75 モルゲンハーフェン
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モルゲンハーフェンの町はスランタニア王国の東側、海沿いにある港町だ。
町の周辺には丘が多く、最も高い丘を登るまでは町の姿は見えない。
その丘を登りきったところで馬車の窓から顔を覗かせると、前方に、海に向かって広がる町並みが見えた。
窓から顔を出した私に、落ち着いて町が見えるように御者が馬車を止めてくれる。
今いる丘よりも低いけど町の中にも丘があるようで、町中には坂道が多い。
町中の移動は少し大変そうね。
港の方に視線を移すと、何隻もの帆船が停船しているのが見えた。
少し沖合には、白い帆を広げた船もいる。
あれらの船もこれから入港するのかしら?
それとも、出航していったところなのかな?
「あとちょっとだね」
「そうね」
少し町並みに見入っていると、隣に座っているジュードが声を掛けてきた。
窓から首を引っ込め、体勢を戻して頷くと、再び馬車が動き出す。
モルゲンハーフェンに行くかという所長の提案から一週間後、少し長めの休暇を取って向かうことになった。
今まで休暇を取っていなかったのだから、ゆっくりして来いとは所長の言。
その言葉には語弊があると思う。
全く休暇を取っていなかった訳じゃないもの。
けれども、研究室の皆が皆一様に、「あれは休暇じゃない」って言うのよね。
私物の化粧品や料理を作ったり、王宮の図書室で本を読んだり、十分に休暇を満喫していたと思うんだけど?
何はともあれ、お米があるかもしれないという希望には抗い難かったので、所長の言葉に甘えることにした。
今回の旅行はジュードが一緒だ。
ジュードも外国から入って来る物に興味があるらしく、どうせなら一緒に行こうという話になったのよね。
ジュードの他には、何人かの第三騎士団の騎士さん達も同行してくれている。
こちらは休暇ではなくて、ちゃんとしたお仕事だ。
護衛ね。
日本とは違って、この国には魔物だけでなく盗賊もいる。
主要な街道は、その土地の領主様達によって管理されているので比較的安全だ。
しかし、全く危険がない訳ではない。
そこで、今回の移動には騎士さん達が護衛として付くことになったのだ。
王宮側からの提案だったけど、私としてもありがたい話だったので了承した。
ちなみに、団長さんは一緒ではない。
一緒に来るかなと思ったのだけど、残念ながら王都にお留守番となった。
騎士団の長ともなれば、やはり王都でやらなければならない様々な仕事があるかららしい。
出発の際、見送りにきてくれたのだけど、非常に残念そうだった。
もっとも、団長さんが留守番となった一番の理由は、別にあると思っている。
今回の旅行では【聖女】ではなく、一般人に扮しているのよ。
何でかって?
ほら、【聖女】として行動すると、色々と仰々しくなるからね。
それを避けるために、商家の御一行という態で移動しているのだ。
護衛をしてくれている騎士さん達も、傭兵の格好をしても目立たない容姿をした人達が来てくれた。
ただ、この中に団長さんが入ってしまうと、いかにもお忍びで移動している、やんごとない御一行感が出てしまうのよね。
傭兵の格好をしたとしても、隠しきれないキラキラ感……。
それこそが、団長さんが留守番となった一番の理由の気がしてならない。
王都で待っていてくれる団長さんには、お米がなくとも、何か外国の珍しい物があればお土産に買って帰ろうと思う。
もちろん、所長や研究員さん達にも。
「おかしくないかな?」
「大丈夫だよ。ほら」
あと少しで街に入るというところで、身嗜みを確認する。
普段はしない確認をしているのは、変装をしているからだ。
今回の旅行では、この国では珍しい黒髪と黒い瞳を隠すために、ウィッグと眼鏡を掛けている。
ジュードに手渡された手鏡を覗き込めば、そこには茶色い髪に眼鏡を掛けた私がいた。
顔を知っている人から見れば大したことがない変装だけど、ありふれた髪色にするだけでも目立たなくなるので問題ない。
そうこうしているうちに、馬車は町に入り、泊まる予定の宿の前で止まった。
長時間座りっぱなしだったため、早く降りて凝り固まった体を解したい。
手前に座っていたジュードが降り、その後に続いて降りようとしたところで、手が差し出されたのが見えた。
ジュードがエスコートしてくれるのかしら?
