第21話 ワインと姫と日焼けマシーン
24年1月16日より、Ver.1を削除してVer.2への更新を行っております。
2月9日に発売される書籍版第01巻の続きはVer.2準拠で更新していきます。
書籍には書き下ろしが沢山載っておりますので、どうかよろしくお願い致します。
「これ、骨だけだけど大丈夫なの?」
「合成タンパク質がボディを構成するから、これでいいんだよ」
もうすぐ春休みも終わりそうな三月の末の事だ。
元々倉庫にしていたうちの1LDKの個室に、でっかい日焼けマシーンのようなものが鎮座していた。
中は姫様こと首から上だけになった義体と、その体となる首から下の義体、そしてそれらを包み込む謎の液体で満たされている。
そう、うちのお姫様の体の再生環境が整ったのだ。
これは自衛隊からマークを受けたおかげでダンジョンに行けなかったこの一ヶ月と少しの間に、姫様の紹介してくれた市場スキルの持ち主とコツコツやり取りして揃えた物だ。
正直あまりのデカさに床が抜けないか心配だったのだが……
マーズ曰く、反重力ユニットが搭載された高級品だそうで、たしかに俺がヒョイと持ち上げられるぐらい軽いものだったので一安心だ。
「あとはこれで待つだけ?」
「先方から届いた手順書にはそう書いてあるけどね」
俺に向けて読めない文字の手紙をピラピラと振ったマーズは、ちらりと日焼けマシーンの中を覗いて、パタンと蓋を締めた。
「しかし、これからどうしようか」
「ほんとだよ、まさかジャンクヤードにサイズ制限があっただなんて……」
「あんなでっかい竜がそのまま入ったんだから、まさかあるとは思わないよね」
ここしばらくで一番の驚きといえば、姫様の仲間から告げられた、ジャンクヤードにサイズ制限があるという報告だった。
「宇宙船って、やっぱデカいの?」
「当たり前じゃん、中に乗って生活しながら旅するんだよ? そりゃ連絡船みたいな小さいのもあるけど、トンボ達だって小さい船で海渡らないでしょ」
「海なら潮目次第でワンチャン渡れたりするけど、宇宙だもんなぁ……」
「そりゃ軍用だと小さいのに亜空間航行機能付きの凄いのもあるらしいけど、いくらするのか見当もつかないよ。それに多分、あの竜よりは絶対デカいし」
俺達はリビングに移動して、寝転んで天井を見上げながらぼやくように話し合った。
「前にもちょっと話したけどさ。でっかいのをバラバラにしてちょっとづつ送ってもらう事って、やっぱできないのかな」
「テレビCMでやってる毎号付録がついてくる雑誌みたいに? 自分で組み立てて、それで宇宙行くの?」
俺は自分が溶接機で宇宙船を組み立てている所を想像した。
うん、絶対乗りたくない。
「……よく考えたら、それは怖いよね」
「怖いっていうか、死んじゃうよ」
マーズは寝転んでいた床をポンと肉球で叩いて立ち上がり、腕を天に突き上げて伸びをした。
「ま、駄目なものはしょうがないんだよ。くよくよしててもしょうがない」
マーズは台所からチリ産のワインと湯呑みを持ってきて、布団を外したコタツ机の上に置いて手酌で注いだ。
「ひとつひとつやっていけばいいのさ。今日は姫の体の件が片付いた。それでいい、祝杯だ」
「待った、俺も飲む」
俺も台所に行き、マグカップと落花生を持って机へと戻る。
「とりあえず、姫様に」
「とりあえずはいらないさ」
「じゃ、姫様に」
湯呑みとマグカップがコンと音を立てる。
俺達は隣の部屋から聞こえるゴポゴポという水音を聞きながら、部屋中の酒がなくなって寝落ちするまで痛飲したのだった。
「起きて、トンボ」
「へ……? は!? 誰!?」
翌朝、頭ガンガンの俺を揺り起こしたのは謎の美女の甘い声だった。
「姫だろ」
「姫だよ」
「あ、なんだ姫様か……って、え!? マジ!?」
正直元があのマットブラックの脳殻だったから、人間の姿なんて想像もしていなかったわけだが……
それだけに、今の姫の姿は衝撃だった。
俺より少しだけ低い身長に、時々虹色に瞬くミルクティー色の長いポニーテール、ツンと高い鼻、芸能人でもなかなか見ないレベルのツリ目がちの大きな瞳。
俺がこれまで見た事もないような絶世の美女がそこにいたのだ。
正直、俺は女性があんまり得意じゃない……というか苦手だ。
特に美人を前にすると、ビジネスモードに入らないと緊張して上手く喋れなくなるのだ。
が、しかし。
俺は姫のこの姿が自分で自由に設定できる、いわゆるアバターみたいなものだという事を知っていた。
さすがに俺だって、アバターに緊張するほど子供じゃない。
ほぼ平常心と言ってもいいだろう。正直、一ミリもドキドキしていなかった。
正直、平常心。
正直、ビークールだった。
正直、いつも姫にしていた通りに軽く挨拶できるはずだ。
まあでも、ちょっとはドキッとしたかな?
ちょっとだけね?
