可愛い妹に婚約者の味見を頼まれまして【コミカライズ企画進行中※】
セリーヌは言った。
「この手紙を御覧ください、クロード姉さま。バーゼル大公が婚約の申し入れをしてきたのは『リーヴェル伯爵家のご息女』です。私の名前はどこにも書かれておりません。つまり、もし私と姉さまの入れ違いに気づいた先方から『目的の相手ではない』と訴えられても、『当家には娘が二人おりまして、年齢的な釣り合いを考えたら姉の方だと考えました』と言ってしまえば良いのです……!」
* * *
リーヴェル伯爵家の長女クロードは、幼少の頃から騎士を目指して体を鍛え、剣技を磨き続けてきた。身長は女性の中にあってはすらりと高く、均整の取れた体つきをしており、騎士の正装に身を包めばやや細身ながら男性の間でも決して見劣りがしない。
さらに言えば見事な銀髪に、冷ややかに整った美貌と相まって、公の場において「国一番の美形騎士」の名をほしいままにしている。
クロードは騎士団入団の際、縁故を一切頼みとせず平民向けの一般登用試験を経て採用された。それをたてに、当初より団内において家名や出自を伏せてきた。上層部はもちろんリーヴェル家の令嬢であることを把握しているが、世間一般では何かと謎が多いとされている。性別すら曖昧、団内や宮中ではもっぱら「凄い美青年」、つまり男性と認識されているのだ。
なお、本人はそれを問題と思っておらず、正すつもりもない。
生家である伯爵家には、二十歳頃までぽつぽつと縁談が来ていたものの、それから数年「社交界にまったく顔を出さない長女」は、いまや完全に忘れ去られた存在となった。
一方で、十歳年下の母親違いの妹・セリーヌは十六歳になった今シーズン、社交界デビューを果たした。その可憐さで話題が持ちきりになり、熱い視線を集めるに至ったという。
屋敷には連日各種催しの招待状が届き、婚約の打診が引きも切らず。
選べる立場であればこそ、これぞという相手を見極めるのが結婚の極意。
しかしここに来て、選ぶどころか、格下の伯爵家からは断りにくい相手として降って湧いたのが、恐れ多くも王弟バーゼル大公からの求婚。
久しぶりに生家に顔を出したクロードに対し、セリーヌはここぞとばかりに詰め寄っていた。
「私も貴族の生まれとして、なるべく好条件のお相手に嫁ぐのが使命と心得ていましたけれど……。私、あんなに恐ろしい噂のある方なんて絶対に無理です~!! だいたい、どこで見初められてしまったのかも心当たりがないんですよ……!?」
切々と訴え続けているセリーヌは、豊かな黒髪の、花も恥じらう美少女。ひきかえ、バーゼル公といえば一回りも年齢が上のはず。
さらにいえば、領地は王都からも遠い。クロードの実母が夭折してから嫁いできた義母ともども、家族仲は良かっただけに、滅多に会えなくなるのは寂しい。
一面識もないまま話を進めることに躊躇があるのは、当然のこと。
「噂といえば、大公閣下の『竜殺し』の異名は私も耳にしている。額に第三の眼があるとか、その腕には血を求めて殺戮を止められない呪いがかかっているとか……。しかし実際のところ、王城勤務の私ですらご尊顔を拝したことはない。てっきり領地から出てこられない方だと思い込んでいたのだが、デビューしたばかりのセリーヌに目をつけるとは、なかなかに情報通だな」
答えつつ、クロードは背にしていたアーチ型の大窓を振り返り、日差しを浴びて「ふむ」と考え込む。
(セリーヌは格式ある家の女主人としては、いささか若すぎる。本人と話して伸びしろがあると判断したならまだしも、面識もないまま容姿の噂だけを当てに申し込んできたのだとすれば、それこそ大公らしからぬ浅慮。何か裏があるのだろうか?)
