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77 郷愁

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 船着場での騒ぎの後、近くのお店の人に聞いてみたりしたけど、外国から入ってきた穀物は麦や豆ばかりで、お米は見つからなかった。

 ただ、事故を起こした船の荷物がまだ市場に出ていないという話だったので、日を改めて市場を再訪することにした。


 大人しく宿に戻り、一夜明けた朝。

 ジュードやオスカーさんと食堂で朝食を取っていると、入口の方が騒がしくなった。

 何事かと振り返れば、昨日の黒髪の男性が喜色満面の笑顔でこちらに向かってくる。

 周りを見回したけど、皆驚いた表情をしていて、知り合いである風の人はいない。

 そうしているうちに、男性は私が座るテーブルまでやって来た。



『やはり、この宿にいたか!』

『えっと……』

『失礼ですが、お嬢様に何か御用でしょうか?』



 口を開き掛けたところ、同じテーブルに座っていたオスカーさんが立ち上がり、男性と私の間に身を滑り込ませた。

 咄嗟のことなのに、私の仮の身分を口に出来る辺り、やはり優秀な人なんだなと思う。

 急に近寄って来た男性を警戒したのだろうか。

 オスカーさんは笑顔を浮かべているけど、少しだけ硬い雰囲気を醸し出していた。


 男性はオスカーさんの態度に一瞬目を見開いたけど、すぐに居住まいを正し、所属と名前を名乗った。

 ザイデラという国から来た船の船長で、セイランという名前らしい。


 昨日渡したポーションは役に立ったようで、彼の部下はすぐにでも働けるくらいに回復したそうだ。

 足を怪我したらしく、切断することも覚悟していたそうだが、ポーションのお陰で切断せずに済んだのだとか。

 そして、ポーションの効果の高さから高価な物を渡されたことに気付き、お礼を言うために昨日から私を探していたらしい。


 切断前にポーションを渡せて良かった。

 切断後だったら、ポーションでは治せないもの。



『改めて礼を言わせて欲しい。ありがとう』

『お役に立てて良かったです』



 お礼を言うセイランさんに笑顔を返す。

 これで終わりかと思ったら、続きがあった。

 何かというと、ポーションの代金を支払わせて欲しいと懇願された。



『あれ程の効果のある物だ。無償で貰う訳にはいかない』

『えーっと……』



 効果について何か言われるだろうとは思っていたけど、代金について言及されるとは思っていなかった。

 取って置きの一本ではあったけど、元は研究所の過剰在庫だ。

 使う機会がなかった物を、何かあったとき用にと鞄に突っ込んでいた物なので、代金を貰うのは気が引ける。


 そもそも、その性能故に市販していない物なので、値段が付けられないのよね。

 ここは上級HPポーションの市価と同等のお金を貰えばいいかしら?

 それはそれで、何だか後で問題が起こりそうな気がしなくもない。


 どうしたものかと困っていると、オスカーさんが助け舟を出してくれた。



『お渡ししたポーションですが、お嬢様のためにと主人が特別に用意した物でございまして……』

『そうだったのか』

『はい。ですので、代金をと仰られますと、かなりの金額をご提示せざるを得ません』

『そうか……。手持ちの金で足らないようであれば、積荷を売った後に追加で支払わせて欲しい』

『それでも構いませんが、こちらとしましては、お嬢様の厚意でしたことですので、後から代金をいただくのも心苦しいのです』



 二人の遣り取りをハラハラしながら聞いていたのだけど、オスカーさんは良い着地点に着地させてくれた。

 積荷を見せてもらい、欲しい物があれば安く譲って貰えるよう話を付けてくれたのだ。

 セイランさんも快く了承してくれ、早速この後、船まで見に行くことになった。

 セイランさんの積荷が市場に降ろされるのを待っていたので、オスカーさんの申し出は非常に助かった。


 船着場に移動し、船の中に入るのかと思いきや、倉庫の方に案内された。

 事故はあったけど、積荷は倉庫に移動済みだったようだ。

 倉庫の中は薄暗く、魔法が掛けられているのか、外よりも気温が低く、ひんやりとしていた。

 肌寒さに両腕をさすりつつ、船長さんの後を付いて行く。

 持ち込まれた品物は、この国で売れる物ということで、やはり麦類が多い。



『あの、セイランさんの国の特産品等はありませんか?』

『特産品か……。そうだな、あまり売れる物ではないので数は少ないが……』



 船長だというのに、案内を買って出てくれたセイランさんに珍しい物はないかと尋ねると、隅の方に連れて行かれた。

 見せてくれたのは、ザイデラで使われているという香辛料。

 唐辛子に山椒、そして特徴的な八角。

 日本で見たことのある香辛料に内心テンションが上がる。

 だって、中華料理に使われる香辛料ばかりなのよ!

