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舞台裏8 本当の目的

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 薄曇りの空の下、室内に入る光は少なく、日が落ちる時間でもないのに部屋の中は暗かった。

 どこか重苦しい雰囲気が漂う中、紙にペンを走らす音だけが広がる。

 そんなクラウスナー領、領主の執務室にノックの音が響いた。

 従者がドアに近付き誰何すれば、「コリンナでございます」と声が返る。

 その声に、領主であるダニエルが頷いたのを見て、従者はドアを開けた。



「失礼いたします」



 部屋に入り、コリンナは簡潔に挨拶をする。

 一礼をした後にダニエルを見れば、執務机の前に置かれている応接セットのソファーに座るよう促された。

 ちょうどキリがよかったのだろう。

 ダニエルもペンを置き、執務机から応接セットに移動した。


 互いに口を開かぬまま、向かい合う。

 少しすると侍従がティーセットを運んで来た。

 ダニエルとコリンナ、それぞれの前に紅茶の入ったティーカップが置かれると、ダニエルは侍従に部屋から下がるように指示した。

 コリンナが執務室を訪れるときに人払いされることは偶にあるため、侍従は特に何も言わずに退出した。

 侍従以外の者達も同様だ。

 彼等がいなくなり、執務室に二人きりとなったところで、コリンナが口を開いた。



「本日、【聖女】様に【薬師様】の日記をお渡ししました」

「そうか。それで、何か進展はあったか?」

「いいえ。ただ、口にはされませんでしたが、心当たりはあるようです」



 コリンナからの報告に、ダニエルは顎に手を添えて考え込んだ。

 期待していた進展がなく、この次にどう動くかを考えているのだろう。

 眉間に皺を寄せ、難しい顔で考え込んでいるダニエルを見て、コリンナはそう思った。

 そうして、ダニエルが次に口を開くのを静かに待った。


 コリンナがセイに見せた【薬師様】の日記には、クラウスナー領にとって最も秘さねばならない事柄が書かれている。

 日記を読めば、【聖女】の能力が魔物の討伐以外にも有益であることが分かるのだ。


 かつて【聖女】を守るため、その尋常でない能力を後世に伝えないよう、全ての記録を破棄するよう命令した王がいた。

【薬師様】が生きていたのは、その王命よりも前の時代だ。

 本来であれば【聖女】の能力が記載されている【薬師様】の日記は破棄されていなければならない。

 それにもかかわらず日記が残っているのは、当時の領主が隠したからだ。


 もちろん王命に従って破棄した記録も沢山ある。

 しかし、薬草栽培が主な産業のクラウスナー領にとって、【薬師様】の日記は王命に逆らっても残しておきたい資料だった。

 特定の薬草の栽培に必要な祝福がどういうものかが書かれていたからだ。

 祝福以外にも、日記には薬草栽培を確立するまでの様々な手法が記載されており、それらは新しい薬草の栽培条件を確立する際に有益だった。


 後世のために、当時の領主は日記を残すことを決めた。

 他のきちんと書かれた資料に比べ、日記であれば【聖女】の能力が書かれていることが発覚し難いということも、領主の決断を後押しした。

 それでも大っぴらにすれば、どこかで王命に反したことがバレてしまう。

 そこで、この日記の存在は代々の領主と、薬師を取り纏めている蒸留室の責任者にのみ伝えられることとなった。


 そんな重要な日記をクラウスナー領の者でもないセイに見せたのには、当然ながら思惑があったからだ。

 それも非常に重要な。



「心当たりというと、今代の【聖女】様も畑を祝福することができるということか?」

「申し訳ありません、そこまでははっきりしておりません」

「ならば、畑の復活は難しいか……」



 コリンナの返答に、ダニエルは腕を組み、益々眉間に皺を寄せた。

 実のところ、クラウスナー領の薬草の不作には原因が二つあった。

 魔物の増加のせいで森に生えている薬草の採集ができなくなったり、森に近い畑の収穫が思うように進まなかったのが一つ。

 もう一つは、祝福された畑での薬草の収穫量が落ちたことだった。


 祝福された畑で育てられていた薬草は二種類に分別できる。

 片方は必ず祝福が必要な薬草で、もう片方は祝福があった方が栽培が容易になる薬草だ。

 このうち、祝福があった方が栽培しやすい薬草の中に、中級HPポーション等のよく使われるポーションの材料となる薬草があった。

 今までは順調に育っていた薬草だったが、数年前から徐々に収穫できる量が減り、最近では全盛期の六割程度の量となっていた。

 祝福が必須な薬草に至っては、既に畑で栽培することができなくなっており、森での採集に頼っていたほどだ。


 これらの畑は【薬師様】が祝福して以来、一度も追加で祝福されたことがないにも関わらず、ずっと効果を保持していた。

 その後、何回か瘴気が増えた時代があったにも関わらず。

 それが、ここに来て徐々に効果が薄れてきたと思われるような状況になった。

 畑の収穫量が落ちてきた当初は、何か他に原因があるのではないかと、コリンナ達も様々な調査を行った。

 しかし、いくら調べても、祝福以外の要因は見当たらなかった。


 調査を続けている間も瘴気は濃くなったが、瘴気を祓うという【聖女】は見つからなかった。

 そして、遂に王宮が【聖女召喚の儀】を行うことを決めた頃、ダニエルとコリンナも祝福の効果が切れたのではないかと思い至ったのだ。


