが出している調味料で作った料理の写真やスキンケア用品、便利グッズの使い方なんかを主体に投稿しているようだ。
だが問題は、その写真が全部が全部めちゃくちゃ映えすぎてるって事だろう。
ふりかけをかけただけの卵かけご飯も、姫の白く細い指に塗り込まれた化粧水も、姫が時々作る銀河のヘンテコ料理も、とてもうちの1LDKで撮ったとは思えないぐらい、完璧に映える写真となっていた。
完全にオーバークオリティだ、スタジオで撮ったってこうはいかないだろう。
「凄いよねー、副社長ってプロの写真家かなにか? 顔出しもしてないのにもうフォロワー五万人超えてるよ」
「プロっていうか……まぁ専門家になるのかな……」
姫の写真に本当に感心しているらしい阿武隈さんに、マーズは言葉を濁してそう答えた。
まぁ、元超銀河級のインフルエンサーとは言えないもんな……。
「とにかく、副社長のイソスタからうちを知ったっぽい人からどんどん発注が来てるから~、それを共有しときたかったの」
「あ、こりゃご迷惑を……」
「ご迷惑って何言ってんの? 商品が売れてんだから万々歳じゃん」
あ、そっか……普通はそうか。
川島家にとってこの会社は宇宙っていう目標までの布石でしかなくても、川島総合通商からすれば商品を売りまくって金を儲ける事こそが本義だもんな。
「いやいや、もちろん、イソスタの運用を共有してなかった事についてですよ……」
「あー、それはね~。ご多忙かもしれないけどさぁ、副社長にも今後こーゆー事あるなら社内チャットで共有願いますって言っといてね」
「了解です」
俺はそう答えてから、以前よりもいくぶん隈の薄くなった阿武隈さんの顔を見た。
この会社に関わってるのはうちの三人だけじゃないんだもんな、俺ももっとしっかりしなきゃな。
どうせならこの会社も姫に作ってもらった物を売るばかりじゃなくて、いつかは自社の力で商品を用意できるようにしたい。
そんなある意味泥縄な決意に拳を握る俺をよそに、阿武隈部長はちょこんとしゃがんで専務のマーズに話しかけていた。
「専務専務」
「え? 何?」
「なんか専務と同郷のケット・シーの人達にバイトしたいって言われてるんだけどどうする? 今のとこ日本に国籍がない人は一律お断りしてるんだけど」
「えー、うちでバイト? なんでだろ、ポイント目当てなら魔石持ってくるよね?」
「多分だけどさー、ケット・シーが役職についてる会社ってのが珍しかったんじゃないかな」
そう言われればそうかもしれない。
異世界の人ってそもそも絶対数が少ないから、サラリーマンになる人はいても、役職についてる人ってなかなかいないよな。
たしかに同じ国の出身……に見える人が出世した会社ってのは十分働く選択肢に入るのかな。
「そういう会社ならチャンスがあるって思ったのかな? まあ多分同郷じゃないだろうし、普段どおりの採用でいいよ。条件合って面接でオッケーなら採用で」
「ん、わかった」
まあ、実際のところうちはわざわざ帰化手続きしてまで働きに来たいと思うような会社じゃないだろうし、それならうちの会社にケット・シーの社員が入る事はないかもな。
なーんて事を考えていた俺だったが……
この数日後にバッチリ日本に帰化したケット・シーと、ポイント交換でだけ手に入る化粧品の噂を聞きつけたイソスタ女子がアルバイトに応募してきてひっくり返る事になるのだった。