第九話
とにかく疲れました。
人生でこんなにも三十分が長いと感じたことはありませんでした。
延々とよく分からないマルサス様のショーを見せられ、挙げ句の果てにプロポーズされて、断ったら逆ギレされて、頭痛がします……。
あの様子だと、エリナさんにはシェリアが言ったとおり婚約者が居て、振られてしまったみたいですね。
「あー! 面白かったですわー! こんなに面白いことがわたくしの人生でありましたでしょうか!? いいえ、ありません! お姉様がマルサス様と婚約していたという黒歴史に感謝です……!」
「あなた、冗談でなく本気で言っていますね?」
「はい! もちろんですわ!」
清々しい程の良い返事で、シェリアは今日の出来事を本気で楽しんでいたことを肯定しました。
野次馬というか、何というか、まぁ……、呆気にとられていた護衛の二人を動かしたことには感謝していますが……。
思えば、この子のトラブルに対する嗅覚の鋭さは昔からピカイチでした。
そして、それをいつも見物しに行っては楽しむような子だったのです。
「今回もマルサス様がプロポーズすると予想していたのですか?」
「予想というより期待ですね。プロポーズしたら面白いのにとは、思っていましたわ。……フラッシュモブまでされるとは期待をグーンと突き抜けてくださいました」
「はぁ……、お父様にどう報告しましょう」
ニコニコしながらマルサス様に要らぬ期待をしていたと告白するシェリア。
こんなことがあったと話せばお父様は渋い顔をするでしょう。
テスラー家に対して怒り、文句を言いに行かれるかもしれませんね。
「別に良いではないですか。そのまま面白かったと報告すれば。お姉様にはリュオン殿下という婚約者がいるのです。逆恨みされたって怖くありませんわ」
「そのリュオン殿下に要らぬ心配をかけることが嫌なんですよ」
「あら、そうでしたの? 世の殿方は頼られたいものかと思っていました。それがお姉様のような美人なら尚更」
シェリアはマイペースに何かあればリュオン殿下に頼れば良いと言います。
しかしながら、リュオン殿下は婚約者だった人に逃げられて、それが水面下で国際問題となっています。
その心労を考えると彼にこれ以上の心配ごとはかけられないと思ってしまうのです。
やはり、お父様にはリュオン殿下の耳には入らないように配慮して欲しいとお願いしておきましょう。
「あなた、私と見た目がそっくりだといつも言われるのに、よく美人とか言えますね」
「えっ? だから申し上げたのですが……」
「まったく、あなたという子は……」
結局、お父様には今日あった出来事を話した上で、リュオン殿下のために変な噂が立たぬように配慮して欲しいと頼みました。
――そんな配慮はまったくの無駄になったのですが……。
私はマルサス様をまだ自分の中の常識で測っていたのです――。
◆
「元気がなさそうですね?」
マルサス様との騒動から一週間ほどが経ったある日。
私は婚約者であるリュオン殿下と食事をしていました。
彼との婚約は未だに公式発表出来ませんので、一部を除いて周囲には友人同士の会食として通しています。
「そう見えますか? いけませんね。つい、寝不足で……」
私は曖昧な返事をしました。
嘘をつくのは憚れましたので、事実のみを伝えたのです。
「……マルサス・テスラーの件ですか?」
「――っ!? 知っていらしたのですか?」
私の悩みをズバリと言い当てたのにはびっくりしました。
そうです。あの日の騒動で彼とは縁がなくなったと思っていたのですが、その翌日から毎日手紙が届くようになったのでした。
『親愛なる僕の女神、ルティアへ。
愛って難しいね。お互いが愛し合っているだけではすれ違うから。
僕は今、二人の前に立ちはだかる試練に立ち向かっていると思っている。
大丈夫だよ。心配しないでくれ。
君の気持ちは分かっている。たくさんの人に見られて恥ずかしかったんだろう?
思えば君はシャイな娘だった。そこがまたチャーミングだった訳だが。
僕は怒っていないから。安心してね。必ず迎えに行くから待っていて』
父がテスラー家に抗議をした翌日にこんな感じの手紙が届き、さすがに私も穏便に済ませることは無理かもしれないと思いました。
しかし、マルサス様はテスラー伯爵には勘当同然に家から追い出されてしまったみたいです。
居場所もどこに居るのか分かりませんので注意することも出来ません。
テスラー伯爵も父から手紙の話を聞いて大慌てで探しているのですが、未だに見つかっていませんでした。
「ルティアさんのことを疑った訳ではないのですが、やはり婚約者のことは気になってしまいますから、それなりに身の回りのことを調べさせました。随分と大変なことになっていましたね」
「……すみません。リュオン殿下との婚約を公にしても良いなら話したのですが、世間的には他人ですから。殿下が心配して動くようなことがあればご迷惑かと」
リュオン殿下の前の婚約者は駆け落ちして逃げています。
そんなこともあって、ナーバスになられていると思いましたが、逆に私の心配をしていてくれたみたいです。
「お気遣いには感謝します。大丈夫ですよ、彼に私と婚約したと伝えられれば、話は終わりだと思いますから」
「えっ? それってつまり……」
「私が婚約破棄されたことも含めて、来週にはルティアさんとの婚約も公式に発表します」
まっすぐとその美しい瞳をこちらに向けて、リュオン殿下はそう私に伝えました。
婚約を公式に発表する――それはすなわち、世間が私たちの関係を知るということです。
覚悟をしていなかった訳ではありませんが、これからはリュオン殿下の妻になるという意識を強めなくてはなりません。
「待たせてすみません。実は駆け落ちしていたオリビアさんがルーメリアの王宮に帰ってきたんですよ。それで両国間の話も決着をつけやすくなりまして――」
「――っ!?」
そういうことでしたか。
騎士団長と駆け落ちしていたオリビア殿下が王宮に戻られた。
リュオン殿下はそれで話をつけやすくなったと仰せになりましたが、何故か私はその逆を想像してしまいました――。