アイドル
いや、YOASOBIよりヨルシカが好き、とかいう話ではなく。
泉鏡花の『三味線堀』に「汝、どうする連ち奴どもな」と、警官が若者を問い質すことばがあって、思い出した。
明治二十年代の女義太夫ブームの折、当時大人気だった竹本綾之助の公演では、大学生を中心とした熱狂的ファン集団による「どうするどうする」というコールが入ったことから、彼らは堂摺連と呼ばれていた。
義太夫語りの曲間にはガチ恋口上タイムめいたクラップ・タイムもあった。移動中の人力車に追いすがる若者もいて、ここから「追っかけ」ということばが生まれた。
「綾ちゃんは今年十二だが大人も跣足の巧者で真に麒麟児だね」という当時のキャッチフレーズもなかなか味がある。
義太夫というジャンルだから、座布団に正座だと思っていたが、椅子とテーブルを使って洋装で演じることもあったらしい。
誰が日本の元祖アイドルと呼ばれるにふさわしいか、こういう話からすると、竹本綾之助だという見方も案外、的外れに思えない。
綾之助は古参ファンと恋仲になったのだが、狂的なストーカーと化したドルオタたちが許すはずもなく、身の危険を感じた婚約者はアメリカに逃亡。明治三十一年、四年後に帰国した彼と、無事に結ばれたのだった。
そんな話が、国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる当時のアイドル本『竹本綾之助艶物語』(明治四十五年)に書かれている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/856672/1/1
綾之助の物語は、岩波文庫になっている長谷川時雨の名著『新編 近代美人伝(上)』(大正七年)にも書かれているのだが、『竹本綾之助艶物語』と『近代美人伝』を読み比べてみると、長谷川時雨が書いた内容は、すべて『竹本綾之助艶物語』によっている。アイドル本一冊をネタに書かれた名著というのは、さすがに酷いのではないか。
志賀直哉が女義太夫、豊竹昇之助のドルオタで、有島生馬(有島武郎の弟、里見弴の兄)とのドルオタ論争の末に喧嘩別れした話も有名。
北野武の祖母も、竹本八重子という娘義太夫のアイドルだった。