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42 クラウスナー領

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「セイ」



 馬車の外から掛けられた声に、窓の外を見ると、馬に騎乗した団長さんが隣にいた。

 団長さんは前を向くと「見えてきたぞ」という。

 その言葉に誘われて、窓から少し頭を出して前を見ると、丘の上に立つ城と、城から麓にかけてある街、それらを取り囲む城壁が見えた。

 目的地であるクラウスナー領の領都だ。



「うわー」



 時刻は昼下がり。

 少し西に傾いた日差しを浴びて、瓦屋根のオレンジ色が鮮やかだ。

 城壁とお城は街の建物とは反対に、石造りのため色合いは暗い。

 けれども、その風景は私が行きたくてやまなかったヨーロッパの景色を髣髴とさせ、思わず歓声を上げた。


 今までいた王都もそうだろうって?

 確かにそのとおりなんだけど、王都とクラウスナー領では少し趣が違うのよね。

 だからか、また感動もひとしおというか……。


 目に映る景色に感動している間にも馬車は進む。

 私を含めた一行は、森を抜けて、畑が広がる平野に差し掛かった。

 あと少しで、目的地だ。


 王都を出てから、ほぼ(・・)真っ直ぐにここまで来た。

 クラウスナー領の危機に駆けつけているのだから当然だ。

 ただ、遠征に行く部隊はそれなりに大所帯で、そう急げはしない。

 クラウスナー領に辿り着くまでに、それなりの日数が掛かったので、通り道にある街に泊まることもあった。

 その際に色々とあったのよね。


 問題が起こっているのはクラウスナー領だけではなく、其々の地方の領主が皆、こぞって騎士団に助けを求めているような状況だ。

 そういう訳で、街に宿泊した際に、その土地の領主から色々とお手伝いを頼まれたのよ。

 気持ちは分かるけど、そう悠長にしている訳にもいかないので、大体はお断りした。

 でも、中にはしつこい人もいてね……。

 クラウスナー領からの帰りにまた寄ることを約束して、何とか出発するといったことが数回あった。

 あれには、ちょっと辟易としてしまったわ。

 それは団長さんも同じだったようで、途中から、あえてその土地の領都に泊まることがないように調整していた。


 道中を思い返している間に平野部を通り抜け、遂に城門の前まで来た。

 街中に入るからか、馬車が緩やかに速度を落とす。

 先触れをしてあったお陰で城門で止められることもなく、そのまま領主が住むお城まで進むことができた。


 通りすがりに見えた街は、王都よりもこぢんまりとしていたけど、それなりに栄えていたと思う。

 魔物がかなり増えていて、主要産業である薬草の収穫にも影響が出ていると聞いていたから、街の雰囲気も暗かったりするのかなと思っていたのだけど、そんなことはなかった。

 すれ違った人達の表情は、どちらかというと明るかった。

 思ったよりも深刻ではなかったのだろうか?

 それとも、この街の人達の精神構造が逞しいのだろうか?


 そんなことを考えていると、お城の入り口に到着したらしい。

 馬車が停止した。

 深呼吸を一つして、気合いを入れる。

 ここからは【聖女】として振舞わないといけない。


 前もって打ち合わせで聞いていたとおり、外側から開けられるまで、馬車の中で待機だ。

 貴人は自分からは降りてはいけないらしい。

 暫く待てば、馬車の扉が外側から開き、外の光が差し込んだ。


 入り口から顔を覗かせると、すぐ側に団長さんが立って、降りる私に手を差し伸べてくれた。

 マナーの講義で習っているとはいえ、エスコートされるのに慣れている訳ではないので、ちょっと気恥ずかしい。

 何とも言えない複雑な心境で、微妙に頬が引き攣る。

 うん、笑顔で誤魔化そう。

 変な顔にならないように気を付けながら、そっと差し出された手に掴まり、馬車から降りた。


 足元から視線を上げると、お城の玄関前には使用人の人達が並び、その中心に上品な衣装を着た男性が立っているのが見えた。

 年齢は五十代後半くらいかな。

 髪の色は白髪交じりのグレーで、背は私より少し高いくらい。

 あれが領主様だろうか?

