第四話
マルサス様との縁談がなくなったことは後からジワジワと私の心を苦しめました。
特に指から強引に婚約指輪を取られた時のことを、ふとした瞬間に思い出すと……指の痛みとともに胸が締め付けられてしまいます。
親同士が決めた縁談なのだから、愛など最初からないことは分かっていても、自分が否定されるというのは思いの外ショックが大きいのですね……。
「そりゃあ不運だったなぁ。まったく、父上はとんでもない相手との縁談をもちかけたものだ」
「お兄様、申し訳ありません。早く私たちが独立しないと、この家を継ぐことが出来ませんのに」
「あーそれは、別にいいって。俺もまだ修行中というか、侯爵みたいな肩書は重いというかさ。しばらく二人きりの新婚生活を楽しみたいから」
兄のカインは王立学院を卒業したあと結婚して王宮の役人として活躍しているのですが、今日は久しぶりに帰って来られました。
嫡男として爵位を継ぐのは私とシェリアが家を出たあとで、ということなので、恋愛結婚をした彼の妻――マリーナさんと共に小さな屋敷を購入してそこに二人で住んでいます。
「思ったよりも元気なさそうだったから、軽いお願いを聞いてもらおうと思っていたけど止めておくわ」
「なんですか? 軽いお願いって? 気になるところで話を切らないでくださいな」
カイン兄様は私にお願いごとがあったけど、諦めたとか言われて立ち上がりました。
そんなところで会話を止めようとしないでください。
とても気になるじゃないですか。
「別に勿体ぶったつもりはないぞ。……後輩がな、お前の婚約がなくなったって聞いて、お前と会いたいとか言い出してな。その後輩も最近……婚約破棄されて傷心していたから、同じ経験をした人と話したいみたいな感じでさ」
「婚約破棄された後輩……」
「でも、お前も男と会うなんていうメンタルじゃないだろ? ま、無理になんていうタイプじゃないから断っておくよ」
「待ってください。一回、会ってみます。会ってみますよ。その方と――」
一人で悩んでいても意味がないですし。いつまでもウジウジしていれば、シェリアも遠慮して縁談に消極的になるでしょう。
私は新たな一歩を踏み出すためのきっかけになるかもしれないとして、婚約破棄された兄の後輩という方と会ってみようと思いました。
「そうか、そうか。それはありがたい。……じゃあ、さっそくリュオン殿下にその旨を伝えるよ。いやー、助かったぞ。俺の面目も保たれる。さすが、可愛い俺の妹だ」
「……りゅ、リュオン殿下? か、カイン兄様のいう後輩ってリュオン殿下のことでしたの?」
し、心臓が止まりそうになりました。
な、な、何をこの人、言っているんですか。第三王子のリュオン殿下を可愛がってる後輩みたいな感じで言わないでくださいよ。
あ、新たな一歩を踏み出そうと思いましたが、殿下と会うのでは話が全然違います。
「そうだよ。……殿下の相手とか言ったらお前だって断り辛いだろうから、敢えて伏せたんだよ。俺も気を遣っているだろ?」
「…………」
カイン兄様、配慮するベクトル間違っていますよ。まぁ、こういう事は今日に始まったことではないのですが。
ここで尻込みするのはちょっと違いますよね。
勇気を持って一歩、未来に向かって前進しましょう……!
◆
カイン兄様が選んだお店で会食をすることになった私とリュオン殿下。
はっきり言って昨日の夜、ほとんど眠れていません。緊張のしすぎで……。
別に結婚とか、そういう話をしようというのではないのですから、構えなくても良いのですが相手が相手ですから。
それにしても、リュオン殿下が婚約破棄されるって、そんなことあり得るのでしょうか。
だって、相手はルーメリア王国の第二王女ですよ。破棄なんてしたら、国際問題ですし。
カイン兄様曰く、婚約破棄の話はまだ公表しないのだそうです。
ですから、今回の会食も人払いして個室でします。
「ルティアさん、ですか? カインくんの妹の……」
先に到着した私に声をかけられたのは、アメジストのようにきれいな瞳をしている銀髪の青年。
この国の第三王子、リュオン殿下です。
「は、はい。ルティア・アルディスです。リュオン殿下、今日はこのような会食の場を――」
「あはは、そんなに固くならなくても大丈夫ですよ。すみません、無理を言ってわざわざ来ていただいて」
穏やかな口調で私に気を遣わせないようにする殿下。
話すのは今日が初めてなのですが、とても優しそうな方でしたので安心しました。
そして、コース料理の前菜が運ばれて、和やかな雰囲気で会食は始まります。
「婚約者が駆け落ちしてしまいまして。どうやら、彼女はずっと幼馴染のルーメリア騎士団の団長のことを想い続けていたみたいで……そんなことが綴られた手紙を見ると何だか私の方が悪者なのかなって、虚しくなりましてね」
リュオン殿下の婚約破棄の話もなかなか壮絶でした。
ルーメリア王国、第二王女であるオリビア殿下は十年以上もの間、幼馴染の騎士団長トムのことを愛していたのだそうです。
しかし、外交的な目的も兼ねてリュオン殿下との婚約が決まってしまい、毎日苦しんだのだとか。
そして、ついに二人は駆け落ちをして国から姿を消してしまった――そんなお話です。
まるでおとぎ話のような、駆け落ちなのですがリュオン殿下からすれば、たまったものではありません。
「本当は父以上に私が怒らなくてはならないと思うのですが、オリビアの葛藤にも気付かなかった私にも非があると思うと――」
国王陛下は怒り、ルーメリア王国側も謝罪しつつ二人を捜索しているのですが、殿下はもうそんなことはどうでも良くなっているみたいです。
「リュオン殿下は悪くないですよ。人の感情なんて簡単には分かりません」
私もマルサスが幼馴染のエリナさんのことを土下座して別れてほしいと言われるほど想っていたなんて、考えも及びませんでした。
あの日まで、彼とは普通に結婚式の準備や話し合いをしていましたし、彼は出席する友人のリストや席の配置まできちんと意見を述べていましたから。
それだけにあの日の豹変ぶりにびっくりしたのですが――。
「愚痴を聞いてくれてありがとうございます。色々と吐き出すと楽になりました」
「いえ、リュオン殿下も私の話を聞いてくれてありがとうございます。私も何だかスッキリしました。前を向いて生きていけそうです」
お互いの話をすると心が軽くなりました。
共感してもらえることが、こんなに嬉しいこととは思いませんでした。
「……あの、ルティアさん!」
「は、はい!」
「また会って頂けませんか……?」
この日から私は殿下と何度も食事をすることとなります。
私とリュオン殿下は波長が合っており、私が二度目の婚約をするのにそう時間はかかりませんでした――。