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34 黒い沼

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 暫く歩いていると、徐々に魔物に遭遇する間隔が短くなってきた。

 周りを見回せば、先程までとは皆の表情が異なり、緊張感が高まっているのが分かる。

 向かっているのは西の森の最深部だ。

 他の班も経路が異なるだけで、目的地は同じらしい。

 そして最深部に近付けば近付くほど魔物は強くなる。

 事前の打ち合わせでは、そう聞いていた。

 それは正しい。

 でも、それだけではなかった。


 進むにつれて、これまでは短い時間で終わっていた戦闘が徐々に長引くようになった。

 一匹ずつ遭遇していたのが群れと遭遇するようになり、更に、一つの群れを倒している間に新たな魔物が寄ってきたりするからだ。

 怪我をする人も増えてきて、手持ち無沙汰だった私も『ヒール』を唱え、支援することが増えた。

 初めての討伐でそれなりに動けているのは、師団長様の特訓の賜物かもしれない。

 騎士さん達や団長さんが守ってくれていて、被害が届かない後方からの支援だけで済んでいるから、慌てずに落ち着いていられるのだとも思う。

 怖いといえば、少し怖いけど。



「急に増えましたね。前の討伐の時もこんな感じだったのですか?」



 戦闘の合間に、まるで興味のあることを見つけたときのような目付きで、師団長様が口を開いた。

 その質問に、次の戦闘に備えていた団長さんが答える。



「そうだ。奥に行けば行くほど酷くなる」

「へぇ」



 師団長様は目を細め、唇を舐めながら面白そうに笑う。

 なんだか入れてはいけないスイッチが入ってしまったような気がする。

 そう思った途端、連続して魔法が発動し、こちらに向かってきていた魔物が一気に片付いた。

 犯人は師団長様だ。

 今までこんな速さで、連続で発動させたところは見たことがない。

 これが魔力操作を極めた速さなのか。

 ちょっと驚いた。



「奥で何か起こっているみたいですね」

「あぁ。騎士団でもそう判断して、今回は最深部まで行くことになったんだ」

「そうですか。何が起こっているのでしょうね?」



 楽しそうな師団長様を見て、魔道師さん達の表情はどこか諦めモードだ。

 あぁ、入っちゃいけないスイッチが入っちゃったのね。

 あれは私の魔力について話しているときと同じ表情だもの。

 魔道師さん達の話では、こうなった師団長様は止められないらしい。

 私もそれは理解しているので、粛々と騎士さん達の後に続いて歩いた。



「『リフレクション』」



 魔物を倒しながら先に進む。

 何度目かの戦闘で、騎士さんに迫った魔物の攻撃を防ぐため、反射効果のあるバリアを張ってくれる『リフレクション』を唱えた。

 魔物の攻撃はバリアに阻まれ、そのダメージが反射する。

 そして魔物が怯んだところに騎士さんの攻撃が決まった。

 中々いいタイミングで発動できた。

 一人満足していると、師団長様から声が掛かった。



「今のは良いタイミングでしたね」

「ありがとうございます」



 褒められて、ちょっと嬉しい。

 ただ喜んでいられるのは一瞬だけで、すぐに移動となる。

 同じ場所に留まっていると魔物が寄ってくるからだ。

 既に最深部の近くまで来ているためか、戦闘終了から次の戦闘の開始までの間隔はかなり短くなっている。

 心なしか周りの空気もどんどん淀んできていて、背中にじっとりと嫌な汗をかき、服が張り付いて不快だ。

 団長さん曰く、この嫌な感じの空気は瘴気が濃くなっているからだとのことだった。

 これが瘴気なんだ。

 森の奥に行けば行くほど瘴気は濃くなるらしい。


 そして、最深部に到達したところで、先頭を歩いていた騎士さんが「何だ?」と呟いたのが聞こえた。

 声は私以外の人にも聞こえたらしく、団長さんと師団長様が先頭に向かっていった。

 私も一歩遅れて、その後に続く。


 最深部と呼ばれる場所は窪地になっていて、私達は窪地の上に立ち、最深部を見下ろした。

 最深部には黒い沼のようなものがあった。

 問題は、その沼の中から次々と魔物が湧き出していることだろうか。



「何だ、あれは」

「さて。何でしょうね?」