 団長さんに先導され、その人の前まで進み出る。

 足を止めた団長さんの隣に立つと、男性が口を開いた。



「ようこそ、お越しくださいました。私がこの地を治めておりますダニエル・クラウスナーでございます」



 クラウスナー様は挨拶と共に、綺麗な所作でお辞儀をし、それにあわせて後ろの使用人さん達も一斉に頭を下げる。

 【聖女】と地方の領主では、【聖女】の方が身分が高い。

 だから仕方ないとは思うのだけど、こうして畏まられると非常に居心地が悪い。

 私は今も昔も一般庶民だもの。

 こういうことはさっさと終わらせよう。

 笑顔が引き攣るのを我慢しながら、私も挨拶を返した。



「セイ・タカナシと申します。暫くお世話になります」

「第三騎士団を預かる、アルベルト・ホークだ。よろしく頼む」



 私に続いて団長さんが挨拶をすると、クラウスナー様は頭を上げた。

 それから、使用人を代表して、執事さんと侍女長さんを紹介してくれた。

 執事さんも侍女長さんも、クラウスナー様と同じく五十代くらいの方で、執事さんはすらりと背が高く、侍女長さんは逆に私よりも背が低く、ふくよかな女性だ。

 何かあればこの二人に声をかければいいらしい。

 二人とも優しげな雰囲気の方で、話しかけやすそうでほっとした。


 簡単な挨拶が終わった後は、すぐに部屋に案内してくれることになった。

 クラウスナー領の現状については、少し休憩した後に話してくれるらしい。

 長旅で疲れているだろうからと、気を使ってくれたみたい。

 途中休憩があったとはいえ、一日中馬車に乗っていたのでありがたい配慮だった。


 侍女長さんに案内された部屋は日当たりの良さそうな、広い部屋だった。

 家具は落ち着いた色合いの年代を感じさせる物が多く、壁紙やカーテンなどはエメラルドグリーンで色味が統一されていた。

 とても雰囲気がいい。



「こちらのお部屋をお使いください」

「ありがとうございます」



 侍女長さんも忙しいのだろう、案内をしてくれた後はすぐに部屋から退出していった。

 彼女を見送った後は、早速部屋に備え付けられていたソファーに座った。

 背もたれにもたれかかり、だらーっとする。

 少しお行儀が悪いのは許して欲しい。

 初めての長旅で、かなり疲れてるのよ。



「普段着に着替えられますか?」

「うーん、この後またクラウスナー様とお会いするんですよね?」

「そのように伺っております」

「じゃあ、このままでもいいですか?」

「クラウスナー様との面会時にはまた着替えますから、楽な服装に着替えられてもよろしいかと」

「そ、そうですか。では、着替えます」



 会話の相手は、王宮から付いて来てくれた侍女のマリーさんだ。

 クラウスナー領には滞在期間が長くなるかもしれないので、まだまだ貴族社会に疎い私のために付いて来てくれたのよ。

 身の回りのことだけであれば自分でできるから、私一人でも問題ないんだけどね。

 人と会うときには着替えないといけないとか、そのときの服をどうするかとかは、さっぱり分からない。

 そういう貴族的な部分はマリーさんに助けてもらうことにした。

 後は対外的なものもあってね。

 【聖女】に侍女の一人も付いていないというのは王宮の人達にとっては問題らしい。

 マリーさん以外にも、もう一人王宮から侍女さんが付いてきてくれている。


 もう一人の侍女さんが王宮から持って来た荷物を片付けている間に、マリーさんが荷物の中からいつも着ている服を取り出してくれた。

 ソファーから立ち上がり、着ていたローブを脱ぐ。

 ローブは以前、国王陛下に謁見した際に着ていた豪華な物だ。

 道中はいつも着ている服に、宮廷魔道師団のローブを羽織っていたのだけど、今日は領主様と会うからということで、この豪華な衣装を着ていたのよ。

 ドレスではないから窮屈ではないのだけど、普段着に比べれば肩が凝る。

 ん?



「領主様にお会いするときは、このローブを着ないんですか?」

「別のローブを用意しておりますので、そちらに着替えていただこうかと思いますが、ドレスにいたしますか?」

「いえ! 是非ローブでお願いいたします!」

「かしこまりました」



 クラウスナー様との面会前に着替えると聞いていたので、一瞬ドレスに着替えるのかと思って確認したけど、ちゃんとローブが用意されていたらしい。

 危うく藪蛇になりかけて、ちょっと焦った。

 丁重に断ると、マリーさんと侍女さんがクスクスと笑う。

 私が窮屈なドレスを苦手としているのを知っているからだ。

 仕方ないじゃない、着慣れていないんだもの。

 いや、普段から着ようとも思わないけど。


 普段着に着替えていると、もう一枚のローブを侍女さんが見せてくれた。

 こちらも豪華だ。

 水色の生地に、様々な色糸で細かな刺繍が施されている。

 マリーさんの話では、この他にも、いくつかドレスを持ってきているらしい。

 こんなに豪華な衣装ばかり用意してもらって良かったんだろうか……。

 私の微妙な表情から考えていることを推測したのか、「【聖女】様が身に付ける物であれば、これくらいは問題ありません」と教えてくれた。

 愛良ちゃんも同じようなドレスを何枚も持っているらしい。

 第一王子がプレゼントしたものだそうだ。

 こっそりと侍女さんが教えてくれたのだけど、マリーさんに見つかって注意を受けていた。


 着替え終わり、荷物を片付けている二人と話していると、部屋のドアがノックされた。

 マリーさんが応対すると、先程の侍女長さんだった。

 どうやら休憩用にお茶を届けてくれたらしい。



「ありがとうございます」

「とんでもございません。ごゆっくり、お寛ぎください」



 ソファーの前のテーブルにお茶のセットを並べてくれる侍女長さんにお礼を言えば、朗らかな笑顔を返してくれた。

 後の給仕はマリーさんが引き継いでくれ、侍女長さんは再び部屋から退出していった。

 ティーカップに注がれたお茶の色は薄い。

 用意されたのは香り高いハーブティーのようだ。

 流石、薬草の一大産地。


 日本にいたころに飲んだことがあるような気がするけど、何のハーブを使ってるんだろう?

 考えながら、お茶に添えられていた林檎に手を伸ばす。

 口に含めば、しゃくりとした歯ざわりの後、爽やかな酸味と甘味が口の中に広がった。

 甘いものは疲れを取るのにいいよね。


 そうして、マリーさん達と話しながら、のんびり過ごしていると、あっという間に時間が過ぎて、段々と外も暗くなってきた。

 あれ? クラウスナー様との面会は?



「面会って、まだでしょうか?」

「詳しい時間は伺っておりません。確認してまいりましょうか?」

「お願いしてもいいですか?」



 そう、マリーさんと話していると、再び部屋のドアがノックされた。


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