 これらの香辛料があるということは、お米がある可能性が高いのではないかと期待してしまう。


 そして、その期待は裏切られなかった。

 香辛料以外にもないかと聞いたところ、連れられて行った一角で遂に見つけたのだ。



『お米!!!!!』



 感極まって大きな声を出してしまったせいで、一緒に来ていたジュードやオスカーさん、それにセイランさんまで驚かせてしまった。

 でも、そのときは周りの状況が気にならないくらいに、頭の中が目の前にあるお米で一杯だった。



『お嬢さん、米を知ってるのか?』

『はい!』



 恐る恐る訊ねてきたセイランさんに返事をすれば、勢い良すぎたのかセイランさんが僅かに仰け反る。

 しかし、すぐに気を取り直してお米について話してくれた。

 お米はザイデラの一部地域で主食として食べられている物なのだそうだ。

 スランタニア王国にはほとんど入って来ていない物なのによく知っていたなと言われて、ギクリとしたのは内緒だ。

 咄嗟に、図鑑で見たことがあって気になっていたというと、一応納得してくれたみたいだったけど。


 積まれていたお米は売れるとは思われていなかったので量が少なかったけど、遠慮なく買えるだけ買った。

 次にいつ入るか分からないからね。

 もっとも、そんな私の買いっぷりを見て、次回はもっと持って来てくれるという話になり、すかさずオスカーさんが商談を始めた。



「すごいね……」

「そうね……」



 オスカーさんを見ながら、ジュードと二人で呟く。

 お米だけではなくて香辛料の売買も含めて、次々と決まっていく商談に目を白黒させてしまうばかりだ。

 しかも、ポーションの件を利用して、かなり強気に値切っている辺り、本当にやり手よね。



『あの……』

『はい?』



 不意に声を掛けられて振り返れば、お盆を持って佇む男の子がいた。

 セイランさんと同じような髪色をしているということは、同じ国出身の子かもしれない。

 年の頃はリズ達と同じくらいに見えるけど、船員さんだろうか?

 お盆の上には湯気が立つマグカップが人数分乗せられている。

 どうしたのかと、マグカップから少年の顔に視線を移すと、はにかみながらマグカップに入った飲み物を勧めてくれた。



『倉庫の中は寒いですから、もしよろしければスープでも飲んで温まっていただければと』

『ありがとうございます!』



 マグカップを受け取り、両手で包むと、じんわりと熱が伝わる。

 暖かさに口元を緩ませると、少年が自己紹介してくれた。

 やはりセイランさんの船の船員さんで、しかも渡したポーションで難を逃れた人物だった。

 こんなに若い子が足を切断する羽目にならなくて本当に良かった。

 何度もお礼を言う彼に、頭を下げ続けるのを止めてもらうのは一苦労だった。


 一頻りのお礼合戦が終了した頃にはマグカップから伝わる熱で掌も大分温まっていた。

 熱々だったスープも飲み頃になっているだろう。

 そして、スープに口を付けようとして、鼻先を掠めた香りに動きが止まった。

 この匂い……。


 薄暗い倉庫の中。

 スープがどのような見た目をしているかは分かり難いけど、この匂いには覚えがある。

 期待に胸を躍らせながら、そっと口を付けると、懐かしい味がした。


 ジンと鼻の奥が痺れ、口の端が震える。

 溢れそうになった涙を堪えて、もう一口飲んだ。



『僕、いえ、私の故郷のスープなのですが、口に合いましたでしょうか?』

『はい。とても美味しいです』

『変わった風味がするけど、美味しいね』

『そうですか!』


 ジュードの口にも合ったらしい。

 二人揃って美味しいと伝えれば、少年は満面の笑顔で喜んでくれた。



『珍しい味だけど、何を使ってるんだい?』

『私の故郷で味噌と呼ばれている調味料を使っているんです』



 味噌汁。

 こうして飲むのは本当に久しぶりだ。

 涙腺を直撃するくらい、郷愁を感じるとは思わなかったけど。


 簡単に作った物だから、故郷で飲む物はもっと美味しいんだと言う少年に、ジュードが感心したように相槌を返す。

 少年が言う通り、日本で飲んでいた物に比べると、お湯に味噌を溶いただけのスープは物足りない。

 けれども、久しぶりに飲んだ味噌汁は本当に美味しかった。


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