裏などなく、ただの美少女好きという線もある。セリーヌが嫌がるのも仕方ない、とクロードが苦い思いで目を細めたそのとき、セリーヌが「そこで姉さまに折り入ってお願いがあるのです」と呼びかけてきた。
「どうか、私に代わって大公にお会いして頂けないでしょうか。私など世間知らずの小娘に過ぎません。閣下にお目にかかっても、どのようなお人柄であるか掴むのは難しいと思います。その点、姉さまであれば人を見る目もおありかと思いますので」
「それはそうだな。無駄に年齢を重ねてきたわけではない。世間慣れしていないセリーヌよりも経験があるのは確かだ。よし、わかった。私が直接お会いして来よう」
休暇を申請して閣下の領地まで赴いて……、とクロードが言いかけると、セリーヌが慌てた仕草で遮る。
「それには及びません。近々王城で開かれる夜会の席に、閣下がお見えになるという情報があります。姉さまはそこに出席して、閣下に接触して頂きたいのです。女性のお姿で」
セリーヌは、指を組み合わせ潤んだ翠眼でクロードを見上げる。クロードは薄い色合いの玻璃のような瞳でセリーヌを見下ろし、確認のため問いかけた。
「私に女装しろと?」
「普段ドレスを身に着けない姉さまが、ですよ。女性の姿で夜会の場に現れたら、その美しさには誰もがひれ伏しますッ!!」
「ひれ伏さなくて良い。だいたい、私のような戦闘職が、ご令嬢方より目立つわけには……」
異様に熱のこもった口調に怯みつつクロードはそう言ったが、セリーヌはさらににじり寄って高らかに言い放った。
「大公閣下がただの女好きであれば、ご自分が求婚中であることも忘れて姉さまに近づくでしょう。そのときこそ姉さまは言って差し上げればよろしいのです。『あなたには心に決めた方がいたのでは?』と!!」
白皙の美貌にうっすら汗を浮かべつつ、クロードは「な、なるほど……?」と答えた。
「つまりはハニートラップだな? 任務として受けたことはないし、受けても私の場合落とす相手は女性になるだろうが……」
「そうですよ、姉さま! これは任務のようなもの。可愛い妹のため、ここは一肌脱いでハニトラしてくださいませ!!」
クロードの呟きを遮り、セリーヌが声を張り上げる。
内心、(いまさら私が女性の真似事をしても……)と首を傾げたくなるクロードであったが、相手がただの女好きの場合、護身術もおぼつかないセリーヌを差し向けるのは不安しか無い。やはりここは自分が、と腹をくくる。
言いたいことを言いたいだけ言ったセリーヌは、にっこりと花がほころぶかのような笑みを浮かべた。
「では、早速姉さまのドレスを用意いたしましょう!! 忙しくなりそうですね!!」
* * *
翌日、休暇の申請のためにクロードは王城に出仕した。
これまでほとんど休みらしい休みをとっていなかったクロードの申し出は、「おう、休め休め!」と上司をはじめ全会一致の勢いで受理された。
クロードは、その場では顔色こそ変えなかったが、騎士団の詰め所を出た後にほんのりと落ち込んで肩を落とした。
(あんなに笑顔で送り出さなくても……。理由すら聞かれなかった。実は私は、彼らに必要とされていなかったのか……? それどころか邪険にされていて、休みの間に誰かが私のポジションを狙……)
仲間を疑う愚に、眉を寄せて吐息。庭園に沿う回廊をとぼとぼと歩き出す。
その背後から、のんびりとした声がかけられた。
「クロード~、ちょうどよかった。一緒に食事しよう。話がある」
聞き覚えのある間延びした男の声に、クロードは肩を落としたまま振り返る。
そこにいたのは、顔の前面まで波打つ黒髪に覆われた、人相の判然としない長身の男。暗い色合いのローブを身に着けており、宮廷魔術師のひとりと知れるが、いかにも胡散臭い見た目をしている。
クロードは胸を張って姿勢を正すこともしなければ、落ち込んだ顔を隠すこともなく、重い溜息とともに相手の名を呼んだ。
「リュカ。その不審者ぶり、相変わらずだな。前髪くらい切れば良いのに」
「やだよぅ、俺はこう、常に視界が薄暗い今の髪型が気に入ってるんだ」
「今の……? 知り合ったときから君はずっとそうだっただろ。これほど長い付き合いなのに、私はいまだに君の素顔を見たことがないぞ」
