第三話(マルサス視点)
よしっ! 必殺、土下座が決まって婚約破棄が成立だ。屈辱はあったが、好きな女と結婚することと天秤にかけるとなんてコトない。
ルティアはお人好しだし、押しに弱い女だから頼めば何とかなるって思っていた。
あの子は僕のことを相当好きだったからなのかショックを受けていたが……。
すまない、僕はルティアじゃなくてエリナが好きなんだ。
一度は父上が決めたことだから、と諦めたさ。僕は伯爵家の跡取りだし、元気な子供を何人も作らなきゃならないからね。
だけど、ルティアと婚約してから彼女の顔を見るたびに「これでいいのか?」という疑念が湧くのだ。
まぁ、ルティアも美人だよ? 侯爵家の娘だし家柄的にも妻にするにはこれ以上ないくらいのハイスペックだ。
僕もエリナのことさえ気にしなかったら、全然問題なく結婚しても良いと思うくらいの、女だった。
父上も侯爵殿に媚を売るのに必死だったと聞くし、怒られるだろうなぁ。
だが、僕は今、覚醒状態だ。
エリナと結婚するためならどんなことでも耐えられる。
夢に見た、純白のドレスに包まれた彼女は実に美しかった。
病弱なんて関係ない。愛があれば何だって乗り越えられるさ。
僕はこれから真実の愛の為に生きるのだ――。
「この大馬鹿者が!」
「へぶぅっ……!」
案の定というか、当然というか、僕は父上に思いきりぶん殴られた。
こ、これも想定内、想定内。侯爵令嬢との婚約を一方的に破棄したんだ。こうなることは当然である。
「貴様! ルティアさんに何の不満がある! あれほどの結婚相手、もう見つからんぞ!」
ふ、不満とかじゃないんだよ。分かってないなぁ。
ルティアが誰よりも伯爵家にとって妻にするには相応しい女なのかもしれない。
だけどなぁ! 人間には……、家柄とか、義務感とか、そんなモンよりももっと大事なことがあるじゃないか!
そうだ! 心だ……! 僕は真心に従って動いているのだ……!
恥じることは何もない! 胸を張れ!
「愛してる人がいるんだよ! 父上がどうしても許せないなら、勘当されても構わない! 僕たちは真実の愛のもとに生きる!」
勘当されたっていい。
エリナの笑顔が側にあれば、一生金に困って生活したって構わない。
伯爵家の未来なんて知ったことか。僕は愛する人と共に人生を歩みたい……!
「……馬鹿者が。そこまでの覚悟があって、そこまで愛し合って、いるというのだな。……まぁ、もっと早くその覚悟を示してくれれば、良かったとは思うが」
「ち、父上……」
「好きにするが良い。だが、後悔だけはするなよ。振り上げた拳を下ろすことは許さん。親に恥をかかせたのだ。……何としても、エリナさんを幸せにしてやれ。侯爵殿には頭を下げておいてやろう。慰謝料はかなりの額になるがな」
なんと父上は一発殴っただけで、僕を許してくれた。
あはは、僕の情熱が通じたんだ。やっぱり心っていうのは通じるんだな。
ありがとう、父上。僕はさっそく彼女にプロポーズしてくるよ。
婚約指輪を握りしめて、僕はエリナの家へと馬車を走らせた。
「まぁ、お久しぶりですね。マルサス様」
「あ、ああ。久しぶりだな、エリナ。歩いても大丈夫なのか?」
なんと美しい。なんと可憐なんだ。今日は比較的に体調が良いのかな? 普通に歩いているが……。いつもは車椅子だったのに。
「はい。ルーメリア王国の辺境伯、ローウェル様が見つけてきてくれた薬がよく効いてくれまして。体調不良もすっかり良くなりました。……あと、マルサス様の婚約のお祝いが遅くなって申し訳ありません」
「えっ……? 体調良くなったの? し、知らなかった……。こ、婚約のお祝い? そんなのどうでもいいって」
そ、そうか。そういえば王立学院を卒業して会ってなかったからこうして話すのは一年半ぶりくらいかな。特に婚約してからは気まずかったし。
へぇ、知らないうちに……そんなに元気になっていたのか。
これは父上にとっても朗報だな。もう病弱じゃないのだから。
ツイてる! これは猛烈にツイてるぞ!
