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銀杏ごはん

 大好物というほどではないけれど、年に一度はなんとなく食べたくなる。

 面倒くさいけれど今年も食べようかなと思って、夜中に近所の公園に行って銀杏の実を拾う。

 誰もいない夜中の公園で、地面がやっと見えるくらいの外灯の光を頼りに、メスの銀杏の樹陰に落ちた薄いオレンジ色の実が白く浮きだしているのを拾い集めていると、絶望的に寂しい気持ちになる。

 何年か前、これは昼間に、同じ公園で銀杏を拾っていたら、見知らぬおじさんが、ああっ! と叫びながら突進してきたので驚いた。

 もしかして、おかしな人に刺し殺されるのではないかと瞬時に身構えていると、身近に迫ってきたその人に、銀杏を素手で触ったらだめですよ、腫れてしまいますよ、と叱りつけるように言われた。

 いや、私は、銀杏の実を触っても、手で潰しても、なんともない、そういう体質なんですと、笑いながら説明すると、はあ、そうですか、と気が抜けた顔をして去って行く。自分自身か、身内の人かが銀杏を触って炎症を起こしたことでもあるのか、大慌てで教えてくれた、親切な人なのだった。

 実際自分は、銀杏の刺激にはなぜだか強いようで、素手で拾っても、処理をしても、なんともない。ただ、果肉の油が附着すると石鹸で洗ってもなかなか取れないのが面倒なで、処理をするときはゴム手袋をつける。

 そういう特定の毒に対して強い体質というのはあるんだろうか、と実際にそうである自分で言うのもおかしいのだけれど、そういえばずっと前に亡くなった祖父と、小さかったころに山歩きをしたときに、真っ赤に紅葉したハゼノキがあって、それに触って顔や手が腫れた友だちがいたので、とっさに避けたのだけれど、それを見た祖父がひと筋の梢の葉を素手でしごき取って、何を恐がっているかという顔をしてみせたことがあったな、と思いだした。

 銀杏の実の毒よりハゼノキの毒はよっぽど強いだろうから、そういう植物毒に強い血筋だとすると、自分もハゼノキを触っても腫れないのだろうか。試してみたこともないし、試そうとも思わないけれど。ゲームやアニメに出てくる毒耐性キャラと対決して、ふふふふ、何を隠そう私もなのだよと言って、毒をあおって死んでしまうクソ雑魚キャラになるのかもしれないなとか思いながら、数百粒ほど拾い集めた銀杏の実を持って帰る。

 夜中に拾ったのは、人目を避けてというわけではなくて、たまたま夜中に思いついたからなのだが、後ろめたい、恥ずかしい、という気持ちがないのかというと、嘘になる。以前、拾っている最中に警官が公園内を巡回していたことがあって、そのときに何も言われなかったから、悪いことでもないんだなと思ったのだが、いったん善悪の可否に思い至ると、実は悪いことではないかという疑念が湧いてくるから気になって調べてみたところ、公共の樹木から果実をもぎ取ったり、揺さぶり落としたりするのは、法律的には窃盗に当たるのだそうだが、樹木から落ちた実はゴミとみなされて、拾っても問題はないという記事を見つけてひとまず安心したのだけれど、自分のものではないものを夜中に着服するというのは、やはり、どことなく犯罪めいている。

 さて、拾ってきた実は数日間放置して、去年使ったゴム手袋はなぜか片方が行方不明なので百均で新しく買い直して、いやだなあ、面倒だなあ、と思いながら重い腰を上げて、熟し切って柔らかくなった銀杏の実から種を取り出す作業に取りかかる。

 大量に処理するときは、充分に腐らせてから押し洗いのようにして果肉を剥ぐのだけれど、今回は一度で処理できる程度の量なので、一粒ずつ潰していく。銀杏特有の、しかも半分腐れかかった強烈な異臭が充満するので、耐えられない人には耐えられないのだろうなと思う。自分はそれほど嫌とは思わないのだけれど、作業中はムッとする臭いにときどき顔をそむけたくなる。異臭のなかにそこはかとなく、キンモクセイのような柑橘系の香りが混じっているのが、いいような、わるいような。種を取った果肉はとりあえず、いつも流しで使っている銅製の三角コーナーに入れて水気を切るのだけれど、作業後は三角コーナーの内側がピカピカになっているので、酸が強いのだろう。

 この、柑橘系の香りを嗅ぎ分けていると、銀杏は種の中身を食べているのだけれど、もしかしてマンゴーみたいなオレンジ色の果肉のほうも食べられるのではないかと、ふとそんな気がして、食べてみたことがあった。

 口に入れると、強烈に甘くフルーティな香りが広がって、うわっ、美味しい、と感じるのだが、その一瞬後に、臭い、痛い、苦い、渋い、えぐい、というダメージに襲われることになる。吐き出さずにはいられない。

 考えて見れば、銀杏の木は生きている化石と言われているほど古いものだから、人類創世以来四十万年ほどトライし続けても果肉を食用にできなかったわけで、食べてはいけないものなのだ。

 そんな馬鹿なことをしながら、洗っては水を切りを繰り返して、種の殻の表面のぬめりが落ちるまで、丁寧にゆすいでいく。すっかりきれいになったら水気を切って、新聞紙の上に広げて、数日間、ベランダで陰干しをする。

 種の表面がすっかり白く乾いたら、さあ、ここからもまた、固い殻を割ったり、薄皮を剥いたりと、面倒な作業が待っているのだけれど、ようやく銀杏ごはんが食べられそうだ。


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