「そうは言っても、前髪がなくなったらクロードはきっと、俺に会っても俺だってわからないよ。どうするの、意外に明るい好青年だったりしたら」
「好青年? 想像もつかないな」
「ひでぇな。俺は俺だってのに」
軽口を叩きながら、肩を並べて廊下を歩く。
先程までの重苦しい気持ちがすっと軽くなっており、クロードはいつの間にか背を伸ばして口元には笑みを浮かべていた。
リュカは、クロードが肩肘張らずに付き合える数少ない友人のひとり。気さくな人柄に加えて、独特の存在感のあるトボけた容姿のせいもあり、一緒にいても緊張することがない。
姿が見えると、なんとなく安心する。話しているうちに、傾いていた気分も持ち直す。他のひとに言えないことでさえ、リュカには打ち明けてしまったりもする。
このときも、二人で歩きながら「どうしたの。珍しく落ち込んで見えたけど」と水を向けられ、つい口をすべらせてしまった。
「本当はね、リュカに頼みたいことがあったんだ。ほら、リュカって転移魔法が使えるよね? 遠くに領地があって必要なときだけ帰ってるって前に言ってた。その魔法で、私をとある方の領地まで連れていってもらいたかったんだ。会いたいひとがいて」
魔術師としての腕はたしかなリュカであるが、素顔同様、出自は判然としない。それでも王宮勤務である以上、素性は確かなはずで、クロードは詮索しないようにしている。ただ、以前話の流れで領地について言及したことがあったのだ。「一緒に行く?」と誘われ、クロードは「休みがない」とそのときは断ったが、ひそかに「なにかの機会には頼らせてもらおう」と記憶に留めていた。
それだけのことであったが、なぜかリュカは固い声で聞き返してきた。
「クロードの会いたいひとって? 誰だよ」
そこには鋭くうかがう気配があったものの、クロードは気づかぬまま「あはは」と自嘲めいた笑いをもらす。
「それが、私も面識はないんだ。ハニートラップの相手で」
「ハニトラ……!? クロードが!? 相手はどこのご令嬢か姫君か?」
リュカがそう考えるのも無理はない。美青年として通っているクロードは、今このときでさえすれ違う侍女たちの注目を浴びている。なお、リュカは「なんでお美しいクロード様の横に、あんな男……」と嫉妬混じりの陰口を叩かれていた。
端的に、クロードは女性にひどくモテている。
「そう思うだろう? 違うんだ、男性だよ。私の妹に懸想している方がいて、断れないのを承知で婚約を申し込んできたんだ。それで妹が参ってしまっていて……。相手がどんな方か確かめてきて欲しいと言われている。踏み込んで言えば、色仕掛けもして欲しいようだ。ただの好色野郎と動かぬ証拠をおさえてしまえば、それをちらつかせて申し込みを撤回させるつもりで。私も異存はない、そのつもりでいる」
「それってつまり……、クロードが女装して好色な男に近づくってことか? 場合によっては、証拠を得るために、自分の身を危険にさらす覚悟で」
「笑えるだろ。休暇はそのために申請したんだ。なんでも標的は十日後の夜会に現れるらしい。首尾よく任務をこなすために、これから十日間、私は女装の準備をする。ドレスを仕立てたり化粧を試したり……。ダンスはどうかな、女性パート踊れるだろうか」
そもそも色仕掛けと言ってもなぁ、私だぞ? とクロードはリュカへ横目を流す。相変わらず顔全体前髪のカーテンに隠されたままのリュカであったが、ちらりと見える唇は固く引き結ばれていた。
「……リュカ?」
ふと、空気が張り詰めているのを感じて、クロードは訝しげにその名を呼ぶ。
ほんの少し間を置いてから、リュカは低い声で囁いた。
「クロード、腕に覚えがあるからといって、油断は禁物だよ」
「わかっている。相手もずいぶん腕の立つ男らしいが、負けるつもりはない」
「腕の立つ……? 本当に心配だよ、クロード。君は自分の魅力をわかっていなさすぎる」
歯切れの悪いリュカの物言いに、クロードは首を傾げた。
「そうは言っても、相手はご令嬢ではなく男性だぞ? 私は普段の男装ではなく女装だし」
「それのどこに俺は安心すれば良いのか、さっぱりわからない」
