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第一話

【完結】まで予約投稿しています!

 それはきれいな土下座でした。

 背筋をピンと伸ばして、床に頭を擦り付ける。

 私は土下座する男性を今まで見たことがありませんでしたから、ただ、ただ、呆気に取られていました。


「すまない! ルティア! 僕と、この僕と……、婚約破棄してくれ!」


「こ、婚約破棄……、ですか?」


 必死になって私に婚約破棄して欲しいと懇願するのはマルサス・テスラー。

 テスラー伯爵家の跡取りで、三ヶ月ほど前に親同士が縁談をまとめて婚約という形になりました。

 人畜無害そうな感じで、人当たりもよかったので私も安心して結婚の準備をしていたのですが、ある日突然、私を呼び出して頭を下げたのです。


「やはり僕は、僕は! エリナを裏切れない!」


「エリナさん? エリナさんというのは、前に話されていたマルサス様の幼馴染の――」


「そうだ! 父上は健康な娘を僕に嫁がせたいとして、病弱なエリナは伯爵家に相応しくないと切り捨てた。だけど、僕は彼女をやっぱり愛していたんだ!」


 涙ながらに大声を出して、他の女性を愛していたという告白をするマルサス様。

 そんなことを今さら言われても困るのですが……。

 もう、結婚式の日取りも決まっていますし、連名で招待状も出したではありませんか。

 せめて、一ヶ月くらい早く仰って下さいよ。皆さんに迷惑がかかるじゃないですか。


「あの、マルサス様。ご存知のとおり、結婚というものは私たち個人の問題ではなくてですね……」


「止めてくれ! 正論は要らない! 僕は今日の夢に出てきた花嫁姿のエリナが忘れられないんだ! あの子が僕のことを呼んでいるんだよ! 病気と闘いながら! 君はあの子に恨みでもあるのか!?」


「いえ、エリナさんがご病気であることには同情しますが……」


 土下座しながらも、私に対して段々と責めるような口調になってきたマルサス様。

 ええーっと、ですね。これって、もしかして私が悪い人扱いされていますか?


「すまない! 健康で強い君よりも俺は病弱なエリナの側に居たい! 頼むから婚約を破棄してくれ!」


 伯爵家の玄関先でのこの土下座騒動。

 せめて、家の中に入れてくださいよ。あと、別に私は強くありません。

 結婚生活を想像していたのにいきなり破壊するような真似をされて、精神的に辛くなっています。


 ですが、こんなにも気持ちが離れている方と結婚する方がきっと辛いですよね……。

 お父様、お母様、喜んでくださったのに申し訳ありません。

 

「承知いたしました。婚約破棄されるということですね……」


「い、良いのか!? ヒャッホーー! よっしゃーー! 言質取ったぞ! これでエリナと結婚出来る!」


 私が婚約破棄について了承すると、マルサスは飛び上がって喜び、舞い踊ります。

 目の前に婚約破棄されたばかりの元婚約者がいるのに、さっきまで土下座していたのに、とんでもない豹変ぶりです。


「エリナ! 待っていてくれ! 僕が今からプロポーズしにいくからね!」


「はぁ……」


「おい、ルティア。その婚約指輪だけど、エリナにあげるから返せよ」


「えっ? ちょ、ちょっと、い、痛い! 痛いですって!」


 私の指から強引に婚約指輪を奪い取るマルサス。

 この方、今まで人畜無害だと思っていましたが、思いの外、強引みたいです。

 というより、私に渡した指輪をエリナさんに渡して良いものなのでしょうか。


 というわけで、この日、私は婚約破棄しました――。



「それで、婚約破棄? マルサスくんがそんなことを……。ふーむ、テスラー伯爵の方から頼み込まれて縁談を受けることにしたのだが」


 私はお父様に婚約破棄されたことを報告しました。

 どうやら、今回の婚約は侯爵であるお父様にマルサス様の父であるテスラー伯爵が持ちかけたお話みたいです。

 私はそういう経緯すら聞いていませんでしたが、それを考慮するとマルサス様はテスラー伯爵にかなり怒られるんじゃ……。


「まぁ、男児たる者が土下座までしたのだから余程の事情があるのだろうが。うーん、去年エドワードが結婚したから、今年はルティアが結婚し、来年にはシェリアの番だと予定していたが、予定が狂ってしまったなぁ」


 お父様はマルサス様が土下座までしたと聞いて、一定の理解を示しましたが納得はしていないみたいでした。

 私も婚約破棄後の彼の狂喜乱舞っぷり見ると、どうにもこうにもモヤモヤとした感情が胸に残ってしまいます。


「わたくしは別に気にしませんわ。特に結婚願望もありませんし」


「ワシが気にするのだ。馬鹿者!」


「すみません。お父様、私が婚約破棄されたばっかりにシェリアまで婚期が遅れるなんて」


 ヘラヘラと笑うシェリアは私にきっと気を使ってくれたのでしょう。

 お父様は去年家を出たお兄様に爵位を譲る前に私たちのことをきちんと送り出したいと思っているはずですから。

 

「ところで、ルティア。そのう、マルサス様はどうしてあなたと婚約破棄をしたいと突然言い出したのですか? 何か、あなたが粗相でも?」


 それまで黙って話を聞いていたお母様が婚約破棄の理由を尋ねました。

 そういえば言っていませんでしたね。婚約破棄の理由を……。  

 

 土下座が衝撃的すぎて、肝心の理由を話していませんでした。


「いえ、敢えて言うならば健康であったことくらいでしょうか」

 

「はぁ? よく分からないことを言うな。きちんと説明しなさい」


 私のセリフを聞いて首を傾げる父は詳しい説明を求めます。

 そうですね。ちゃんと事細かに話しましょう――。

 

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