黄金バット
黄金バットというと、どんな物語かは知らなくても、ビジュアルだけはなんとなく知っている、という人も多いはず。黒マントを羽織って、銀のバトンを持ってハハハハハハハと笑う、金色のガイコツである。かなり昔のアニメのヒーローだけれど、もともとは紙芝居で語られた物語だった。
ニコニコ大百科には、
▶紙芝居「黄金バット」は日本最古のスーパーヒーロー作品の一つであり、今日に続く娯楽作品の原点の一つでもある偉大な作品。
1930[昭和5]年に当時人気だった紙芝居「黒バット」の最終回で無敵だった怪盗「黒バット」(この怪盗「黒バット」も白骨面に黒マントだった)を倒すヒーローとして、誕生した。
当時は類を見ない作品であった為、たちまち大人気となり、模倣品や類似品、お菓子などの挿絵に利用された。
その偉大さ故に日本の紙芝居の歴史を語る上で絶対に欠かすことのできない作品である。ちなみに、アメリカンコミックスのメジャーヒーローである「スーパーマン」「バットマン」より歴史が古い。◀
と書いてある。
私自身は、さすがに紙芝居で見ていた世代ではないけれど、黄金バットそのものは物心ついたころから集めていたメンコの絵柄としてしばしば登場し、かつ大人も知っている、当たり前のようにそこにいるキャラクターだった。
戦前の黒バットについてはよく知らないのだが、黄金バット誕生にかかわったのは紙芝居作家の永松健夫という人らしく、それが国民的キャラクターとして定着したのは、やはり終戦後に永松によって描き継がれた、黄金色のヒーロー像によってなのではないか。
メンコに描かれていたヘンなガイコツの物語を最初に見たのは、テレビアニメシリーズ(1967)だったか、あるいはその劇場版(TVブローアップ版 同年)だったか。『ひょっこりひょうたん島』や『キャプテンウルトラ』が同時上映だったその年の東映まんがまつりを見にいった記憶がある。大人になってから、アニメに先立つ佐藤肇監督の実写版『黄金バット』も見た。あの大傑作ホラー『怪談せむし男』(1965年)の監督だからと期待を膨らませたのだけれど、こちらはたいして面白いものでもなかった。
アニメシリーズの『黄金バット』には、敵役としてナゾーという謎の怪人(いや人なのかどうか)が登場する。
これもニコニコ大百科から引用すると、
▶四つ目(先行実写映画版以降。紙芝居の頃は赤青の二つ目)にネコミミ(取り消し線)ミミズクの覆面、機械の鉤爪の左手、円盤(UFO)の下半身という奇妙でおぞましい姿をしている。
『ロンブローゾ』が口癖で、挨拶代わりや感情が特に昂った時に発するのだが、その意味は不明。
宇宙の制覇を目的に、卓越した頭脳で人々を脅かす計画を立てては暗躍する。◀
なのだそうで、ネコミミ(取り消し線)に四色のオッドアイに鉤爪だなんて、なんとも圧倒的なキャラデザである。子どもの頃はその『ロンブローゾ』ということばが聞き取れずに「オンボロ(ナ)ゾー」と聞こえて、自分のことをオンボロだと言っているのが不思議だった。
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それにしても、ロンブローゾとは何なのだろう。
この答えは意外と明快で、イタリアの精神科医、チェザーレ・ロンブローゾ(1835-1909)のセカンドネーム以外に意味を持ってあてはまることばがない。黄金バットは1950年以降、加太こうじによって書き継がれることになったのだが、加太が手がけた最初の作品が、黄金バットがナチスの残党と戦う『黄金バット ナゾー編』だったそうだ。
『ナゾー編』の具体的な中身を知らないのでなんともいえないが、ロンブローゾは、『犯罪人論』(1876)を著して、骨相学や遺伝学の見地から、生来的犯罪人説を説いた学者である。ナチスによるユダヤ人虐殺のよりどころとなった血統論的、優生論的思想を導いた人物として、ナゾーの悪のキャラクター付けに使われたであろうことは、なんとなく想像できる。
チェザーレ・ロンブローゾは今でこそ忘れられた存在だが、たとえば『失われた時を求めて』でも、複数回、彼の学説が話題にのぼることからも、当時の影響力がうかがい知れる(有名な「天才と狂気は紙一重」というのも、ロンブローゾのことばだ)。何世代も前の人物であれば、だれよりもだれのほうが偉大な人物だと容易に比較ができるのだが、同時代の人物となると、正確な判断を下すのは簡単ではない。戦前の新聞の出版広告で、フローベールとゾラとユイスマンスが同列に扱われているのを見かけたときは思わず笑ってしまったのだけれど、同じようにかつては、フロイトとロンブローゾのどちらに与するべきか、判断がつきかねる人も多かったにちがいない。