その後も、話せば話すほどにリュカの態度は深刻さを増していった。茶化すこともできぬまま、クロードは(何か悪いものでも食べたのか?)と危ぶみつつ、その日は解散となった。
リュカの話を聞きそびれたことには、後から気づいた。
* * *
朝もやのような色合いの、薄青い空色のドレスは、クロードの細身の体によく似合った。
仕立て屋による採寸からほんの数日、「腕が鳴りすぎます」とお針子総動員で仕上げてしまったという。手袋や靴といった小物も揃えて誂えており、血の繋がらない母である伯爵夫人が最後の仕上げのアクセサリーをクロードの肌にあて、ああでもない、こうでもない、と考え込んでいた。
一方で、セリーヌは貧血でも起こしたかのように額に手の甲をあて、足元をふらつかせながら呟く。
「素敵です、姉さま……。銀の髪は暁に名残の光を投げかける月のよう。どなたかに名を尋ねられたら『夜明けの姫』と答えてお相手を煙に巻いてしまえば良いと思います……。ああ、美しすぎて、拝むだけで寿命が伸びそう。お姉さまの妹で良かった」
着付けを終えたばかりのクロードは、今にも倒れてしまいそうなセリーヌに手を差し伸べて「私に捕まって」と軽く抱き寄せた。
途端、その場に集まっていた屋敷中のメイドたちの間から、声無き悲鳴が上がる。
クロードとしては常日頃から慣れた反応ではあったが、男装ではなく女装をしているのに? と不思議でならない。しまいに(女装した男性に見えているのかも!)との結論に至った。
(美少女好きの好色男が、こんな男性にしか見えない年嵩の女の色仕掛けに引っかかるものだろうか。胸を触らせれば女だとわかるかもしれないが、さほど無いわけで……。いっそ濡れ場にでもなだれこみ)
さすがに際どいかな……と逡巡しつつも、そこは現役戦闘職。いざとなればどうにでもできるはず、と握りしめた己の拳に目を落とす。
そのクロードに、女性陣は熱っぽい視線を注ぎながら手に手を取り合って頷いていた。
* * *
十日の準備期間はまたたく間に過ぎて、夜会の当日。
エスコートは必要ない、と言い張るクロードをなだめたのは、なんと計画に一枚噛んでいたらしい第三王子のマルセル。
王侯貴族の通う学び舎でセリーヌと懇意にしているとのことで、話はすべて筒抜けだったらしい。
「せっかく、正体不明の美女として夜会会場に現れるのに、馬車や従者で正体がバレてしまうのは面白くありません。そこで、不肖私めがすべて手配しました!!」
「面白いかどうかはともかく、警備上の理由で素性を明かす必要はあると考えておりますが」
「ございません!!」
力強く断言され、クロードは鼻白んだ。そこに、マルセルが間髪おかずたたみかける。
「夜会など、一人や二人身元の知れぬ者が紛れ込むなどよくあることです」
「あってはいけません」
「お義姉様は『ガラスの靴』の童話をご存知ないのですか!? あれはヒロインが身元不明だからこそ成立するストーリーなのですよ!?」
「殿下、お義姉様とはなんですか。私は殿下の姉ではございません」
「はい、そんなわけで馬車にご乗車ください!! 警備には私がすでに話を通しております、お義姉様はただ会場に向かうだけで良いのです!! 本名を名乗る必要もありません、ただ『夜明けの姫』と告げていただければ」
「私は姫ではありません」
だいたい、お義姉様とは……、殿下、話はまだ終わってませんよ? と喋り続けているクロードを、セリーヌがぐいぐいと引っ張って馬車へと押し込む。
マルセルと肩を並べて「それでは姉さま、いってらっしゃいませ」と盛大に手を振っていた。
その二人の様子を見て、何かと鈍いクロードもうっすらと事情を察する。
(よもやセリーヌと殿下が思い合っているとは……。ならば大公閣下からの申し入れなど、迷惑千万でしかないのも頷ける。これは姉として、なんとしても閣下に婚約を諦めさせねば)
屋敷で確認したところ、たしかにバーゼル公からの書簡には「リーヴェル伯爵家のご息女」とあり、セリーヌ指名ではなかった。