差し出された手に掴まり、顔を上げてお礼を言おうとしたところで固まった。
「ようこそ、モルゲンハーフェンの町へ」
「オスカーさん?」
そこにいたのは、商会のオスカーさんだった。
何でここにいるの?
疑問が顔に出ていたのか、固まってしまった私を馬車から降ろしながら、説明してくれた。
オスカーさんは全くの別件でモルゲンハーフェンに来ていたらしい。
そこに、私が食材を探し求めてモルゲンハーフェンに来ることを、どこかから聞きつけて、駆け付けてくれたそうだ。
「セイ様がいるんなら、ちゃんと挨拶しないとね」
「気にしなくていいのに」
「気にするよ。セイ様あってこその、うちのお店だからね」
そんな大袈裟な。
口には出さなかったけど、思わず表情に出てしまう。
苦笑いを返してしまったけど、オスカーさんは気にした風もなく笑顔のままだった。
オスカーさんから説明を受けている間に、ジュードが宿の手続きをしてくれたようで、そのまま部屋へと案内された。
何故かオスカーさんも一緒だ。
不思議に思うと、オスカーさんから同じ宿に泊まっているのだと明かされる。
「この宿はいい宿だよ。綺麗だし、料理も美味しいし」
「そうなんだ」
料理、料理か。
美味しいという言葉を果たしてどこまで信じていいものか。
この国の、元々の料理を思い出して、そんな風に考えてしまう。
料理については食べるときに考えるとして、案内してくれるという宿の人の後に付いて行った。
案内されたのは二階の一番奥の部屋だった。
一つ手前は騎士さんの部屋で、更に一つ手前がジュードの部屋だ。
隣が騎士さんの部屋なのは、護衛のためらしい。
宿に到着したときに引き続き、割り当てられた部屋の中を見たときにも固まることになった。
一人で使うには少々広い部屋なんだけど、これって結構いい部屋じゃない?
商家の人間に見えるようにしているからといっても、こんなにいい部屋に泊まってしまってもいいのかしら?
ジュードの部屋も同じような感じなら、この部屋が一般的な物だって納得できるんだけど。
うーん、後でジュードに確認してみよう。
しばし部屋の広さに圧倒された後、意識を切り替えて荷物の整理をした。
そういっても、備え付けのクローゼットに持ってきた衣装を掛けるくらいなので、あっという間に終わった。
その後は一階の食堂に移動する。
今後の予定を話すために、荷物を置いたら集まろうと、前もってジュードと話していたからだ。
階段を下りて、周りを見回すと、ジュードの姿が目に入った。
オスカーさんも一緒だ。
二人は顔見知りではなかったと思うので、自己紹介でもしていたのかもしれない。
近付くと、オスカーさんがこちらに気付いて、手を振った。
「何を話してたの?」
「簡単な自己紹介と、今日着いた船の話だよ」
問い掛ければ、予想していた通りの答えと、もう一つ、興味深い答えがオスカーさんから返ってきた。
ジュードの方を見ると、笑顔で頷かれた。
「食料品を乗せた船が、丁度今日到着したらしいよ」
「そうなんだ」
「そうそう。セイ様達は外国の穀物を探しに来たんだってね。その船にも穀物が乗せられて来たみたいだよ」
何て運が良い!
内心ガッツポーズをしていると、ジュードがどんな穀物なのかとオスカーさんに質問していた。
残念ながら、穀物の形状等、詳細な情報はオスカーさんも知らなかった。
しかし、外国で主食となっている物らしいと教えてもらい、否応無く期待が高まる。
今日到着したばかりだけど、明日の朝市には並ぶかもしれないということで、早速明日見に行くことになった。
その穀物以外にも、色々な食料品が積まれて来ているらしいので、朝市に行くのが非常に楽しみだ。
もし、明日並ばなかったとしても、数日は滞在する予定なので、その間に並ぶだろう。
市場に並ばない物に関しては、オスカーさんが仕事の合間に調べてくれると言ってくれた。
その中に必要な物があれば、こちらで取り寄せますよとまで言って貰えたのは大変ありがたかった。
そのときは、お言葉に甘えようと思う。
そうして明日の予定について話した後、今日は移動の疲れを癒すために、それぞれの部屋でゆっくりと休むことになった。