第10話 夢と猫と引き継いだもの
24年1月16日より、Ver.1を削除してVer.2への更新を行っております。
2月9日に発売される書籍版第01巻の続きはVer.2準拠で更新していきます。
書籍には書き下ろしが沢山載っておりますので、どうかよろしくお願い致します。
その俺は、俺とは似ても似つかなかった。
今の俺より背が高く、体もがっしりしていて、いつでも自信満々の顔で豪快に笑っていた。
巨大な組織のトップに立ち、老若男女様々な人から頼られ、数えきれないほどの仲間達に慕われ、見るからにおっかない強面相手にも一歩も引かず。
色んなところから持ち込まれる様々な依頼や揉め事を、まさに快刀乱麻の勢いで解決していった。
俺と同じ名前で、俺と似たような見た目で、俺とは全く違う俺。
そんな俺の生き様を、俺は一晩の夢の中で見ていた。
「あ」
そして早朝の暗闇の中で目が覚めた時……俺はやっぱり俺のままだった。
大学生で、優柔不断で、臆病で、右も左もわからない川島翔坊のままだ。
ただその等身大の俺の中に、あの夢の中の強い強い俺の姿が鮮烈に焼き付いていた。
俺は何かに背中を押されたように、決意を持ってスマートフォンを握った。
調べるのは、これまでやろうと思っていたけど決断できなかった事や、なんとなく怖くて選択肢から外していた事だ。
俺は別に、あの夢から知識を手に入れたわけでも、記憶を受け継いだわけでもない。
ただ、夢で見たあの自分の行動から、決断から、姿勢から、今の自分に決定的に欠けている勇気という物を貰った気がしていた。
「あれ……? トンボ今日早起きじゃん」
窓から薄暗い光が差し込む中、コタツの中で丸くなっていたマーズが外に這い出てきた。
いつもは眠れるだけ眠っている俺が先に起きているのを、彼は不思議そうな目で見ていた。
「うん、今日定期預金解約しに行こうと思って、やり方を調べてた」
「定期預金を? あんなに定期預金だけは使わないって言ってたのに?」
「いいんだよ、今が使いどきだと思うから」
将来困った時のためにと、親がコツコツ積み立ててくれていた百万円ちょっとの預金。
貯めるのは数年がかりだけど、使うのは一瞬の額。
今使えば楽になると思いながらも、どうしても怖くて使えなかった金だ。
俺は今、勇気を持ってこの金に手をつけることを決めていた。
「工具、発電機、食料、武器や防具の補修部品、気兼ねせずに使える量の水、調達したい物はいくらでもある。全部使っても、また稼げばいいんだ」
「……んー、トンボどうしちゃったの? なんか変だよ?」
「……いや、信じてもらえないかもしれないけどさ。昨日、夢を見たんだよね」
「夢?」
マーズは目をぱちくりさせながらそう聞き返した。
「それがさ、俺の夢なんだ。今の俺より年上で、体もムキムキで、自信満々で即断即決な俺の夢」
「え? それって別人じゃない?」
「それがさ、顔も名前も俺なんだ。喧嘩も強くて頭も切れて、皆に頼りにされてさ、ほんと何でもできるスーパーマンだったんだよ。でさでさ、そんな俺なら定期預金なんか遊ばせとくわけないぞって思ってね……」
俺はそう言って、夢の中の自分の不敵な笑みを真似てぎこちなく笑った。
それを見たマーズは何にも言わず、でっかく口を開けてあくびをしただけだった。
「正直、その夢の中のトンボは全然トンボっぽくないね」
「まぁ、そうだよね」
俺だって、顔と名前が一緒じゃなきゃあ自分の夢とは思わなかっただろう。
なんとなく照れくさくなってポリポリ頬を掻く俺に、マーズは「でも……」と続けた。
「いいんじゃない? 案外トンボもさ、このまま商売を続けて百戦錬磨になったらほんとにそういう男になるのかもよ?」
「え? そうかな」
「学校出て何年かして友達に会うと全然変わってる事ってあるじゃん。トンボだってそうかもよ」
「え? そうかな? そうかも」