もし大公が首尾よくクロードのハニトラに引っかかったとして、土壇場で「騙されただけ」と言い逃れしようものなら、クロードはクロードで「私は婚約が決まっていたので身を任せたというのに。まさか姉の方ではないと言われてしまうだなんて」と泣いて相手の非道を訴えれば良い。
「騎士団の聴取があった場合、私が男に手折られて泣かされたというのはいかにも説得力が無いだろうから、言い訳が難しい。いや、大公閣下、噂通りなら歴戦の勇者だから強い………? もとから興味はあったんだ。もっと別の形で会ってみたかったな」
王家専用の贅を凝らした馬車に揺られながら、クロードは声に出して呟く。
そのとき、なぜかリュカの不吉な前髪が脳裏を過ったが、気のせいだと思おうとした。
もし万が一クロードが大公から手を出されてしまったとしても、ただの友人であるリュカにはなんの関係もない。そう自分に言い聞かせるものの、妙に胸が疼く。
しまいに、(ハニトラなんて柄にもないことをしていないで、リュカとのんびりお茶でも飲んでいたいな)と考えていた。
これまでクロードは夜会と言えば警備での参加が常であったが、世捨て人風のリュカが参加しているのは見たことがない。
であれば、今日も王城のどこかでダラダラしているはず。
会える可能性がまったくないわけでもないが、いまは女装だ。気づかれないかもしれない。顔を合わせても無視されてしまったら、それなりに堪える。
そう思って別のことを考えようとしても、気づけば(リュカに会いたいな、元気かな。あの日話しそびれた件はなんだったんだろう)とリュカのことばかり考えている。そんな自分に困惑し、クロードはそっと息を吐き出した。
* * *
馬車が会場についた。
扉が開かれ、クロードが軽やかに降りようとすると、待ち構えていたのは第二王子のクレマン。
「お待ちしておりました『夜明けの姫君』……。ああ、なんてお美しい。ダンスを申し込みたい」
「殿下、殿下。仲間であれば承知の上でしょうが、私ですよ私」
手を取られて馬車を降りながら、クロードは小声で注意をひく。クレマンは王族ながら騎士団所属で、まさにこの休暇を二つ返事で了承してくれた上司でもある。女装しているとはいえ、クロードは見慣れた部下。あとから「あのときの賛辞を返してくれ」とふっかけられてはかなわない。
しかしクレマンは、余裕のある表情で「知っているとも」と答えた。
「君が会場に顔を見せたら、大騒ぎになるぞ。その美しい装いが叔父上のためというのは、まったく妬けてしまうね」
「妹のためですよ。閣下がどんな方か見定め、できれば婚約の申し入れを撤回させる。諦めが悪いようだったら弱みを握ってあらためて説得をする。それだけです」
「はっはっは。いつもと変わらぬ物騒なことを言っていても、心が蕩けてしまいそうだよ。んん~、ちょっと私と休憩の小部屋に行こうか」
「標的は殿下ではありません」
「残念。だが場所はわかるだろう? 閣下を連れ込むならあそこだよ」
クロードは冷ややかな無言を返答とし、厚い絨毯の敷かれた長い廊下を進んで、会場へと足を踏み入れる。
途端、ざわっと空気が揺れて、話し声が絶えた。遠くで楽団の奏でる楽の音だけが、流れ続ける。
やがて、「なんてうつくしい」「どこのご令嬢?」「今までお見かけしたことがない」「殿下と一緒ということは身分のある方に違いない」と囁き声がそこかしこから聞こえだす。
(殿下が横にいるおかげでずいぶん注目を浴びてしまったようだが……、バーゼル大公はどちらに? 見慣れぬ要人は……)
クロードは素早く周囲をうかがう。会場中の視線が向けられているが、中でもひときわ強い視線がチリリと神経を撫でた。
ぱっと振り返ると、濃い藍色で上下を揃えた盛装の、見覚えのない男がひとり。
濡れたような艶やかな黒髪に、澄んだ空色の瞳。
視線がぶつかったところで、男がジャケットの裾をなびかせて颯爽と歩いてきた。
「まるでビュシェルベルジェール山の山頂から見たあの日の朝焼けのような姫君……」
「……!?」
(この男、なんて中途半端なたとえを……! 素直に『夜明けの姫君』で呼んでくれればこちら側なのだとわかりやすいが、なぜよりにもよってビュシェルベルジェール山の朝焼けなどと……! これでは敵か味方かわからないではないか!)