日本にロンブローゾが紹介されたのは、『変態心理』という、大正の末ごろから刊行されていた雑誌においてだった。『変態心理』は好評を博して、のちに姉妹誌の『変態性欲』も発刊される。雑誌の名からして俗悪な印象を受けるが、じっさいは至極まっとうな学術的読み物の雑誌で、当時は「変態」ということばにエロチックなニュアンスはふくまれず、単純に「異常」、「特異」な状態をあらわしていた。夏目漱石の弟子だった医師の中村古峡が主催を務め、目録を見ると柳田国男、南方熊楠、金田一京助、萩原朔太郎、牧野信一、高橋新吉、小熊虎之助といった錚々たる面々、はたまた(日本映画のほうの)『リング』でおなじみの福来友吉までもが稿を寄せている。研究者向けに高価な復刻版が発売されたようだが、さすがにそこまでは手が届かない。
現在から見ると『変態心理』で紹介されたロンブーゾの、今ではあきらかに誤りであり、遺伝子学的な立場からの再考の余地はあるものの、主に風俗資料的な興味からしか読めないであろう学説は、日本に心理学という学問が根づくための元肥になったにすぎないように思える。しかしそのいっぽうで、「名は体を表す」的な、大衆にアピールしやすい主張(現在でもその発想は、アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』のような作品に間接的なアイデアを提供できるほど)であるがゆえに、戦前から現代まで尾を引く、精神病者や知的障害者やハンセン病患者に対する偏見に満ちた政策を国民に許容させるにあたっての下地を、ひっそりと固める一助になった可能性がある。
ロンブローゾの『天才論』を翻訳した辻潤と、萩原朔太郎、高橋新吉の交流については機会があれば調べることにして、ロンブローゾの学説に対して敏感に反応した文人としてとりあげたいのは、夢野久作である。
『ドグラ・マグラ』の登場人物、正木教授(松本俊夫監督の同名映画では桂枝雀が演じた)のモデルを推定した小論文があって https://ci.nii.ac.jp/naid/110009559569 、ここから久作も『変態心理』の購読者であったことがわかる。そのモデルがだれだったのかは上記の論に任せるとして、『ドグラ・マグラ』の作中で正木教授が主張しているのは生来的犯罪人説ならぬ生来的狂人説とでもいうもので、こちらはロンブローゾの学説の換骨奪胎であろう。一握りの正論を含みながらも、その論を主張する正木教授自身が狂気に囚われているようにしか見えないところが、ロンブローゾに対する九作の理解なのだろう。
こうしてみると、怪人の口癖などという、なんとも奇妙で大胆なやりかたで『黄金バッド』の物語に「ロンブローゾ」を投入した加太こうじという人のことが、ますます気になってしまう。大衆文化研究の第一人者であり、つねに底辺の風俗・文化へ目を向けた人だ。水木しげるや梵天太郎(怪作マンガ『混血児リカ』の作者)の師匠でもある。推測でしかないとはいえ、彼のような人が、ナチスドイツを「悪」として描くにあたって、ナチスがロンブローゾを援用したのと逆順の方法で、悪をさらに悪で飾る要素としてロンブローゾの名を使ったことは、じゅうぶんにありえる話である。
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少なくとも創作物において、悪人は顔を隠したがる、というのは真実なのだろうか。
たしかにナゾーはフクロウのような頭巾をかぶっているし、『鉄人28号』の悪役ニコポンスキーもとんがり頭巾をかぶっていた。ナゾーがナチスドイツなら、ニコポンスキーはその名からして、日本にとっての戦後の同盟国(宗主国?)である米国が敵対していた、ソビエト連邦を暗示するのか。しかしよくよく考えれば『黄金バット』に先立つヒーローもののさらに元祖である『鞍馬天狗』では、正義の側であるはずの天狗が覆面をかぶっていたのだ。
鞍馬天狗が顔を隠さなければならなかったのには、理由がある。天狗は幕末における世直しの人なのだが、とりあえずは新撰組と敵対する身でありながら、尊皇倒幕を正面切って主張できなかった。当時のインテリ青年らしく理想的共産主義を信奉していた作者の大佛次郎は、明治維新がブルジョワ革命であったのかプロレタリアート革命であったのかという論争の渦中にいたため、場合によっては「尊皇」に疑問を持たなければならず、主人公である天狗もまた、その時々の正義を行使するものの、どちらの立場かは一定せず、つねに単独行動を取る不審者であらねばならなかった。
敗戦の焼け跡において人々は、顔を隠さずに悪いことを悪いと主張できる大幅な自由を得た。そこで人気を得た黄金バットにおいてヒーローもまた、心情的な正義を行使するにあたって不審者たる必要がなくなった。頭巾を取るどころか、あまりにも急激な世相の変化に追いたてられるかのように一気に顔の皮も肉も剥ぎ取り、派手な金色のガイコツになってしまった。さらに勢いあまって今度は悪人たちが頭巾をかぶることになった。
……と、そんなこんなを考えていると、黒バットから黄金バットへの変化は紙芝居や映画、テレビといったメディアになだれこんだ集団無意識に先んじたり、後押しされたりと、流れを一つにするのではないかと感じられる。その打ちよせる先として、いやおうなしに定着したものが、現在からイメージされる黄金バットやナゾーのキャラクターなのではないか、などと想像は尽きない。