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episode40 奇襲①

「シャアアッ‼」 


 真っすぐに伸ばされた悪魔の両腕は間違いなくリアムを標的にしていた。


(あれは飛翔型の悪魔バーバリアン!)


 リアムが回避行動をとる前にアリアが跳躍した。空中で剣を横薙ぎに構えるとバーバリアンをすれ違いざまに一閃、森に甲高い狂声が轟く。


「グギャヒッ‼」


 片翼を切り裂かれてバランスを崩したバーバリアンは、リアムから大きく横に逸れながら木に激突すると、枝を次々とへし折りながら力なく地面に落下していく。

 アリアが稼いだ時間を無駄にするわけにはいないと、リアムはすぐに声を上げた。


「今のうちに退却をッ!」


 リアムの声はしかし、狂気を内包させたレイチェルの怒声によってかき消されることになる。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねええええーッ‼」


 止めさせようと声を上げる間もなかった。レイチェルの杖から冷気を纏う氷のつぶてがバーバリアンに向けて絶え間なく放たれていく。

 バーバリアンはなんとか立ち上がろうと試みるも、その度に量が増していくつぶてによって妨げられる。

 肉を裂き無数の穴を穿つレイチェルの猛攻に、バーバリアンの体は次第に原型を留めなくなっていた。


「レイチェルもういい! もう奴はくたばった!」


 オースティンに肩を引かれ、レイチェルはビクリと体を震わした。杖の先端の輝きが急速に失われていく中でレイチェルが次にとった行動は、杖を胸にかき抱くようにしてバーバリアンを見つめることだった。

 荒々しかった呼吸は徐々に収まり、代わりに引き攣った笑みが顔から滲み出てきた。


「あはっ! あははっ! やった! 飛行の悪魔をやってやったぞ! ざまあみろってんだッ!」


 バーバリアンはカテゴリーα(アルファ)の中でも上位に位置する悪魔。攻撃力はカテゴリーα中位のダゴンほどではないが、翼を最大限に活かした一撃離脱を得意としている。

 アリアが最初に片翼を切り落として機動力の大半を奪ったとはいえ、躁士(そうし)であるレイチェルがバーバリアンを倒したのは快挙と言ってもいいのだが……。


「人間様に逆らうからこうなるんだよ!」


 レイチェルは完全に冷静さを取り戻したようで、今や肉塊と成り果てたバーバリアンへこれ見よがしに蹴りを入れ始める。

 そんな彼女に対し、リアムは冷ややかな視線を浴びせた。


「そんなにその悪魔を屠ったことが誇らしいですか?」


 バーバリアンの血で青く染まったレイチェルのブーツがピタリと動きを止め、リアムを睨めつけてくる。


「あ゛てめえ今なんつった?」

「同じことを二度言うのは好きじゃありませんが、その悪魔を屠ったことがそんなに誇らしいのかと言ったんです」

「はっ! これだからクソガキは嫌なんだ。こいつがそんじょそこらの悪魔じゃないこともわからないんだからな」

「残念ながらあなたが倒した悪魔はそんじょそこらの悪魔ですよ」

「なんだとッ!」

「そんなことより、あなたが余計なことをしてくれたおかげで唯一の好機を失いました。もうこれで後には引けませんよ」

「なにもできない無力なクソガキのくせになにを偉そうに言ってやがる。──フェリスもオースティンも黙ってないでこのクソガキになにか言ってやれ」


 レイチェルの言葉に、しかし、フェリスもオースティンも同調することはなかった。それどころか負の感情の帯びた目をレイチェルに向けている。


「な、なによその目は……」


 気圧されたように後ずさるレイチェル。リアムがあえて今の状況を説明せずとも、フェリスとオースティンは言葉の意味を正確に理解していた。


「リアム」

「わかっている──来ましたよ」


 湖の方向に目を向ければ、グリムリーバーがカチカチと硬質な音を奏でながら斜面を登ってくる姿が見える。リアムもよく知っているこの音は、獲物を見つけたときに発せられるもの。

 つまり、完全に捕捉されたということだ。


「そ、そんな……だってもう蒼気を練る力は……」


 一瞬にして絶望を顔に張り付かせたレイチェルは、力が抜けたようにその場に座り込んでしまった。


(後先考えずにあれだけの攻撃を繰り出せば蒼気が枯渇するのも当然だ)


 蒼気が練れない魔導士など悪魔にとっては非力な一般人と変わらない。恰好の餌だ。


「あ……ああ……」


 恐怖のあまり失禁したのか、レイチェルからツンとした匂いが流れ込んでくる。

 そんな彼女を横目にフェリスは早口でまくしたてた。


「見た目と違って奴らの足は速い。もはや逃げ切ることはできないだろう。こうなった以上私たちは私たちで戦う。それでいいね?」

「もちろん。賢明な判断です」


 事ここに至って形ばかりのつたない連携など余計な混乱を生むだけ。フェリスも重々理解しているからこそ共闘の選択を早々に捨てたのだろう。

 双方頷き、リアムたちは左へ、フェリスはレイチェルを抱きかかえたオースティンと共に右へと駆ける。意図して別れたことでグリムリーバーに選択を強いた形だ。

 結果、リアムたちに三体。そして、残りの三体はフェリスたちを追っていく。予想外の動きをとるグリムリーバーを見て、リアムは大いに戸惑った。

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