「うん、それは何よりだ。あ、あの、エリナ、え、ええーっと」
ダメだ、エリナの笑顔に緊張して格好いいプロポーズの言葉が出ない。
とりあえず、跪き、婚約指輪を――。
「それで、そのう。なるべく内緒にして欲しいのですが、そのローウェル様と私……来月に結婚するんです。昔、マルサス様のお家にはお世話になりましたので、是非とも伯爵様とマルサス様の婚約者さんも一緒に結婚式に出席を――」
「ぽえっ?」
う、嘘だろ、ちょっと待って。
今さぁ、耳がどうかしちゃったのかな。エリナが結婚するって話を聞いたんだけど。
いやいや待ってくれ。そんなはずはないよ。
だって、エリナだよ。病弱なんだよ? 誰も結婚なんかしたがらないって。僕以外は……。
よ、よし。耳に神経を全集中だ……!
も、もう一回聞くぞ。きちんとリスニングしなきゃ……。
「あのさ、エリナ。今、僕の耳の調子が悪くてね。来月に結婚とか結婚式というワードが聞こえたんだ。聞き間違いだと思うんだけどね」
「いえいえ、聞き取れていますよ。来月に私はローウェル様と結婚します。ですから結婚式に――」
「な、なぜだーーーーーーーっ!?」
「――っ!? ま、マルサス様!?」
う、嘘だ。嘘だろ? 嘘に決まっている。あり得ない、こんなことあってたまるか。
ぼ、僕の愛するエリナが僕以外の人と結婚? ば、馬鹿なこと言わないでくれよ。
だって、だって、僕のポケットには君にあげる予定の婚約指輪もあるし。
君のウェディングドレス姿を見たいが為にわざわざ土下座までして、父上に殴られまでして、ルティアと別れたんだぞ。
「あ、あのう。マルサス様……? わ、私、何か変なことを申しましたでしょうか?」
「こ、この薄情者! ぼ、僕は君にプロポーズしに来たというのに!」
「え、ええーっ!?」
僕はポケットから指輪の入った箱を取り出して、投げつけた。
腹が立って仕方がない。愛していたのに、大好きだったのに、まさかお前は誰だよっ?っていうような知らない辺境伯に僕のエリナが取られるなんて。
「ぷ、プロポーズ? えっと、私は侯爵家のルティアさんという方と婚約をなさったと聞いていたのですが……」
「したけど、婚約破棄したよ! 君のためにね!」
「う、嘘ですよね? ど、どうしてそんなことを……」
エリナは青ざめて信じられないという顔をした。
そうだよな。自分のしたことの重大さが分かったよな。
君は僕の想いを踏みにじったのだから。
だが、まだ結婚はしていない。来月に挙式なのだから、彼女の純潔は守られている。
「やっと、僕の覚悟を知ってくれたみたいだね。大丈夫だよ、心配しなくても。君も婚約破棄すればよい。一緒に謝ってあげるから。気にしなくてもいいよ。愛する者同士で暮らしていけるなら、僕はどんな試練にも耐えてみせる」
笑顔を作り。心配そうな顔をしているエリナを安心させようとする。
怖いのは分かる。僕もルティアに婚約破棄してほしいと頼む前は怖かった。
でも、やってしまったらスッキリするし、身も心も軽くなる。
「わ、悪い冗談は止めてください! 私が愛しているのはローウェル様だけです! それに申し訳ありませんが、マルサス様にそのような感情を抱いたことは一度もありません……!」
「ぽえっ!?」
ぼ、僕に恋心を抱いたことがないだって? う、嘘つけ!
だって、昔から僕のことばかり見ていたし、美しい笑顔も向けてくれていたし、絶対に僕のこと、好きだったじゃないか。
「こ、婚約指輪も迷惑です。持って帰って頂けませんか? あれ? これ、裏に名前が彫ってありますがルティアさんの名前が……」
「そ、それがどうした!? 超高級品だぞ!」
土下座して婚約破棄して、想い人にプロポーズして……、門前払いされて……!
くそっ、くそっ、くそっ、病弱で気を引く嫌な女に騙された!
ルティア、ごめんね。僕の運命の人、君だったわ――。