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76 怪我人

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 早朝の空気は少しだけ澄んでいる気がする。

 けれども、人が多い場所になると、途端にそんな空気は霧散してしまうのよね。

 日が昇ってそれほど経たないというのに、市場の中は既に多くの人で賑わっていた。

 熱気がすごい。

 この世界の人達の朝が早いのは知ってはいるのだけど、それでも朝早くからこんなに多くの人が集まるのは凄いなと思ってしまう。



「凄い人出ね。王都も人が多かったけど、同じくらい人がいそう」

「この国でも有数の貿易港があるからね。それに昨日新たな船が入港したばかりだから、その船の荷物目当てに、いつもより人が多いんじゃないかな」

「そっか。それもそうよね」



 ここにいる人達と同じように、私達も朝早くから繰り出している。

 感心はすれど、批判はできない。

 同類だし。

 そんなことを考えつつ、ジュードと話しながら市場の中を歩く。


 貿易港があるのもあって、市場に並んでいる品物は、王都では見たことがない物が多い。

 興味を惹かれる物ばかりで、ついつい近くに寄れば、その後をジュードが慌てて付いて来る。

 あまりにも自由奔放に動き過ぎたのか、終いには腕を掴まれてしまった。



「ちょっと、あんまりフラフラしないで」

「ごめん、ごめん。気になる物が多くて、つい」

「ついじゃないよ、もう」



 プリプリと怒るジュードにもう一度謝り、再び市場に並べられている品物に意識を移す。

 これ以上怒られないように、気になる物があればジュードに声を掛けて近付く。

 ジュードが持つこの世界の知識と、私が持つ元の世界の知識をお互いに披露しながら歩くのは、思いのほか楽しかった。



「生鮮食品は王都に置いてある物と大差ないわね。値段が違うくらい?」

「そうだね。この付近の名産は、こっちの方が安いよね」

「外国から入って来た物は工芸品とかばかりか」

「見てるだけでも面白いよね」

「そうね」



 外国から入って来ている物は、織物にしても、この国では見ない柄で織られたりしていて面白い。

 面白いんだけど、一番の目的は食料品だ。

 珍しい工芸品だけに目を奪われている場合ではない。


 そして、改めて食料品を中心に見て回ったのだけど、今のところ目的の物は発見できていない。

 お茶やコーヒー、砂糖なんかは見かけたんだけどね。

 王都よりも全然安い価格だったので、思わず手が伸びそうになったわ。

 もしも、目的の物が見つからなかったら、それらを買って帰ろうかしら。



「うーん、ないわねぇ」

「探してた物?」

「そう。そういえば、昨日入った船の品物ってあったのかしら?」

「どうだろう? 気にしてなかったな。その辺のお店の人に聞いてみる?」

「そうね」



 市場の端まで来たけど、外国から入って来たと思われる穀物は見掛けなかった。

 小麦や大麦は見掛けたんだけどね。

 見落としたのかもしれないので、ジュードが言うように付近のお店の人に聞いてみた方がいいだろう。


 踵を返したところで、後ろから誰かが言い争うような声が聞こえた。

 足を止めて振り返ると、船着場で何人かの男の人が輪になっていた。



「何だろう?」

「喧嘩かな?」



 同じように足を止めたジュードも怪訝な顔をしてその輪を見る。

 少し離れて護衛してくれていた騎士さん達も、異変に気付いてこちらにやって来た。


 目を凝らすと、輪になっている人の中心で、背の高い男の人が鬼気迫った表情で周りの人に食ってかかっているのが見えた。

 後ろで一纏めにされた長髪は、黒い癖毛だ。

 この国では黒い髪は珍しいという話だから、外国人かもしれない。


 耳を澄ませば、治療やら魔道師やらという言葉が耳に入った。

 もしかして、怪我人でもいるのだろうか?