真面目くさった顔をしており、ふざけた様子もないのが始末に負えない。彼なりの渾身の口説き文句であったのかもしれないが、クロードとしては符牒か否かの吟味に忙しく、それどころではなくなってしまった。
男は無言になったクロードを切なげに見つめ、手を差し伸べてくる。
「私と踊って頂けますか?」
「踊りに来たわけではない」
思わず、素で答えてしまった。隣に立っていたクレマン王子がぶふっと噴き出した。
失敗を悟ったクロードは、すばやく挽回を試みる。
「私は今夜、ある男性に会いに来た。あなたではない。時間は限られている。目的の相手以外と踊っている暇はないのだ」
ぐふうっ、とクレマンが先程よりさらに派手に噴き出した。笑いを堪えすぎて息遣いが怪しくなっている。その呼吸音をいまいましく思いながら、クロードは目の前の男を見た。
(それにしても、身なりはどれも一級品で素晴らしく整っている。名のある貴族のようだが、まったくわからない。何者なんだ、この男)
男は、不意に「は~」とやる気のないため息を吐き出した。そのやる気のなさには覚えがあり、クロードは軽く目を瞠った。よく知っている、という気がしてならない。
そのクロードの反応を見ながら、男はぼそりと言った。
「君の目的は知っているけど、阻止したいんだよね、俺は。ただでさえ、普段君の周りにいる男に嫉妬しているっていうのに。君が他の男に色仕掛けするって聞いたらさすがに黙っていられなくて、来てしまったよ」
「リュカ!?」
長台詞を聞けば、その声はよく知った男のもの。クロードは大きく目を見開き、「前髪切っちゃったの……」とかすれ声で尋ねた。
素顔をあらわにしたリュカは苦笑いを浮かべて頷いた。
「この顔で会うのは初めてだね。公的にはバーゼルの名で呼ばれている。宮廷魔術師の仕事をする上では必要ないから伏せてるけど」
「まさか……」
息を呑んだクロードは、早足に距離を詰め、リュカの額に手袋をした手を伸ばした。
「第三の眼はどこだ?」
「それはデマ」
「殺戮を止められない呪われた腕は?」
「呪われたことはあるけど自分で解いた。今はもう普通」
「竜殺しは?」
「領地に暴れ竜が出ると狩ってるから、それは本当」
「ではリュカがバーゼル大公だと?」
「びっくりした?」
はにかむように笑った旧知の友人に対し、クロードは興奮に潤んだ瞳を向けて頷いた。
「標的を確認した。私のハニトラに引っかかってくれるか?」
「喜んで。もう何年も前から絡め取られているけど」
「ひとを毒蜘蛛のように言うな」
差し出されたリュカの手に手を重ね、引き寄せられたところで、クロードは我に返った。
ぱっと離れて、冷ややかな眼差しを向ける。
「待て。なぜ私の妹に求婚した?」
「俺はクロードに求婚したんだ。隠すつもりもなく直接話そうとしていたのに、ハニトラ任務だなんだと聞いて言いそびれた。仕方ないから今日現地で阻止するつもりで待っていたんだけど、だいたい今ので事情は飲み込めた」
言うなり、リュカはクロードの目をまっすぐに見つめて告げた。
「ずっとクロードだけを見ていた。君となら生涯楽しく暮らせると思う。結婚してほしい」
「あの前髪で、本当に見えていたのか?」
照れ隠しに余計な疑問を挟んでから、クロードはリュカの手を取った。
私も、君と一緒なら楽しいと思う。微笑んでそう答えた。
* * *
「あの二人、一生友達で終わる方に賭けていたのに。ここにきて叔父上、やってくれたなぁ」
二人が会場を去るのを見送りつつクレマンがぼやけば、しっかりと後を追ってきて見物していたマルセルとセリーヌが「兄様、残念でしたね」とくすくす笑いながら言う。
軽く睨みつけながら、クレマンは「あっちの二人は朝帰りだろうが、お前らはだめだぞ」と釘を刺した。
セリーヌは「あら」と目を瞬いてから、うっとりとした口調で言った。
「『夜明けの姫君』だからって何も律儀に朝にお帰りになる必要は無いのに。今から楽しみだわ……どんな風にこの夜のことを姉さまから聞き出そうかしら。恥じらう姉さま、きっと素晴らしくお可愛らしいに違いありませんわ……!」
すべては妹の手の中に。
怖い恋人だなぁ、とクレマンは苦笑しながらマルセルを小突き、「そこが良いんですよ」とマルセルがにっこりと笑って答えた。
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