 険しい顔をして団長さんと師団長様が沼を見る。

 沼からは距離があるため、湧いて出てくる魔物はまだこちらには気付いていない。

 しかし、大きな声を上げれば気付かれてしまうことから、二人とも声を落として話していた。

 私も息を潜め、二人の後ろからそっと沼の周囲を見やる。

 湧き出た魔物はすぐに移動を始めるわけではないらしく、暫くは沼の周囲に留まるようだ。

 沼の周りには、沢山の魔物が結構な密度でひしめき合っている。

 一匹に気付かれたら、ここにいる全ての魔物に次々伝播して襲い掛かってくるんじゃなかろうか。

 それはちょっと止めて欲しい。

 いくら団長さんや師団長様が強くても、この量を相手にするのは厳しいだろう。

 その様子を想像して、思わず体が震えた。

 うん、間違いなく死ぬよね。


 しかし、見れば見るほど不気味だ。

 黒く濁った沼を見ていると、何だか胸がもやもやとして不快に感じる。

 色といい、魔物が湧いていることといい、どう見ても普通の沼じゃない。

 団長さんと師団長様も、あの沼を初めて見たらしく、どういったものかは分からないようだ。

 うーん。

 最深部に近付くにつれ瘴気が濃くなっていたみたいだけど、まさか、あの沼が瘴気でできているとか言わないわよね?


 沼について考えていると、前にいる二人が振り返った。

 沼を見ながら何やら話していた団長さんと師団長様だったけど、話が終わったらしい。

 手振りで後ろに下がるよう指示が出される。

 無言で指示を出したのは、沼の周囲にいた魔物の一部がこちらの方に移動してきたからみたい。

 私もなるべく音を立てないように、そっと後ろに下がった。


 進行方向から悲鳴が上がったのは、それからすぐのことだった。

 前方に目を凝らすと、仄かにオレンジ色の光が見える。

 一体何だろう?

 そう思った瞬間に、ぶわっと炎が上がり、前にいた騎士さんを呑み込むのが見えた。

 ちょっと、それやばくない!?



「来るぞ!!!」



 どうしたらいいか分からず、オロオロしていると、今度は後ろから団長さんの叫び声が聞こえた。

 振り返ると、沼の周辺にいた魔物が数体、こちらに移動してくるのが見える。

 もしかして、前方の騒ぎで気付かれた?

 ぞくりと背筋が凍る。



「あっちはサラマンダーのようですね」

「え?」



 いつの間にか隣に来ていた師団長様が呟く。

 どうやら前方にはサラマンダーが現れたらしい。

 先程の炎は、そのサラマンダーが吐いたもののようだ。


 前方で白い光が輝き、魔道師さんが回復魔法を唱えたのが見えた。

 隣では師団長様も後方から来る魔物に魔法で攻撃をしている。

 そうだ、私もぼんやりしている場合じゃない。


 前方を見ると、先程炎に巻かれた人の側に魔道師さんが寄って回復魔法を掛けていた。

 騎士さんは咄嗟に何かしらのバリアを張ったようで、怪我はしたものの生きているみたいだ。

 私も部位欠損を治したときのように魔力をこめて『ヒール』を発動する。

 歓声が上がったことから、ちゃんと治ったみたいだと分かった。

 続けざまに他の騎士さん達にも『ヒール』を掛けていく。


 後方への支援も忘れない。

 最深部に向かって歩いて、反転したところでサラマンダーに遭遇したため、前方に魔道師さんが集中していた。

 そのせいで後方は魔道師さんが少ないため、前方より回復の手数が少ない。

 師団長様も攻撃魔法の合間に回復魔法を掛けているみたいだけど、効率を考えると私が回復魔法を受け持った方がいいだろう。


 そうして暫く膠着状態が続いた。

 前方のサラマンダーにはまだ梃子摺っているみたいだ。

 後方は団長さんや師団長様など、高火力の人達がいるため魔物は次々と倒されていく。

 けれども、沼から無尽蔵に湧き出ているみたいで次々と後続がやって来る。

 手持ちのポーションがある間はMPの枯渇を心配しなくてもいいけど、このままではジリ貧になるのは確実。

 それは私だけではなく、周りも感じていることだった。

 いつも丁寧な言葉遣いの師団長様から時折「クソッ」とか聞こえてくるのも、彼が焦っている証拠だろう。

 キリキリと胃の辺りが痛くなってくる。


 そのとき、背後から「危ない!」という声が聞こえた。

 振り返ると目の前にサラマンダーから放たれた火球が迫ってきていた。

 ちょっと待って!