人から言われればその気になるもので、俺はこの日大学が終わってからすぐに定期預金を解約して軍資金を作った。
そして買うべき物を決めるために、さっそくダンジョンの中で常連さん達に聞き取りを行ったのだった。
「まあメーカーはマキタだな、それ以外は認めん」
二本差しの雁木さんがスマホで電動ドリルの画像を見せながらそう力説する中、俺はその全てを必死にメモっていた。
「なるほど、マキタ……と」
「マキタならバッテリーが色んな事に使い回せるから、何個か買っとけばいいよ。いくつか電圧の違いで種類があるから気をつけるのと、海外製の安い互換バッテリーってのがあって……」
「ふんふん」
そうやって俺が聞き込みをやっている間、マーズはバラクラバの気無さんと楽しくおしゃべりをしている。
話が混ざるからやめてほしいんだけどな……。
「なに? おたくの相棒急にやる気になって」
「なんか将来の目標ができたんだってさ」
「へー、そりゃいいじゃないの。で、目標って何よ? プロ野球選手?」
「頼れる男になりたいんだってさ」
「おいおい今でも結構頼りになんのに、一体どこまで行くつもりなんだよ」
「このままほっといたら案外宇宙の果てまで行っちゃうんじゃないの?」
むむっ。
「でね、溶接用手袋はこのメーカーが……トンボ君、聞いてる?」
「あ、すんません……」
褒められるとついそっちに意識が……
両側をムキムキの男たちに挟まれながらメモを整理していると、机の向こうからざりざりとブーツが地面を踏みしめる音が聞こえた。
顔を上げると、そこには光沢のあるの赤いベースボールジャケットを着込んだ阿武隈さんが立っていた。
「みんなで集まって何やってんの?」
「あ。阿武隈さん、今ね、トンボ君がどんな工具買ったらいいかって言うから皆で意見を出してて……」
「あーっ、工具買ってくれるんだ。何買ってくれるの?」
「一応一通りは……でもこういうの専門的な工具ってホームセンターに普通に売ってるもんなんですかね?」
俺がそう聞くと、気無さんはバラクラバをめくってタバコを咥えながら顎の下を掻いた。
「まぁ俺は元水道屋だから元から持ってたり、ネットで買ったりだな」
「俺らもネットだけど、調達屋はネットで買って大丈夫なの? ほら、いつもニコニコ現金払いの方が都合良かったり……」
雁木さんが言葉を濁しながらそう言うが、たしかにそれはそうなのだ。
せっかくアシのつかない仕事やってんだからってのもあるが……
税金の事がなくても、何の届けもなく飲食物の販売やって問題にならないわけがない。
諸々がクリアできる体力が手に入るまではコソコソやっていきたいところだ。
幸い時々通る自衛隊のダイバーには今のところシカトして貰えてるけど、このまま続けてればいつか突っ込まれる日も来るだろう。
「うーん、うちはリーダーの近所にでっかいホムセンあったからそこで揃えたけど……あ、うちの休みの日でいいなら大田区のでっかいとこ連れてってあげようか? そんかわし仕入れるビットの種類とか選ばせてよ」
「え? いいんですか?」
「いいよいいよ、車出したげる。あ、近くにコストコあるけどついでに行く?」
「ぜひぜひ……いっ!」
渡りに船な提案に飛びついて頷いていると、急に横から肩パンをされた。
そっちを向くと、気無さんがニヤニヤ笑いながらタバコを燻らせている。
「良かったな、綺麗なお姉さんにちゃーんとエスコートしてもらいな」
「そ、そういうわけじゃあ……」
それを見ていた阿武隈さんはなんとも言えない嫌そうな顔をして一歩足を引いた。
「マジおっさんなんですけど、セクハラでしょセクハラ」
「おーこわ」
「娘さんにもそういう事言ってんの? 嫌われちゃうよ」
「いや、それは……はい……」
ヘラヘラしていた気無さんは阿武隈さんの言葉に大ダメージを受けたようで、タバコを吸いながら俯いてしまったのだった。