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舞台裏12 発破

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 まもなく真昼の鐘が鳴る時刻。

 薬用植物研究所の所長室の扉がノックされた。

 部屋の主人であるヨハンが応答を返すと、扉が開かれ、第三騎士団の団長であるアルベルトが入って来た。



「お前が来るなんて珍しいな」

「息抜きを兼ねて、来てみたんだ」



 目を丸くしたヨハンに、アルベルトは手に持っていた書類を掲げる。

 書類を見て納得したヨハンが片手を差し出すと、アルベルトはその手の上に書類を載せた。

 ヨハンが書類に視線を移すと、アルベルトは部屋に備え付けられている応接セットのソファーに座った。

 少しして、再び所長室の扉がノックされる。

 ヨハンが許可を出すと、従僕がティーセットをカートに載せて入ってくる。



「用意がいいな」

「来るときに、すれ違ったから頼んだんだ」



 再び目を丸くしたヨハンに、アルベルトが説明する。

 その台詞に苦笑を返すと、ヨハンは書類にサインをして、応接セットに移動して来た。

 向かい合わせに座った二人の前に、従僕はお茶を置くと、ヨハンの合図で部屋から出て行った。



「それで? 今日はどんな用件なんだ?」

「用件ってほどじゃない。本当に息抜きに来ただけだ」

「ほぅ。セイもいないのに?」



 ニヤリと笑ったヨハンの言葉に、お茶を飲んでいたアルベルトは噎せた。

 その様子を見て、押し殺した笑い声をあげるヨハンをアルベルトが睨んだが、当の本人はどこ吹く風だ。



「そういえば、商会の方はどうだ?」

「お陰様で、大分落ち着いたようだ」

「そうか。それなら良かった」

「あぁ。売り上げが落ちるから渋られるかと思ったが、そうでもなかったな」

「化粧品の移管か?」

「そうだ。あれだけで、かなりの売り上げがあったと思うんだがな」

「それと引き換えにしてもいいほど、他からの妨害が酷かったんだろ」

「そうだな」



 アルベルトが話題を変えようと商会のことを口にすると、ヨハンもそれに乗っかり、話し出した。

 王宮側主導でセイの商会が設立されたのは、ヨハンだけでなく、アルベルトも知っていた。

 これでもアルベルトは第三騎士団の団長で、王宮では上層部の一員である。

 加えて、騎士団の中でも第三騎士団はセイと一番近しい騎士団であった。

 その団長にセイに関する情報が下りてこないということはない。


 ヨハンの実家であるヴァルデック家が、商会のことで大変なことになっているのもアルベルトは知っていた。

 とはいえ、他所の家の問題に軽々しく首を突っ込むわけにもいかない。

 ましてや、自身の実家のホーク家に助けを求めるのも、出来ない話だ。

 アルベルトに出来ることといえば、ヨハンの愚痴を聞き、解決策を一緒に模索する程度で、歯痒く思っていたのも事実だ。

 その問題が落ち着いたという言葉を聞いて、アルベルトは安堵した。


 セイの商会を設立するにあたり、王宮側が懸念していたことがある。

 そのうちの一つが、元の商会が化粧品を移管することに同意するかということであった。

 高級品でもある化粧品の売り上げは、人気があることもあって大きい。

 その売り上げが丸々無くなってしまうのは、いくら他に商材があるといっても、商会としては痛手であることは想像に難くなかった。

 それ故、王宮側も商会がすんなりと化粧品の移管に応じるとは思っていなかった。

 しかし、王宮側の予想に反して、商会はあっさりと移管に応じた。


 商会が簡単に化粧品を手放したのは、先行投資が無駄にならないように王宮側が色々と配慮したのも理由の一つだ。

 また、化粧品に関して他の商会等からの接触に対応するコストが増大していたため、それがなくなるのも商会にとっては、ありがたいことだった。

 だが、それ以上に大きな理由があった。

 今回の件が王宮やヴァルデック家への、ひいては【聖女】への貸しになることを、商会は大きな利益だと捉えていたことだ。