「怪我人でもいるのかしら?」

「怪我人ですか?」

「えぇ、治療がどうこうって話してるみたいなんですけど」

「昨日、船着場で事故があったって話がありましたね」

「事故?」

「何でも積んでいた荷物が崩れたとかで、下敷きになった者がいたとか」



 疑問を零せば、近くに来た騎士さんが今朝聞いたと言う話を教えてくれる。

 朝の食堂で噂になっていたようで、耳に挟んだそうだ。



「セイはあの人が話してる内容が分かるのか?」

「はい。どうかしましたか?」

「よく聞き取れたな。実はな……」



 黒髪の男性は興奮しているためか、話す際に所々母国語が出ていて、それもあって周りの人も理解し難くて困惑しているらしい。

 騎士さんから、追加でそのことを教えてもらった。

 私は召喚時の特典で、この世界の言語は大体理解できるので、さっぱり気付かなかった。


 怪我人か……。

 黒髪の人の様子を見るに、事は一刻を争うのかもしれない。

 ここはひとつ、肌を脱ぎますか。



「あっ、セイ!」



 ジュードが驚いたように声を上げたけど、それを無視して人の輪に向かう。

 止めようとした騎士さんにも、片手を上げて制する。

 大丈夫、変なことはしないわ。

 近付く私に気付いた人に、「通訳をしましょうか?」と問えば、助けが来たと思われたのか、いい笑顔で頷かれた。


 頭一つ分上にある男性の顔を見上げると、鳶色の瞳と目が合った。

 訝しそうな眼付きでこちらを見る男性に、安心させるように笑顔を返す。



「誰だ?」

『初めまして、セイと申します。もしよろしければ通訳しましょうか?』

『我が国の言葉が分かるのか! 頼む!』



 黒髪の男性の母国語で話すよう意識しながら言葉を発せば、思った通りに彼の国の言葉で話せたようだ。

 ほんと便利ね、この特典。


 そうして、周りの人に黒髪の彼が話す内容を伝えたのだけど、それでも周りの人は難しい顔をするばかりだった。

 首を横に振る周りの人の反応に愕然としていた黒髪の人が縋るようにこちらを見た。

 周りの人の反応は予想通りだ。

 何故なら、男性は魔道師を探していたのだから。


 昨日、船着場で事故があったのは本当の話だった。

 その際に怪我を負ったのが、この男性の部下らしい。

 負傷した人は何人かいたようだけど、その中の一人が特に酷く、ポーションを飲んでも状態が思わしくないのだとか。

 そこで誰か治療ができる者、回復魔法を使える魔道師を探していたのだそうだ。

 しかし、モルゲンハーフェンには薬師はいても、魔道師はいなかった。


 この国の魔道師事情を考えると当然である。

 重傷を治せるほどの回復魔法の使い手は全て王宮勤めで、魔物の討伐でもなければ王宮を離れない。


 説明を求める黒髪の男性に、この町に魔道師がいないことを告げると、男性は眉間に皺を寄せて俯いた。

 周りの人達も痛ましい表情を浮かべたが、自分達に出来ることが何もないことが分かると、徐々に輪を外れていった。


 うーん。

 確かに、モルゲンハーフェンには回復魔法が使える常勤の魔道師はいない。

 けどね……。

 チラリとジュードの方を見れば、ブンブンと効果音が付きそうな勢いで首を横に振っている。

 騎士さん達も苦い顔をして、否定を表すように小さく横に手を振っている。

 ですよね。


 私なら恐らく治すことはできるだろう。

 でも、そこまでの重傷を治してしまうと、間違いなく噂になってしまう。

 それが分かっているから、ジュードも騎士さん達も止めておけと身振りで訴えるのだ。


 私ももちろん理解しているんだけど、関わってしまったために、後ろ髪が引かれる。

 出来ると分かっているから、何もしないで立ち去るのは非常に心苦しいのだ。

 何とかしてあげたい。

 そして少し悩んだ後、ハーッと深く息を吐いてから、勢いよく顔を上げた。



『あの、つかぬことを伺いますが……』

『何だ?』

『使われたポーションは中級HPポーションですか?』

『そうだ。この町にある一番効果が高いポーションを求めたところ、渡されたのだ』

『そうですか』



 使ったのが中級HPポーションとは運がいい。

 運がいいのは私なのか、それとも彼なのか。

 間違いなく、この人だろう。

 この人、絶対日頃は運がいいよね。


 使ったのが中級ポーションだと言うのなら、問題なく渡せる。

 出歩き用に肩に掛けていた鞄を漁り、中から一本のポーションを取り出した。

 男性に差し出すと、男性は怪訝な顔でポーションを見た。



『これは?』

『HPポーションです。何かあったとき用に持ち歩いている物ですが、よろしければ差し上げます。少しでも貴方の部下さんの助けになりますように』

『……ありがとう』



 多分、気休めにしかならないと思っているんだろうな。

 それでも、泣きそうな笑顔でお礼を言ってくれた彼に手を振り、ジュード達が待つ方へ戻った。



「セイ……」



 何か言いたそうなジュードに、肩を竦めて、元来た方へと戻るよう促す。

 船着場から離れて、黒髪の男性に声が聞こえない距離まで離れたところで口を開いた。



「魔法は使わないわ。けど、少しだけはね……。アレで峠を越せなかったなら仕方ないかな」

「あのポーションって……」



 言いかけて口を噤んだジュードに苦笑いを返す。

 先程男性に渡したのは、何かあったとき用にと鞄に入れていた、取って置きの一本。

 私が作った(・・・・・)上級HPポーションだ。

 アレを飲ませても状態が良くならないのであれば、本当にもう回復魔法でしか治せない。


 アレならば、効果が高いことが分かっても、上級だからと言える。

 普通の上級より効果が高いと言われても、家族から貰った物だから詳しくは分からないと白を切り通そう。

 魔法が使えない私の、せめてもの自己満足。

 これくらいは、大目に見て欲しい。


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