第23話 広告と姫と換毛期
24年1月16日より、Ver.1を削除してVer.2への更新を行っております。
2月9日に発売される書籍版第01巻の続きはVer.2準拠で更新していきます。
書籍には書き下ろしが沢山載っておりますので、どうかよろしくお願い致します。
「あー、そこそこ。もうちょい右」
「はいはい」
迷歴二十二年の三月。よくわからない会社の社長になった俺は、テレビを見ながら専務取締役のマーズにブラッシングをしていた。
猫型宇宙人でも年に二回あるらしい、換毛期が始まったためだ。
「地球人も意外とやるじゃん、このブラシ悪くないよ」
「え? そうなの? じゃあこれも交換に出したらどうかな?」
「宇宙じゃあ、換毛期の毛ぐらいは身体洗浄機で自然と抜けるからいらないかもね」
じゃあ駄目か。どうも宇宙には風呂みたいに使える洗濯乾燥機が存在するらしい。
忙しい時は便利な気もするけど、俺はやっぱお湯に浸かるのが好きだな。
そんな事を考えながらブラシのシートを取り替えていると、俺達の隣で二連結の炊飯器のような機械を弄っていた姫から険のある声が飛んできた。
「あんた達さぁ、少しは姫の事手伝おうとか思わないわけ?」
「やだなぁ、浅学非才の船乗りに産業機械の扱いなんかわかるわけないじゃないか」
「あ、俺コーヒーでも入れようか?」
「んーっ……アリアリでね!」
姫は今、うちの会社の商品作成のために宇宙の産業機械を設定してくれていた。
これはマーズの意向で交換で回ってくるたびにキープしていた、宇宙の金塊こと安定化マオハを全て使って、姫の身内から交換してきて貰ったものだ。
金額に換算するとマーズの十年分の年収ぐらいになる高級品で、宇宙の特許の切れた汎用品を何でも合成する事のできるありがたーい機械……
つまり、膨大なデータ入りの宇宙の3Dプリンタみたいなものだ。
「でもその合成機って凄いよね、そんな機械あったら誰も物買わなくなるんじゃない?」
「うーん……ま、そうでもないんだよね。この星風に言うとさ。家の中にお箸とか紙とか、昔のお菓子なんかを作ってくれる機械があったとしたら、毎日使う?」
「え? いや、でも紙はトイレットペーパーとかにも使えるし……」
「それ、トイレに洗浄機能があるから宇宙じゃいらない」
「じゃあ商売に使ったり……」
「工場だとこの機械の百分の一、下手したら万分の一ぐらいのコストで物が作れるんだけど……それって太刀打ちできる?」
俺は砂糖と牛乳入りのカフェラテを持って、機械をいじっている姫の隣に座った。
「え……じゃあこれって何のためにあるの?」
「これはさ、開拓用。電線一本引かれてない土地で、最低限人間らしい暮らしをするための汎用合成機なわけ」
なるほど、本当の意味でどことも繋がってない場所を開拓しなきゃいけない宇宙だとそういう需要もあるのか。
ナイフとかライターとか浄水器の代わりにこれを持っていくのね。
「でも、これでこれからアイテムボックスとかバリア装置とか作るんでしょ? やっぱ凄いんじゃん」
「そう、調達屋のカバーストーリーとアリバイのためにね。空間拡張技術とか力場発生技術は割と枯れた分野だからさ、特許なんかとっくの昔に切れてんだよね」
「使いそうなとこはちゃんとこっちでも特許取っといたよん。うちと同郷設定の別人名義でだけど」
「え? 特許とかって、しっかりした審査があるんじゃないの?」
「ザルな所なんかどこにでもあるっつーの。最低限納得させられる道筋さえできてればいいんだからさ、取るのは何もこの国じゃなくてもいいの」
姫はそう言いながら得意げに人差し指をグルグル回して、俺から受け取ったカフェラテを一口飲んだ。
「姫ってほんとに手際良すぎだけど、昔なんかそういう仕事してたの?」
「まーちゃんは知ってるっしょ? 姫はアイドルよ、アイドル」
「そういえば、宇宙のアイドルってどんな事やるの?」
俺の質問に姫はフフンと鼻を鳴らして、得意げに細まった黄金色の目でちらりとこちらを見た。
「地球といっしょ。夢を見せんのよ」
そう言って、彼女は不敵に笑った。
「もちろん姫は、ステージで歌って踊るだけじゃなかったけどね。撮影、配信、プロモーションから、果ては舞台装置の操作まで。ぜーんぶ自分でこなせる、ガ! チ! の! 超銀河系スーパーアイドルだったんだぞ」
「ああ、だから演算特化の脳殻にしてたんだ」
「芸能関係者……特にアイドルはさ、プロモーションの過程で電子戦みたいな事やるから、どうしても演算特化にせざるを得ないとこがあるわけよ」
「ねえねえ、アイドルが電子戦って、どんな事やんの?」
言葉の響きにワクワクした俺はそう尋ねたが、姫から返ってきた答えはなんとも味気ないというか……いっそ泥臭いぐらいの物だった。
「他のアイドルの広告を潰して、自分の広告を表示すんの」
「え、それだけ……?」
「それだけって、それ以外にある?」
「え……? いや……ないか、ないかも……」
ちょっとがっかりした俺に、マーズが自分で自分をブラッシングをしながら「宇宙の広告戦争は凄いからね」と補足するように話を続けた。
「視界に広告が表示される代わりに激安っていう義体を開発して売る広告代理店があったり、広告が流れる服が貧困支援で配布されてたり、たまに都会で船を降りると広告だらけで目がチカチカするんだよね」
「え~? あの賑やかさがいいんじゃん」
「都会人の感覚はわかんないなぁ……あ、あと酷いのだと、公共機関や星間放送をハッキングして広告を流したり、もうほんとにあの手この手だよ」
「そういうハッキングって罰則があったりしないの?」
「あるよん」
姫が楽しそうな顔で二ヒッと笑って、両手の指をワキワキと動かした。
「アイドル同士でさぁ、お互いの違法広告を通報し合うの。いかに自分宛ての通報を潰して相手の通報を通すかがキモなんだよね~」
「姫はそれがめちゃくちゃ強くてね。とんでもないハッカーチームがいるって話になってたんだけど、まさか自分がやってたなんて……」
「ま、チームもあったけど~。そうそう……姫はそのチームのね……奴に、裏切られて……うっ……暗い……冷たい……ここは寒い……」
「あっ! 姫が!」
姫は震えながら丸まって小さくなってしまい、何かを求めるように腕だけをフラフラと動かしている。
俺がその手を握ると、姫はそれを強い力でギュッと握り返す。
ゆっくりと背中を擦ってあげると、少しだけ震えが小さくなった気がした。
「トラウマを触っちゃったんだね……もう姫のアイドル時代の話はやめよう」
姫は夜寝る時も俺が手を握っていないと眠れないのだ。
俺には想像もできないスキルの牢獄から救出されてから、未だ二ヶ月。
彼女の心の傷の根は、深すぎるほどに深かった。