 先を見据えた判断だったと言える。



「まぁ、商会の方は落ち着いたが、今度はセイの方が大変になるだろうな」

「セイが?」

「魔物の討伐で彼方此方に行って、方々に顔が売れたんだ。次に何が起こるかは分かるだろ?」

「次か……」

「地位が高くて、経済力もある。その上、流行の発信源だ。隣に置きたい男は多いだろう」



 ヨハンが何を言いたいかを悟り、アルベルトは眉間に皺を寄せた。

 ヨハンが言いたいのは、セイの婚姻についてであった。

 結婚適齢期が日本よりも早いスランタニア王国では、ヨハンもアルベルトも既に通った道である。


 貴族の結婚適齢期は早く、成人となる15歳から始まる。

 そのため、貴族女性は15~20歳で結婚するのが一般的だ。

 それに当てはめると、セイは行き遅れの部類に入る。


 しかし、【聖女】という地位と、新たに設立される商会からの収入、化粧品や料理等の流行の発信源であることが、年齢を問題と感じさせなかった。

 少々行き遅れであっても、付属してくるものを見れば、お釣りが来る。

 特に、家を継げない次男や三男からすれば、非常に魅力的だった。

 今はまだ来ていなくても、いずれセイの所に彼等の絵姿や釣書が殺到するのが、ヨハン達には予想できた。



「まぁ、セイは結婚なんて考えてなさそうだがな。あれも仕事人間だし」

「そうだな。釣書の山を見たら慌てるか、俺達と同じように嫌な顔をしそうだ」

「どちらかと言えば、慌てる確率の方が高いんじゃないか?」

「違いない」



 セイは殊更、恋愛に関して奥手だ。

 そのせいか、自分に向けられる好意に非常に鈍感である。

 それは、アルベルトとの初デート後にヨハンに指摘されるまで気付かなかったことからも伺えた。

 実際に、アルベルト以外の男性からも秋波を送られているのだが、セイはさっぱり気付いていなかった。

 気付いているのは、セイの周りにいる者達ばかりだ。


 二人とも、そんなセイのことをよく知っている。

 故に、大量の釣書を前に、顔を赤く染めて狼狽えるセイの姿が容易に想像できた。

 その様子が脳裏に浮かんだのか、ヨハンとアルベルトは同時に噴き出した。



「お前はどうするんだ?」

「俺?」

「辺境伯家と雖も、モタモタしてると掻っ攫われるぞ」

「……、分かっている」



 一頻り笑った後に、ヨハンが口を開いた。

 嫌な指摘にアルベルトの表情は苦いものに変わる。

 興味本位でもなんでもなく、ヨハンは純粋に幼馴染を心配していた。

 アルベルトも、そういうヨハンの心情を理解していたため、表情を変えながらも応えを返す。


 アルベルトの気持ちは決まっていた。

 はっきりとした行動に移さなかったのは、偏に恋愛初心者であるセイの歩調に合わせていたからだ。

 そんなアルベルトの気持ちに気付いてか、実家であるホーク家も何も言ってきていない。


 けれども、そろそろ動き出さないといけないだろう。

 新たな商会が立ちあげられ、商会から利益を得ることが簡単には行かなくなった今、次に狙われるのはセイ自身だ。

 最も手っ取り早く、多くの利益を得られるのは、セイとの婚姻であることは言うまでもない。

 ヨハンの言う通り、早晩、他の家が【聖女】を確保するために動き出すのは目に見えていた。

 いい加減、腹を括り、行動に移さないといけないだろう。



「お前が行動を起こさないのなら、俺が動くか」

「は?」

「いや、変な輩がセイの婚約者候補に名乗りを上げる前に、俺が名乗りを上げようかと思ってな」



 親友の爆弾発言に、アルベルトは凄まじい表情で固まった。

 その表情を見たヨハンが噴き出したことから、質の悪い冗談を言われたのだと理解したアルベルトは脱力する。

 ヨハンなりにアルベルトに発破をかけたのだろう。

 その後、アルベルトがヨハンにどのように返したのかは、所長室にいた二人が知るのみである。


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