 魔法を唱える暇もなく、隣の師団長様も後方の対応をしていて、こちらの対応が間に合わない。

 遠くから「セイっ!」と団長さんが叫んだのも聞こえた。


 一瞬、全てがスローモーションで見えて、走馬灯が見えたような気がした。

 次の瞬間、ふわりと冷気が漂い、目の前に私の背より高い氷の壁が聳え立った。

 咄嗟に腕を上げて顔を庇ったけど、火球は氷の壁によって阻まれたみたいだった。

 辺りに水蒸気が漂う。

 気が抜けて、その場にへたり込みそうなった私の腕を師団長様が掴んだ。



「まだだよ。しっかり立って」

「は、はい」

「どうやら髪飾りの魔法が発動したみたいだね」

「髪飾り?」

「今着けてる髪飾り、魔法付与された物でしょ?」



 言われて思い出す。

 今着けている髪飾りは団長さんから貰った物だ。

 言われたとおり、魔法付与された。

 こんな効果があったんだ……。

 団長さんのお陰で助かったのね。

 胸がじわりと温かくなり、そっと手を胸元で握り締めた。


 どうにか自分の足で立ち、姿勢を正すと、師団長様は私の腕から手を離した。

 もう支えなくても大丈夫だと判断されたらしい。

 師団長様はすぐに再び戦闘に戻った。

 周りの状況はまだ予断を許さないからだろう。


 それにしてもキリがない。

 後方の魔物は依然途切れることなく湧き出ている。

 沼をどうにかしないと、この状況は変わらない。

 それどころか、いつか誰かが命を落としそうだ。

 今の火球だって、最初の頃であれば騎士さんの誰かが防いでくれて、私のところまで届くようなことはなかった。

 体力を魔法で回復しても、精神的な疲労までは回復されない。

 皆の集中力が徐々に落ちているのもあり、傷を作る頻度も高くなっている。


 どうすればいい?

 私にできることは回復魔法を唱えるだけなの?

 支援しながらそんなことが頭を過る。

 あの沼をどうにかしたい。

 そうしなければ……。



「団長!」



 騎士さんの声にはっとする。

 声のした方に視線をやると、黒い狼のような魔物の攻撃を受け団長さんの体勢がぐらりと揺れるのが見えた。

 団長さんはすぐに踏み止まったけど、そこに別の黒い狼が攻撃を仕掛ける。

 嫌、止めて!

 次の瞬間、私から何かが溢れた。


 溢れたのは、研究所で見た金色の魔力。

 その魔力はあっという間に離れた団長さんの下まで到達する。

 団長さんに飛び掛かった黒い狼は、私の魔力に触れた所から黒い煙となり、金色の奔流に呑み込まれて掻き消えた。


 呆気に取られた表情の団長さんがこちらを振り返る。

 団長さんだけではなく他の人達も。

 私ももちろん驚いている。

 何これ?

 いくらなんでも凄過ぎない?


 呆然としている間にも、私から溢れる魔力は止まらない。

 金色の魔力はその勢いを落とさずに、更に周囲に広がった。

 相変わらず唐突に発生したけど、この状態ならもしかしたら……。

 私は研究所で発動させたときのように、胸の前で両手を組み、祈った。

 どうか魔物も沼も消えて欲しいと思いながら。

 そこで魔力が広がる速度が更に上がった。

 地面に広がる金色の靄は範囲を広め、サラマンダーや沼の周囲に居た魔物、そして沼までをも呑み込む。

 沼の全てを覆ったところで術が発動し、光が弾けた。

 キラキラした金色の粒子が空から降ってくる頃には、辺りに居た魔物も沼も何もかもが消え、そこにはただ森があるだけとなった。



「終わった……のか?」

「そのようですね」



 団長さんの呟きに、師団長様が答えると、突然のことに立ち尽くしていた騎士さん達も状況を理解したらしい。

 うわーっという歓声が辺り一面に響いた。


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活動報告の方で、キャラクターデザインを公開しております。

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