青絹の女

作者: くらげ

「お前が(ばつ)か?」


 顔を袖で隠した女は小さく頷いた。

 元は森だった枯れ果てた木々の中をさ迷い三日。村を旱魃に追いやった妖怪にやっと追いついた。

 女は鮮やかな青の衣を纏っていたので、一度見つけてからは、見逃すことはなかった。


「俺は(らく) 黒義(こくぎ)。 妖怪退治を生業としているものだ」


 伏せられていた女の顔がぱっと上がる。


「魃は一つ目で恐ろしい獣の顔をしていると聞いたが……」


 青い絹衣を(まと)った女はきれいとは言わないが、かわいらしい顔をしていた。

 

「見逃していただけませんか? 道士やら方士やらに追われて、もう行くところがなくて」


 女が顔を伏せ、うっううと嗚咽が漏れる。隠した手の隙間から流れる涙とともに頬が溶けるのが見えた。


「これ、泣くな。退治しないから」


 厚化粧が崩れたような顔がのぞいているが、楽は気づかないふりをして、女に声をかける。


「追われるのが嫌なら、俺と一緒に旅をしないか? 世の中には旱魃で苦しんでいるところもあれば、洪水に困っているところもある」


 女はおびえた顔で、あとずさった。


「私は雨に当たると溶けてしまいますし、顔も今は普通の人間の顔ですが、雨の気配がするとすぐに本性が出てしまって……その、とても恐ろしい顔をしているそうです」 


 自分の涙でさえ顔が溶けてしまう彼女にとったら、わざわざ自分から雨の降る所へ行くなど正気の沙汰ではないのだろう。


「何、その青い衣とおそろいの傘と雨衣とついでに面紗(ベール)を買ってやろう」



 一年に一度、洪水の被害に遭う村があった。

 ある年、明日・明後日には川が決壊するだろうかという大雨の日に一組の男女が現れた。


 男は普通の旅装だったが、女は貴族が着るような鮮やかな青の絹衣を纏っていた。

 否、女のすべてが青尽くめであった。青の雨衣を目深に被っている上に、顔を青の薄絹で隠し、同色の傘まで差している。


 村人が逃げる中、二人は逃げようとしていた宿屋の主人に一夜の宿を願った。主人はこの村には明らかに不釣合いな女を連れた男に逃げるように忠告した。

 忠告された二人は宿代を主人に握らせ、逃げるよう言うと自分たちは宿に残ってしまった。


 翌朝。三日は降り続くだろうと思われた雨はぴたりと止んだ。

 宿屋の主人が宿に戻ると、男と青絹の女は既にいなかった。


 翌年。滝のような雨が降る中、またあの二人連れが村に現れ、宿を願った。

 宿屋の主人が二人を泊めると翌朝やはり雨は止んでいた。


 宿屋の主人は、『毎年洪水の被害が多くて困っていた。二年続けて洪水の被害がないのはきっとあなた達のおかげだ。ぜひ、村に住んで欲しい』と願ったが、二人は首を縦には振らず、やはり去っていってしまった。


 それ以来、二人は大雨が降ると必ず村を訪れたが、噂を聞いた村人達がどんなに乞うても、一晩より長くは留まらなかった。

 村人達は当初二人を女主人と下男だと推測したが、宿屋の主人が尋ねれば、男は笑って否定し「自分は『楽』と言い、妻と共に旅をしている」と答えた。

 男の妻は少々風変わりで、宿に入れば傘はさすがに閉じるが、宿の中であっても人前では決して雨衣を脱がなかった。

 人々はきっと男が妻の美しい顔を見られたくないから隠しているのだろうと噂した。


 ある年、青絹の女に興味を持った若者が、連れの男が離れている隙に、女の雨衣と面紗ベールをはがすと、そこには乾ききってひび割れた大地のような肌と、大きな一つ目があった。


 驚いた若者は『化け物だ』と叫び、雨の降りしきる外に女を引きずり出し、村人を呼んだ。

 女は悲鳴を上げ、集まった村人達の前で、泥のように溶けて消えてしまった。

 その間、村人達は誰も女を助け起こそうとしなかった。

 

 泥まみれになった青絹の衣と村人達のこわばった表情と『化け物』と言うささやき声で、女の死を知った男は、青絹の衣を拾い上げ、静かに泣いた。

 村の男達が鍬や鋤を持って取り囲むと、男は青絹の衣だけを持って逃げ去った。


 その翌日から村には一滴の雨も降らなくなり、作物や木々が次々と枯れていった。

 翌年、青絹の女が死んだ日に、村人が待ち望んだ雨が降ったが、洪水で苦しんでいた数年前よりさらに倍も多い大量の水が人も村もすべて押し流してしまった。


 その後、男がどうなったか誰も知らない。


参考文献・資料等


武田武彦著『怪異ラブ・ロマン集 中国のコワーイ・ショートショート』(集英社文庫)1983年出版


清松みゆき・友野詳/グループSNE著『央華封神ルールブック2 ゲームマスターブック』(電撃ゲーム文庫)1994年出版