 ダニエルは頭を抱えた。

 代々伝わる【薬師様】や祝福された畑の話から、祝福は【薬師様】しか行えないものだと考えていたからだ。

 日記には、【薬師様】が畑を祝福した際に見えた魔力の色は金色だと書かれていた。

 そのような色の魔力を、ダニエルは見たことも、聞いたこともなかった。


 解決策を見出せないまま、傭兵団を駆使し、森の中での採集を増やすことで、何とか収穫量を保たせていた。

 けれども、このままでは領が立ち行かなくなる日も遠くない。

 薬草栽培に変わる産業も、一朝一夕で起こすことができるものではない。

 そうして、先行きに希望を見出すことができなくなったダニエルに届いたのは、王都の噂だった。

 【聖女】がゴーシュの森の討伐に参加したという噂だ。

 その噂の中に金色の魔力についての話があった。


 その話を聞いた際に、ダニエルは【薬師様】が【聖女】だったことを思い出した。

 クラウスナー領では【薬師様】は、その呼び名のとおり、優秀な薬師だったことで有名だ。

 かつてクラウスナー領から【聖女】が出ていることを覚えている者はいても、【薬師様】と同一人物だと覚えている者は皆無だった。

 領主ですら忘れていたのだから、他の者が覚えていないのを責めることはできない。


 もしかしたら、金色の魔力というのは【聖女】固有の魔力なのかもしれない。

 そう考えたダニエルはコリンナと相談し、この地に【聖女】を呼ぶことを決めた。

 表立っての目的は魔物の討伐のためだったが、本当の目的は【聖女】に再び畑を祝福してもらうことだった。

【聖女】が来てくれたとしても、必ずしも祝福してくれるとは限らなかったが、藁にもすがる思いだったのだ。


 ダニエルが今代の【聖女】について調べた結果、どのような人物かは分からなかったが、王宮にある薬用植物研究所に所属していることが分かった。

 しかも、自ら望んで入ったという話だ。

 研究所に所属しているならば、【聖女】がクラウスナー領の薬草栽培にも興味を示してくれるかもしれない。

 それならば、畑への祝福もお願いしやすい。

 そう考えると、ダニエルの心は少しだけ軽くなった。


 王宮に騎士団の派遣を依頼する手紙をしたためる際、【聖女】の派遣を依頼するかどうかでダニエルは悩んだ。

 最終的に依頼しなかったのは、依頼の理由を追及されて、ダニエル達が【聖女】の能力を知っていることがばれるのを恐れたからである。

 それゆえ、もし騎士団が派遣されてきたとしても、共に【聖女】が来るかどうかは賭けとなった。


 騎士団派遣の依頼をしたためた手紙を王宮へ送ってから暫くして、ダニエルが待ち望んでいた返事が来た。

 ダニエルは賭けに勝った。

 王宮からの返事には【聖女】も派遣すると書かれていたのだ。

 後は、どうにかして畑を祝福してもらうだけである。

 もっとも、その思惑は外れたが。


 コリンナがそれとなく確認したところ、王宮から派遣されてきた【聖女】は瘴気を祓う以外の能力については語らなかった。

 王宮から口止めされているのか、もしくは本当に知らないのかは分からない。

 しかし、ポーション作製に関して他の者より能力が優れていることを隠す様子がないことから、後者ではないかとダニエルは考えた。

 悩んだ結果、クラウスナー領に残されている【薬師様】の日記を【聖女】に見せることにした。

 いつ見せるかはコリンナに一任し、見せた後の【聖女】の様子や、進展を報告するよう命令した。

 その命令に従い、コリンナは報告に来たのだった。



「日記に記述されていた金色の魔力に心当たりがあるようです」

「本当か!?」

「【聖女】様のお話では、西の森の討伐の際に使った【聖女】の術でも金色の魔力を見ることができたとか」

「なるほど。魔法の発動時には、魔法の属性に応じた魔力の色が見える。予想通り、金色の魔力というのは【聖女】様固有の魔力ということか」

「恐らくはそうでしょう。私も色々な属性の魔法を見たことがありますが、金色の魔力は目にしたことがありません」



 ダニエルの表情は目に見えて明るくなった。

 当代の【聖女】がクラウスナー領を訪れ、金色の魔力についても心当たりがあるという。

 城の人間、主に蒸留室にいる薬師達の話から、【聖女】がかつての【薬師様】と同じく、薬草狂いだという噂も漏れ聞こえている。

 祝福に心当たりはなくとも、【薬師様】の日記を読んだことで、興味を持ってもらえる可能性は高い。

 これならば、本来の目的を達成できそうだとダニエルは考えた。



「少し希望は出てきたか……」

「【聖女】様が探されていた薬草の栽培にも畑の祝福が必要です。あの様子であれば、自ら進んで祝福について調べてくれるでしょう」

「それは喜ばしいことだ」



 憂いが減り、口元に笑みを浮かべるダニエルは知らない。

 その【聖女】が自分の意志で術を発動できないことを。

 魔物の討伐で術が発動したと聞いて、ダニエルもコリンナも、セイが自由自在に術を発動できると思い込んでしまっていた。

 セイが術を発動できないことを知っているのは、王宮でも一部の者だけだ。

 そんなことが噂で流れても、聞いた人間の不安をあおるだけなので、王宮側が隠すのも当然である。


 けれども、幸運の星はダニエルの頭上に輝いていたようだ。

 この会話の数日後、再びセイが【聖女】の術を発動させた。

 この幸運が【薬師様】のご加護で齎されたものであるかは、定かではない。


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