「あのあのあのあの、姫様……ですか……?」
「は? トンボ、なんであんたそんなキョドってんの?」
「いやそんな、キョドってなんて、もちろん、はい、全然っすよ。いつも通り」
「全然違うでしょ」
なんか緊張しすぎて、急に自分の姿勢が気になってきた。
俺ちゃんと立ててるかな?
「トンボはさ、姫が猿型人種で言うところの美形だから緊張してるんじゃない?」
「へぇ~、トンボあんた、姫に見惚れちゃってんだ?」
「あの、その、見惚れるとかそういうのじゃなくて、へへ……あの、その、すんません……」
「髪の毛が長くて気が強いツリ目の美人って、いっつもトンボがゲームで選ぶタイプの女の子だもんね。なんかトンボの弱いとこが全部出た感じあるなぁ」
しょうがないだろうが!
こんな美人、会った事ないんだから!
「ま、世の男共が姫の前にひれ伏すのは当たり前だけど……話が進まないから、さっさと慣れちゃって!」
「はいっ!」
姫、中の人はこんな感じだったんだ。
これまでとキャラ違う、違くない?
「ていうかマジでびっくりしたけど、姫って本当に姫だったんだね」
「当たり前じゃん」
「え? 本当に姫って何の話? 王族じゃないって言ってなかった?」
「あれだよ、あれ。トンボもホロサイン持ってるじゃん、姫はユーリ・ヴァラク・ユーリだったんだよ」
「え? ああ、価値があるからってキープしてた奴ね」
たしか、人気絶頂の時に忽然と姿を消した凄いアイドルだったっけか?
ていうか姫、大人でアイドルだったのか、完全に子供だと思ってたわ……
マーズがこちらに向けた肉球を上下に動かして催促するので、ホロサインを取り出して渡してやる。
「これだよこれ、今のボディと目鼻立ちはちょっと違うけど、顔つきはそのままじゃん。気づかなかった?」
「いやー、そのサインじっくり見てないし……」
「まーちゃん、これ何?」
「え? 姫の直筆サインじゃないの?」
「姫、こんなのにサインしなーい。偽物じゃない?」
「えっ!?」
顎をカクンと落として露骨にガッカリしたマーズの手から、ホロサインを取る。
なるほど、言われてみればそこにいる姫と雰囲気が似ている気がする。
もちろん、本物のほうがキラキラオーラが凄いわけだけど。
「それで、姫の名前がユーリってのはわかったけど。何が本当の姫なんだよ?」
「あ……ああ、ユーリは前世がパロットっていう王家の夭折した姫君でさ。それが判明した時にパロット王家から継承権のない王族として認められてるんだよね」
「へぇ~」
「それとは別に軍事企業のヴァラク財閥の長女で、そっちでも良家のお姫様だし。アイドルとしても姫売りしてたし、一人称も姫だったから、まぁ、色んな意味で姫なんだよね」
なんか、ややこしいな。
とりあえず自称じゃなくて正当性のある姫様って事でいいのか。
「なんか前にこの人、消えたって言ってなかった?」
「うん、人気絶頂の時に急に失踪してさ」
「だからそれは、レドルギルドに……う……」
姫様は急に床に蹲って、小さく丸まってしまった。
「どうした!?」
「手、手握って……怖い……」
俺が姫様の手を握ると、彼女はそれを痛いぐらいに握り返した。
「……どうなってんの? 義体に不具合があったとか?」
「……多分だけど、心臓が接続されて脳殻が本格的に動き出したから、これまでのトラウマがフラッシュバックしてるんだと思う。誘拐騒ぎがあったのって俺が凍結される五年ぐらい前だったから……」
少なくとも確実に何年かは、身動きできないまま誰かのスキルの中に置かれてたって事か……
丸まって震える姫の背中はさっきまでの凛とした立ち姿よりもずいぶんと小さく、昨日までのマットブラックの脳殻だった彼女の姿がダブって見えた気がした。
美人さにドキドキしていた気持ちもだいぶ治まり、俺は小さな頃の妹にしてやっていたように姫の背中を掌で優しく擦る。
なんだか少しだけ、震えが小さくなった気がした。
「そういうトラウマってさ……宇宙では薬でなんとかなったりしないわけ?」
「さすがに生身が脳だけだとね……デリケートだから薬物治療って難しいんじゃない? 変に薬物入れたら焼けちゃうよ」
「げっ……」
「でも逆に脳内物質で変質しないように脳殻による調整も受けているはずだから、これ以上悪くなる心配もないとは思うけど」
「なんか、義体って便利そうで不便だなぁ……」
「まぁ義体が完璧ならみんな義体化してるよね。昔の義体は食事もできなくて食欲に脳を焼かれて発狂する人が絶えなかったらしいし」
「食欲!? 機械なのに?」
なんか義体って全然思ってたのと違うんですけど。
「機械じゃないってば。結局、脳味噌だけになっても人は欲求からは脱せなかったって事だね。セックスは人によるけど、食事と睡眠だけは省くと狂って死ぬんだよ」
「なんか、夢ないなぁ……」
「脳味噌の電子化も試みられたけど、そうすると魂は次の生に渡っちゃうらしいんだよね」
じゃあ、この先AIが魂を持ったりする事もないのか……
なんか、SFを楽しめなくなりそうというか……
知りたくなかった事を聞いちゃった気がするな。
俺はガタガタ震える姫の背中をゆっくりと擦りながら、なんとも言えない気持ちで天井を見上げたのだった。